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▽past log 2009

2009年12月15日
【インテリジェンス】
2009年12月15日
【遭難する方法】
2009年12月02日
【母国語をわすれる】
2009年11月30日
【じゃあ、しょうがないな】
2009年11月26日
【オマエどっちへ行くんだよ?】
2009年10月20日
【有りそうだけど無いもの】
2009年10月12日
【偽ボーズ新情報】
2009年10月09日
【オーラの泉】
2009年9月15日 -
【あなたが知らない世界】
2009年7月13日
【6月のルアンプラバン情報:その3】
2009年7月12日
【6月のルアンプラバン情報:その2】
2009年7月10日
【6月のルアンプラバン情報:その1】
2009年7月9日
【6月のスワンナプーム情報】
2009年6月1日
【踊る胃袋】
22009年5月20日
【とても感心したはなし】
2009年2月4日
【喰われてナンボ・・・被捕食者の運命】
2009年2月3日
【このチャンスをお見逃し無く!】
2009年2月2日
【愛と砥石】
2009年1月24日
【それは私じゃありません!】

▽past log 2008

2008年12月13日
【締め切りは守ろうね】
2008年11月3日
【ありがとうございます、せんせい】
2008年9月11日
【タイ語で話しかけられる】
2008年9月2日
【物を捨てる】
2008年8月4日
【雲取山は暑かった】
2008年7月25日
【生きるってムツカシイ】
2008年6月5日
【ヤアヤアヤア】

▽past log 2007

2007年11月17日
【変わったひと】
2007年8月16日
【真夏のメット】
2007年7月30日
【16枚菊の銅鑼焼き】
2007年6月13日
【屋形船でgo その三】
2007年6月12日
【屋形船でgo その二】
2007年6月11日
【屋形船でgo その一】
2007年6月1日
【本と過ごす夏】
2007年4月29日
【プライポンパン村滞在記(最終回) 】
2007年4月16日
【プライポンパン村滞在記(3) 】
2007年4月3日
【プライポンパン村滞在記(2)】
2007年3月24日
【プライポンパン村滞在記(1)】
2007年3月12日
【小指の災難】
2007年2月21日
【画面のの小窓】
2007年2月9日
【早食い防止法】
2007年1月17日
【通勤バス異聞】
2007年1月15日
【ほわ~ん、ぷにぷに】
2007年1月14日
【ちび黒サンボ】
2007年1月13日
【御一行様こちらへどうぞ(補遺)】
2007年1月12日
【御一行様こちらへどうぞ(3)】
2007年1月11日
【御一行様こちらへどうぞ(2)】
2007年1月10日
【御一行様こちらへどうぞ(1)】
2007年1月9日
【なんだか変だぞ、郵便局】

▽past log 2006

2006年12月10日
【サーキット走行顛末(2)】
2006年12月9日
【サーキット走行顛末(1)】
2006年11月17日
【見えるもの見えないもの】
2006年11月14日
【『左脚』】
2006年10月25日
【ブログミステリー】
2006年10月23日
【スワーンナプーム:3】
2006年10月7日
【スワーンナプーム:2】
2006年10月6日
【スワーンナプーム:1】
2006年9月28日
【行ってきま~す】
2006年9月8日
【鈴虫発見】
2006年9月7日
【共食いの季節】
2006年9月4日
【中国地方の謎】
2006年9月2日
【英語放送の怪】
2006年8月30日
【交差点で重量挙げ】
2006年8月18日
【「夏の冷え」対策】
2006年8月4日
【聞き耳を「立てる」方法】
2006年7月26日
【水銀の話】
2006年7月20日
【朝の修行】
2006年6月28日
【ご予約ですか?】
2006年6月18日
【ウナギ供養】
2006年6月2日
【ヅラ疑惑】
2006年5月30日
【哀愁手帳】
2006年5月24日
【『目押し』って何だ?】
2006年5月1日
【鰻屋の因縁】
2006年4月30日
【クヤシイ話し】
2006年4月23日
【保健室】
2006年4月16日
【墓場の怪】
2006年4月15日
【股関節痛報告】
2006年4月6日
【患者さんから聞いたはなし:2】
2006年4月1日
【患者さんから聞いたはなし:1】
2006年3月24日
【骨接ぎをしない接骨院:3】
2006年3月23日
【骨接ぎをしない接骨院:2】
2006年3月22日
【骨接ぎをしない接骨院:1】
2006年3月15日
【スジが悪いのですか?】
2006年2月28日
【フィッシング来た~】
2006年2月24日
【「何頭さまですか?」】
2006年2月6日
【みきまつ号故障】
2006年2月5日
【特殊な記憶を持つ人々】
2006年2月3日
【職場での一日】
2006年1月30日
【定点調査】
2006年1月24日
【自転車で行こう】
2006年1月16日
【接骨院の舞台裏】
2006年1月14日
【サポータの話】
2006年1月12日
【膝の天気予報】

みきまつ

業務に関する日記、といった体裁で企画したページが、いつの間にか本来の役割から大幅に逸れまくり、以下のような内容となってしまいました。

接骨院業務の内容や質とは何の関係もありませんのでご安心ください。人間には仕事上の顔とオフの顔があり、ここに展開しているのは後者の領域。

そういうわけで、気が向いたときにだけ、テキトーに書いています。

みきまつ接骨院代表 伊藤 泰之

▼2010年1月15日(月曜日)

【インテリジェンス】

『サンダーバード』っていう40年くらい前のイギリスのテレビ映画を記憶している方、いらっしゃいますか?あれの現代版って言い切って良いものか迷うが、“Team America World Police”ってイカれたアメリカ映画がある。辛辣なハリウッド映画へのパロディや、ブッシュ政権への茶化しなどが満載の、パペット(操り人形)による映画だ。
レビューは敢えて述べない。というか、本サイトの品格との兼ね合いで書けない。
で、そのイカれた映画の中に間抜けな巨大コンピューター『INTELLIGENCE』が出てくる。チーム(みんなパペット)は『INTELLIGENCE』が提供したいい加減な情報を頼りに組み立てた、偏見、早とちり、勘違い、おせっかいを動機とする軍事行動をためらいなく遂行していく。
ラッシュモアの地下にある秘密基地に侵入したマイケルムーア(パペット)の自爆テロで『INTELLIGENCE』が損傷し、北朝鮮との空中戦で機体が破壊され『INTELLIGENCE』と連絡がとれなくなったパイロット(パペット)が「We have no INTELLIGENCE・・・」と呟くのが大爆笑という、色んな意味でどうかしている凝った映画だが、まあ、興味のある方はどうぞ。DVDで発売されてます。
ところで知り合いのイギリス人(推定35)に、昨日行った居酒屋で喰ったイルカの味噌煮が旨くなかったと話したら、ご想像に違わず「イルカなんてよく喰えるな日本人、可愛そうだと思わないの?」と返ってきた。
面白いから、「バニエの骨は鯨の骨で作ったんだぜ?それにランプの脂も昔は鯨から取ってただろ?その頃は可哀想って思わなかったのか?」と水を向けると、「まあ、それは歴史上の話だから・・・」と逃げを打つので、「豚や牛だって可哀想だろ?羊やウサギはどうなんだ?」と追いかけてみた。
すると、「連中には知性(INTELLIGENCE)が無いから喰っても良いんだよ」と言うから、「INTELLIGENCEが有るか無いかを、どうやって判断する?」と訊いてみた。
ちょっと考えてから「鏡の前に立たせて自己認識できればINTELLIGENCEが有る筈だ・・・」とか、むにゃむにゃ言う。話は、人間でもINTELLIGENCEが無い奴ならどうだ、みたいな危なっかしいものになっていったが、この先は本サイトの品位に係わるため、割愛する。
後日、別のイギリス人(推定63)に、先の話をどう思うか訊いてみたら、「鏡のテストなんか判り難い。それより君が捕まえて喰おうとしてる動物が素早く逃げ果せたなら、そいつにはINTELLIGENCEが有るってことだよ。」って答えで、なかなかINTELLIGENCEに溢れた返答に感心しつつも爆笑だった。

それでは皆さんまた明日。

▼2009年12月15日(火曜日)

【遭難する方法】

① ハードな長距離の自転車行の前日、大量にアルコールを摂取する。② 早朝の出発まで5時間しか寝ていない。③ 着衣が秋・春ものだったのに、予想外の急激な温度低下を経験。そのため出発後2時間で既に下腿が痙攣していた。 ④ 予想外の冬季通行止めの表示にも拘わらず、引き返さず旅程の継続を断行。 ⑤ 激しい運動をしているのに水分補給ができなかった。 ⑥ 朝から7時間、おにぎり1個と缶コーヒー1缶しか摂食してない。 ⑦ 予備の食料が無かった。途中で買うことも出来たのに・・・。 ⑧ 記憶にあったより強い坂が峠まで11kmも続いた。 ⑨ 単独行。しかもゲートを突破して他の人がまったく入ってこない区間に進入。

・・・てな条件が揃うと、どういうことが起こるか?
① ペダリングを続けることが困難になり、自転車を曳いて歩き始める。 ② 歩いて坂道を登ることがいつもより辛く感じられる(体力的には山登りは得意)。 ③ 異常な空腹感(当たり前か、朝からおにぎり一個しか喰ってないんだから・・・) ④ 携行していたボトルの水が無くなった後にも無性に喉が渇く。終いには谷に入って沢の水を補給。ちょっとしたサバイバル気分。 ⑤ 異常な眠気を感じる。実際道が湿っていて寒いのに道端で横になったら、アラ不思議、眠れるんだねぇこれが・・・うとうとしては『ヤバイ、これって凍死コースじゃん!』と跳ね起きるのだが、実際の経過時間は不明。そんなパターンを3回繰りかえし、のろのろと自転車を押しながら坂道を登ると路面が完全に濡れてきた。横になる場所が無くなってその場にしゃがみ込んだら、しゃがんだままでも瞬間眠れてしまう! ⑥ 遥か山頂には靄が掛かり、頂上には白いものがチラホラ見える。突破する筈の峠を見上げると道路のガードレールが天国への階段の如くつづら折れに続く。この光景には気分が萎えた(・・・普段なら心が躍る景色だ)。

・・・はい、低体温症の典型ですね。脱水や低血糖もあったかも。通常この先に待っているのは凍死ですよー、みなさん気をつけてね。
わたしは偉いので、やっとのことで峠を越え、温泉の近くでいつも立ち寄る食堂でトロロ蕎麦を食い、職場に帰ってこの日記を書いてます。だけど、キーボードに触れている右手指3本の指先の感覚が無くなってるのは認めよう。軽度の凍傷ですね。因みに、昇りの11kmは3時間掛かったのに峠を越えてからの坂は僅か10分足らずで降りることができた。なんとも楽しい思い出だが、指先の凍傷はこのときにブレーキレバーを握り続けたため受傷したのだろう。着用していた夏用のグラブは指先がカットしてあるからだ。
陽気の良い日に、再度同じルートで挑戦しようと思う。次はリュックに防寒衣を詰め、非常食を持ち、水もたっぷり持ち、指先まであるグラブを着けて。


それでは皆さんまた明日。

▼2009年12月02日(水曜日)

【母国語を忘れる】

第二次世界大戦後、北海道出身の兵士がロシアで抑留されている間に地元の人と結婚して現地で家族を持った。数年前、故郷の北海道に数十年ぶりに戻ったのをTVで視た。インタビューでは通訳を使っていたのが印象深い。19歳まで、日本語だけ喋って育ったのだろうに、数十年に亘るロシアでの暮らしの間に日本語をすっかり忘れてしまっていたようだ。
その30年くらい前に、それぞれ別の南の島のジャングルに潜んでいた二等兵と少尉が相次いで帰国したときも大きな話題になったが、TVに映った彼らは日本語で帰国の挨拶をしてた。
まあ、彼らはジャングルに潜伏して居たんだから会話の機会も無いし、ものを考えるときには日本語を使うから、言葉を忘れようがない。一方ロシアの田舎には日本語を喋る人間が誰もいなかったから、元兵士が現地の社会に馴染むにしたがって、ご当地の言語が徐々に彼の頭を占領したのだ。実兄と並ぶとよく顔の似た兄弟である。話したいことは一杯ありそうだったが、『え?ワシって日本語が理解できない。何故だ?』って考えていたことだろう。シベリア方言のロシア語で。
長期に亘って日本に滞在している外国人の多くが母国の単語を忘れたり思い出せなかったりすることがあると聞く。
その一方で、こんな人もいる。生まれたのが親の仕事先のドイツ、小学校から日本に戻ってきた女性が、幼い頃の夢を見た。おかしなことに夢の中では幼い彼らがドイツで話しているのは日本語なのだった。大学院を留学先のアメリカ南部で修了したこの女性、そこで知り合ったベルギー人と結婚してブラッセルに住んでいる。彼女は結局銀行で働いているのだが、職場ではフランス語とオランダ語、自宅に於いてはご主人とは英語、混血児の愛娘とは日本語で話しているそうだ。
千葉県某市で20年前に出会った四川省出身の男、同居の女とはタイ語を、日本人とは日本語を流暢に話す。如何にも怪しいこの男、暗黒面でもかなりのキレ者らしく、その方面の商売上必要なためか、北京語、広東語、上海語を使い分け、英語もいける様子だった。まだ生きているのかな・・・
もう一人、以前日本に住んでいた頃知り合ったカナダ人の女性、日本ではイタリア語を教えるバイトをしていた。イタリア語とハンガリー語、フランス語とドイツ語、英語と日本語を話す。運悪く不在の時に電話すると応答メッセージが長い。
先ずお決まりの『ハイ、○○です。只今留守にしています。御用のあるかたはピーッという発信音の後にメッセージを録音してください。お電話ありがとうございました。』流暢な日本語だ。
次は同じ文句を英語で。
その次はフランス語で。
応答を全部聞かないと録音できない。こっちは待っているうちに疲れてしまうのだった。

それでは皆さんまた明日。

▼2009年11月30日(月曜日)

【じゃあ、しょうがないな】

学生服と制帽姿の高校生が一人トラックを運転している。学校を卒業するにあたって、家業を手伝うために自動車の運転が必要だと考え、学校が終わると家のトラックを持ち出しては練習していた。警察署の前の交差点で信号待ちをしていたら、入り口で歩哨に立っていた巡査が職務質問してきた。「おいおい、こらこら、免許証を見せろ」というわけだ。「未だ練習中だ」と答えると巡査は「ここら辺で練習するな。早く免許の試験を受けに行け。もう家に帰れ」というので、そのまま運転して帰宅した。
これは実話だが、時代は昭和22年頃だ。旧制高校の制帽を被ったまま運転の練習をしていたのは若き日のわたしの父である。本人から聞いたこの話を、父よりひと回り若い(といっても70歳)人に話したら、彼も自身の体験を披露してくれた。

中学を卒業して直ぐに運転免許を取得した、遊びたい盛りの若い衆だった彼が、いつものように車で出かけた先で仲間としこたま酒を飲んだその帰り道、道の角を曲がる勢いが強すぎたか、他人の家の庭先に車で飛び込んじゃった。
「おーのー・・・」自分の失敗に呆れて、酒の酔いもあり運転席に座ってうとうとしていたら、そのうちに巡査が検分に現われた。事情を問いただされ、「酒を飲みすぎて運転を誤まった」と答えた。すると巡査も「そうか・・・酒に酔っていたのでは仕方が無いな」と納得してくれ、被害者宅の塀の修理を約束させ、一件落着となったという。
繰り返すが、舞台は日本で、しかも実話だが、時代は昭和30年だ。当時この辺りの自動車保有台数はただただ少なくて、仕事で使われているトラックや路線バスがたまに走っているのを除くと道路を使うのは歩行者と自転車だけ。自家用車など所有しているのは金回りの良い事業家など、ごく限られた人たちだけだった頃の話である。念のため。
現代なら即、身柄拘束!みたいなこんな話は当時いくらでもあった。今年成人するあたりの人たちの曾爺さんが若い頃の話。たったの60年くらいの間に時代はここまで変わったわけだ。

まあ、これらの話の頃からさらに10年くらい遡れば日本も、出たとこ勝負で戦争イケイケの捨て鉢社会だった。気合だけで世界を征服できる、といった頭の悪い軍人グループが政権を掌握し、みんなを敗戦の泥沼に引き摺っていた。最悪だよ。終戦後は社会的な価値観が、ごく短い期間にひっくり返ってしまった。みんなが“常識”として信じている事々の正体は、実はすごく曖昧で脆弱なものだ。
まあ、とりあえずこの時代に生まれ、こんな漫文を打ち込んでいられるのはなかなかラッキーといえる。60年先にここの空気を吸っている連中に用意されるのはどんな風景だろうか?それを知る術は無い。だけど、いまならサラッと聞き流せる話題のいくつかが後年、とんでもないお笑い種になってるのは間違いない。

それでは皆さんまた明日。

▼2009年11月26日(木曜日)

【オマエ、どっちへ行くんだよ?】

海外から見た日本のイメージには、経済大国だとか、首相のカミサンが金星に出かけるとか、まあ色々あるけど、『国民が基本的なルールをきちんと守る』というものもあるようだ。知り合いのイギリス人から聞いたことだが、そういえば似たような話を他の外国人からも聞いたことがある。
で、彼らが日本の交通事情を目の当たりにするとき、そんな日本人に対するイメージとは違う側面を日々体験するという。 全く同感だ。例えば交差点の周囲は駐停車禁止場所だ。ところがプロ中のプロであろうタクシードライバーは、交差点の角ぎりぎりの場所で客待ちをする権利があると思っているようだ。もちろんそれは勘違いである。承知でやっているヤツも多いようで、江戸時代に生息したという『雲助』という単語が頭に浮かぶ。
一般のドライバーも然り。自動車の後をバイクで走行している。交差点を通過する手前で前のクルマがイヤに減速するなと思っていると、急にターンシグナルを点けて左右に曲がるドライバーがやたらに多い。
『交差点に近づいたら用心のために減速するのは、もともと安全運転のためには必要だからいいだろう?オマエが前車に追突しないような車間距離を保てばいいんだヨ』という意見の人もいると思う。わかった。じゃ、こんなのはどうですか?
交差点で右折しようとして中心まで移動して直進車の通行が切れるのを待っているとする。ターンシグナルが出ていないクルマは直進すると考えるのが普通だ。交差点内の衝突事故の責任割合は、曲がる方の車両の責任が9/10とかの一方的に重い過失を問われる。だから慎重に安全な距離とスピードを目測しながら待つしかない。
すると、うお!直前になって急にターンシグナルを点けて交差点を曲がりやがった!セッカク俺様が今まで待っていたってのに。
朝の混雑する交通の中にあって何気なくやっているヤツって、すごく多いのだ。しかも最近こういう奴が確かに増えていると感じている。約3割のドライバーがこれをやる。老若男女の区別無く、やる。中にはサインを全く出さずに曲がるヤツさえいる。
ああ、判ってますよ。悪気は無いのかもね。ただ、人の立場になって考えてみてはどうかね?さてはアンタ等、運転の時だけじゃなくて人生全ての局面で同じことしているでしょう?
だがこの話はあくまでローカルの話題。関西方面では更に酷い状況だってのは聞いている。この程度で済んでれば良し、とするか。でも、こういうことって悪い習慣になるんだ。定着しちゃ困るんだよー。

それでは皆さんまた明日。

▼2009年10月20日(火曜日)

【有りそうだけど無いもの】

色々な物を蒐集する趣味というものがある。自動車のコレクター、蝶々のコレクター、書籍のコレクター、切手のコレクター、カメラのコレクター・・・ま、これらはたいてい男性の趣味だ。女性だったら靴とか下着?とか集めたりするのか?それはよく知らないが、集めた物を系統立てて整理し、厳重に保管する意思を貫く、というのが蒐集癖だとすると、これはやはり男の趣味なのだろう。
で、私の場合は自分でも不思議だけど全く蒐集ということに興味が無い。物を失うことにもわりと無頓着だ。たしかに大事にしている物が盗られたり、傷んで駄目になったりするのは残念と感じるけど、物が無くなったというのは淡々と受け入れるべき事実という受け止め方である。
こういう態度が災いしてか、腕時計をこれまで幾つなくしたことか。高価な物は一つも無いけれど、今思い出すだけでも10個はくだらない。お気に入りのバイクも盗難に遭って戻ってこないし、気に入りだった財布も中身ごと何度も失っている。○万円入りのアザラシ皮の財布を本州四国連絡橋の上で華々しく失った苦い経験もある。
腕時計は無いと困るので失くした回数だけ新に購入することになるが、今回時計を探しに行って面白いことに気付いた。腕時計って日付を示す小窓があるものもありますね?で、日付と曜日の両方がわかる小窓がついているタイプもある。日付が付いているタイプは3月と5,7,10,12月の最初に日付を一日に進めなけりゃならない。つまり前の月は31日が無いからね。
私のように基本的に週末が休みのサイクルで仕事をしている人間は、日付は要らないから曜日だけ示す腕時計が欲しい。それに、曜日の更新だけは順番通りに続いていくからリューズに触らなくてもいい。防水の製品であっても、リューズを動かすときは防水性が失われるわけだし、年差1秒とか2秒とかいう現代の腕時計には、時刻合わせなど必要ないのだ。
で、今回探してみたのだけれどこれが見つからないんですね。販売のプロに尋ねたのだけど、どうやら全く存在しないようなのだ。不思議でならない・・・
これみたいに、有りそうで無いものって沢山あるのじゃないか?ビジネスチャンスもあるかと思うが、どうでしょう?

それでは皆さんまた明日。

▼2009年10月12日(月曜日)

【偽ボーズ最新情報】

久々に駅へ続く地下道を通ったら、体育の日の今日も居ました、いつもの場所に。前回見たときは真っ赤な紙袋が足元の後ろ側に置いてあり、「ああ、着替えが入ってるのだな。駅のトイレで着替えているというのは間違いな」って思っていた。見るたびにコイツが偽ボーズだという確信が強まるわけだけど、今日は奴さんとうとう後ろの壁に寄りかかっちゃっているじゃん!それでもって右手を後ろに廻して手摺を掴んで、左手はナンかお椀みたいなもの(托鉢のつもりだ)を捧げ持って、かなり見苦しいポーズだ。
詐欺なのは良いとして、せめてもうちょっと真面目にやれ!と言いたい。僧衣の前掛けには食べこぼしみたいな大きな白い染みもあるし、壁に寄りかかってリラックスしている修業僧なんているかよ!ふざけんなっ。
それではみなさんまた明日。

▼2009年10月09日(金曜日)

【オーラの泉】

大相撲のファンだという20代の女性と話した。ここ7,8年、大相撲の千秋楽には絶対(仕事を休んででも!)仲間とお小遣いを出し合って升席を確保するのだという。『若手力士との合コン』に参加したことさえあるというが、ご祝儀の金額が一般人民には文字通り“桁違い”であるため、そう何回もお金が続かないことを嘆く。
「今年の千秋楽を一番盛り上げたのは誰だと思います?」と振られて、力士の名前には詳しくない私が黙っていたら、『鳩山さんでした』と続けた。総理大臣杯の授与にはほぼ毎回、代理人ではなく総理本人が出かけてくる。今回の新総理の入場に国技館場内は大盛り上がりで、多くの観客が立ち上がり、「鳩山コール」を送った。
力士の表彰式というよりも寧ろ総理のお目見え舞台の趣きがあり、大臣は観衆に応えて両手を振る鳩山氏。『やっぱオーラ、出てましたね』
最もオーラの感じられなかった総理大臣表彰は誰か?と尋ねたら、それは『安倍ちゃん』だったそうで、まあ、納得の結果だった。※あくまで個人の感想です。

それではみなさんまた明日。

▼2009年9月15日(火曜日)

【あなたが知らない世界】

定年の頃をはるかに過ぎて、何もすることがない。特に趣味もないのでぶらぶらしている。そんなヒマ人たちがなんとなく集まって談笑する“暇つぶしスポット”の存在は、労働に勤しむ一般人には想像しにくいことかもしれない。
病院や接骨院の待合室、図書館、市役所のロビー、デパートの階段室など。立ちっぱなしでは疲れてしまうから椅子のある場所が選ばれる。雨風をしのげる環境で、ついでにエアコンがあれば完璧だ。
それぞれの“暇つぶしスポット”を似たような顔ぶれが巡回しつつ離散集合を繰りかえし、日が暮れるまでおしゃべりに耽っているという。だからいつの間にか互いの経歴や経済基盤、家庭内の内輪もめに至るまで種々のどうでもいい情報が蓄積され、共有されるのだ。
これらのサークルは基本的に高齢者で構成さるゆえか、そろそろ言動が怪しくなっている人も少なくないらしく、それにつけこんだ犯罪者連中にはオアシスだといえる。数多の詐欺師、たかり、ぶちハイエナ、などが獲物を探して日々集まるのだ。まあ、それはさて置き・・・
今年75歳になるHさんはこの“暇つぶしスポット”に集まる常連。そこで仕入れた彼女の話はどれも脱力感溢れる逸品揃いだ。その中から三作を紹介してみよう。

『宝くじ話その1』:ある田舎のタバコ屋の婆は、店で宝くじの代理店をしていたが、近所の女性がそのタバコ屋で購入したくじがたまたま3億円の大当たりに当選したことを知り、どうしても黙っていることが出来なかった。で、普通の神経なら『当店で大当たりが出ました!』といった看板を作って店の喧伝に努めるところだが、この婆は誰が大当たりをゲットした人物なのか近所で喋って廻っちゃった。「ウチで買ったんだよ。疑うなら本人に聞いてみるといいだろう?」って。その日から不運な当選者の女性の家には数多のタカリ、貯蓄や投資の勧誘、自称慈善団体や宗教の勧誘、オオカミ、ハゲワシ、ハイエナ、ジャッカルなどが続々と押しかけ、嫌がらせの電話も朝から晩まで鳴りまくり、ついには夜逃げをしたという・・・実話である。

『宝くじ話その2』:Hさん達のグループがデパートの階段室で溜まっていたある日のこと、メンバーのうちのある年配の女性が最近ちょっとおかしい。「お腹が空いた、お腹が空いた」と独り言を続けるので「○×饅頭でも買って来たらどうか」と勧めた。30分くらい経ってから何故か手ぶらで帰ってきた。曰く「列が長くて買えなかった」のだという。そんなはずは無いのに・・・と訝しく思っていたら、しばらくしてまた腹が減ったと言いだした。今回は「んじゃ地下の売り場でパンでも買って来たら?」と勧め、こっそりその後を追ってみた。地下の食料品売り場にあるパン屋さんで商品を選んでいる彼女を見て、ああよかった、目的は忘れてないんだ、と安心していたら、支払いの段になってレジで揉めている様子。後ろに列ができ始めている。そこで近づいてみたら事情が判明した。彼女が支払いに使おうとしているのは宝くじの束だった。Hさんが財布を調べてやったが現金が入っていない。饅頭屋でも同じことをしていたと推察される・・・実話である。
※この文章を読みかえしてみてあることに気付いた。現金と宝くじを混同していたのではなく、視力の衰えから宝くじを商品券と取り違えていたのではないかと・・・
『偽ボーズの正体』:駅に向かう地下道の同じ場所にいつも立っている僧侶がいる。ここに住んでいる人なら20年くらい前からこの場所にこの僧侶が立っている。白い着物の上に黒い薄衣をまとい、大きな編み笠を被っているから通り過ぎる人たちには鼻から下のしか見えない。左手には小さな木箱を持っていて、右手は意味ありげに印相を作って長い時間じっとしている。通行人が「偉いお坊様の修行なんだべ・・・」と木箱にお布施のつもりで金を入れていくというシクミだが、コイツ実は修行僧でも托鉢でもない、競輪好きの元チンピラなのだ。
そもそも、就業中の僧侶が真昼間にこんな人通りの多いところで乞食紛いの行為に及ぶわけないじゃん!・・・実話である。
※後日談:コイツと同じことをしている人物を名古屋駅前で発見!全国あちこちに居るのだろう。奴さんの足元には派手な青色のアディダスのスポーツバッグがあった。おそらく着替えが入っており、『仕事』の前後に駅のトイレで変身しているのだろう。
まだあるけどもう書きたくない。『あなたが知らない世界』だけど、『あなたが係わりたくない世界』の話だ。


それではみなさんまた明日。

▼2009年7月13日(月曜日)

【ラオスの通貨】


ラオスにはコインが無い。通貨の呼称は『キップ』。貨幣の鋳造より紙幣の印刷の方が製造コストが安いからだと思われる。ルアンプラバンに到着した時、わたしの財布の中にはバーツが沢山あり、それはラオスでも通用しちゃうが、つり銭はすべてキップで返ってくる。ゼロが多数並んで印刷された汚い札にたじろぐ。その辺の食堂の値段表にも末尾にゼロがいっぱいある。こりゃ大変だ!
バーツに慣れている人のために、大雑把な値段の掴みかたを紹介しよう。紙幣や値段表に50,000と書いてあれば、先ず000(=三桁のゼロ)を視野から取っ払って、それから2で割れば、ほぼバーツに換算できたことになる。
とても重要だから、以下はしっかり把握してもらいたい。ラオスの通貨単位はキップだが、1キップ紙幣は流通していない。昔はあったのかも知れないが、とにかく現在は存在してない。10キップも100キップも印刷されていない。とにかく1000キップが最小の通貨単位なのである。そういうわけで、札に印刷された下の三桁の「000」は見なかったことにする。0の数が多いのでついつい怖気づいてしまうが、ここんとこがわかっていれば、クィッティオ屋の店先で不安になることも無く、買い物も落ち着いてできるようになるだろう。これが体得できるまで3日も掛かったのがナサケナイが、ご参考までに。

それではみなさんまた明日。

▼2009年7月12日(日曜日)

【6月のルアンプラバン情報:その3】

宿泊したホテルはこの辺で採れる豊富な木材をふんだんに使った趣のある静かな施設だった。今回の誤算は天候。雨季で涼しいのかと思っていたら大まちがいで、最初の二日間がめちゃくちゃに暑かった。ラオスからタイに移動してから、暑気あたりで腹を壊し丸一日無駄にしたほどである。でも滞在最終日は夕方雨が降ってくれて気温が下がり、少し助かった。
朝起きて、何をすることも無いので、メコン川沿いをぶらぶらしていると若い船頭が声を掛けてきた。彼と契約し、対岸にある「陶器の村」に連れて行ってもらった。ひたすら暑い地面を離れて広い川の真ん中に乗り出すと、川面を流れる気流が涼しく感じられる。船頭が対岸の川岸に舟を係留し、緩やかな階段を10mほど昇ると集落に到着だ。足で廻すロクロの上に載せられた粘土の塊が見る見るうちに大きな瓶に形を変えていく。素焼きの窯を見学し終えて舟への帰り道、未舗装の道路のそこかしこにゴミが散乱しているのに気付いた。おーのー・・・
どの国でも同じだが、教育が行き届かない連中ってものはゴミを捨てにはとことん無頓着なようで、我々を案内してくれた若い船頭も、だめだこりゃ・・・池にくつろぐアヒルたちに向かって飲み物の入ったビニール袋を投げつけて虐めてたりしてる。奴にとっては日常の行動なのだろうが、数少ない観光資源なんだから、もっと大事にしろよ。この他、近隣の滝を見に行くとか、紙漉きの村を見学するとか、織物の集落を見学するとかが定番の観光スポットであるが、陶器の集落の無残なありさまがわたしに後ろ向きの気持をもたらしたため、何処にも行かずに終わった。
ルアンプラバンの人々の名誉のために付け加えると、金曜日の早朝、ホテルの前の道に近所の人が横一列に拡がって道路のゴミ拾いをしていた。さすがに観光客の滞在する地域では意識の高まりがあるようだ。
このあと旧王室に係わる博物館や、仏教史跡などを見学したら、見残したものは無いという感じになるほど小さな地域だ。博物館前の小高い丘は全体が仏教史跡で(っつっても階段300段ほどで頂上に着くが)その頂上に遊びに来ていた地元の小学生と言葉を交わす。言葉さえ何とかなれば老若男女友好的な性質の住民だ。帰りも到着時と同じ空港から出国したが、出国手続きを担当する係官の態度も気持の良いものだった。

それではみなさんまた明日。

▼2009年7月11日(土曜日)

【6月のルアンプラバン情報:その2】

だがしかし郵便局の角の歩道にはCD屋が陣取っており、スピーカーで大きな音量で音楽を流している。個人的にはこんな店、撤去してほしかった。
静かなルアンプラバンだがメインストリートにはexchangeやレストラン、ツアーショップが立ち並ぶ。ラオス北部に向かう旅行者のベースキャンプのような使われ方をしているらしい。ここの観光客の殆どは白人だ。彼らは仲間同士で集まりたがる傾向がある。おまけに地元の人たちの食べ物は好まないので、あのような田舎でピッツァとかハンバーガー、スパゲッティーなどを喰うしかないようだ。白人観光客のたむろするレストランの食事代金は現地の20倍はくだらない。このような観光客を当てこんで、メインストリートの内100m程を仕切って毎晩のようにナイトマーケットが設営され、地元の産品やみやげ物などを売る店のテントが多数立ち並ぶ。あるオープンカフェーで若干名、ラオスがいまだに植民地であるかに振舞う某国の馬鹿者も確認したが、数は多くない。
尚、prostitution関係の施設や人は見当たらないから、その方面目的の人々が滞在して楽しい場所ではない。また、外国人の立ち寄るレストランでラオス料理を注文してもその味は、まあラオスの犬なら喰わないだろう程度のもの。インドシナの味付けに慣れている人なら、郵便局からメコン川に向かって下る道沿いに夕方から商売を始める地域のオカズ屋がある。滋養のある旨い食事を袋詰めにしてもらいゲストハウスに持ち帰るがお勧めだ。もとめた食べ物をプラスチックの皿に盛ってもらい、歩道の上に並べたペナペナしたテーブルで蚊に血を吸われつつラオ・ビアと共に食すことも可能だ。
それにしてもこの小さく静かな街が今後はカオサーン化していくのは確実で、10年も経てばその荒廃した様を確かめることができるだろう。前回書いたように、ここには観光資源が少ないし、外国人相手の商売は桁違いの収益を上げることができるからである。
それではみなさんまた明日。

▼2009年7月10日(金曜日)

【6月のルアンプラバン情報:その1】


翌朝の飛行機で向かったルアンプラバンの空港は一応国際空港だが、空港の建屋は日本の田舎にある駅舎の趣きだ。イミグレーションホールには2m四方の木製のカウンターがあり、3方を仕切て嵌められたガラス板越しに役人が手続きをしているのが見える。室内の主な造作には木材が使われており、柔らかな雰囲気を醸し出している。共産圏特有の鼻を括ったような態度を予想していたが、外れた。嫌味のある応対ではなくスムースに通過。駅舎(ホントは空港だが、外観はまさに田舎の駅舎だ)の前に役人が座っているカウンターがあり、待機するソングテウに旅行者を割り当てている。街までは20分ほどの道程だ。ルアンプラバンは王宮や仏教史跡など歴史的な建造物も多いところ。メインストリートは一本のみで、街の地図を頭に入れるのは実に簡単だ。交通量も少なく、信号機がひとつも存在しない(!)。サムローもトラックもモトサイも、排気音は静かで、タイとの違いを好ましく感じる。滞在中にたった一台、タイ風の「ビエビエ」いう大きな排気音を出してモトサイが通過したが、それを見送った地元の人たちの目は冷ややかだった。騒音に対して無神経な人間が少ないことを好感!

それではみなさんまた明日。

▼2009年7月9日(木曜日)

【6月のスワンナプーム情報】

新型インフルエンザ禍で面倒くさいことになっていなけりゃいいなー・・・と思いつつ隣国へのトランジットのため2年振りに降り立ったスワンナプーム空港。成田からの機内にはマスク装着の人物はいなかったし、イミグレーションカウンターへ向かう通路にもそれらしい雰囲気は見受けられなかった。3月あたりのニュース報道で記憶に新しいが、空港の到着ロビーを通過する人たちに赤外線カメラを向け、高熱がある人をチェックしているアレ、帰国時の成田ではやってなかったし、世界的には『もう終わりかけた話』扱いとなっているみたいだが、タイでは相変わらずやってました。
椅子に座ってモニターを見張っている女性の役人は残念ながら居眠りしていて、緊張感ゼロ。形式を整えるだけで精一杯という南国独特の仕事運びを世界の旅行者に披露している。
尚、二年前の開港時に見られた天井の夥しい蜘蛛の巣は撤去されており、それはそれで寂しかった。

それではみなさんまた明日。

▼2009年6月1日(月曜日)

【踊る胃袋】

自分自身で身体の痛みがあると気付いたとき、実務上の参考になるからウレシイ、みたいなことを書いたことがある。例えば腰痛が発生したとき、対策としてコルセットを装着し、その効能を確認することができるチャンスだから。多くの患者さんが訴えるように、コルセットを装着し続けることは確かに面倒だ。固定力の強さと装着を続けることの煩わしさは比例するのだ。そこで、自身の腹筋を緊張させることでコルセットの代わりを務めさせるという対案を思いつき、実践の機会を窺っていた。
今朝、腰痛の予感が横切ったので、いいチャンスと捉え、朝から昼まで、腹筋を強く緊張させ続けて仕事をしてみた。腰痛を回避することは出来たのだが、その代わりお腹が痛くなってきちゃった。腹筋の異常な緊張により、自身の胃袋が圧迫されて起きた思わぬ副作用である。
20年以上前に視たテレビの科学番組を思い出した。被験者の胃袋の動きを撮影して、メンタルコンディションが胃の動きにどういう与えるか検証するという企画だ。バリウムをしこたま飲んだ被験者は、テレビレントゲン装置の前に立っている。実験を撮影する間、膨大な量のレントゲン線を浴び続けるわけだが、その点は大丈夫だったのだろうか?まあそれは置くとして、その実験では被験者を怒らせて胃袋の動きを観察するのだけど、これが凄い結果をもたらす。被験者の胃袋はバリウムの影として表現されるのだけど、まさしく「激怒」を直接表現したダンスであるかのようだった。迫力の映像は強く印象に残った。でも何故かその後この映像に巡り合わない。さては発表を控えざるを得ない理由が、問題が、あったのか?
当時から心に引っかかっていた素朴な疑問は、この実験の方法についてのものだ。実験に協力してくれた親切な被験者をどうやって怒らせたか?ってこと。騙して連れてきてバリウムを大量に飲ませておいて、さらに本人が知らぬ間に大量のレントゲンを浴びせつつ被験者をうんと怒らせるって、そりゃ倫理的にもマズイだろう、だから、実験の内容については事前に説明されており被験者も納得していた筈だ。にも係わらず観察者の期待通りまんまと被験者は怒らされており、胃袋は真に迫る映像を提供している。どんな酷いことを言って苛めたのだろう。黒い想像を掻き立てられずにはおれない。

それではみなさんまた明日。

▼2009年5月20日(水曜日)

【とても感心したはなし】

このあいだの夜、当地で震度3くらいの地震があった。ちょうどみきまつで作業中だったので覚えていたのだが、少し経ってから年配の女性と話しているときに関連の話題になった。その人が数人の友人どうしで話していたら、先日の地震は前日に行なわれた北朝鮮の核実験の揺れに違いないって話した人がいて、冗談としてウケて盛り上がるのかなって思って聞いていたら、「わたしもそう思った」と激しく同意した人が何人もいたのだそうだ。
凄い。どうしたらそういう発想に至るのだろうか?ここから1000キロ以上も離れているんですぜ?たとえピョンヤンの中心部が消し飛ぶような核爆発だってこの近所で体感できるような強い揺れを起こせるわけ無いジャン!
頭痛がするような話だが、その人達は「地下実験だから揺れが伝わるのにも時間が掛かるのだな」と考えたそうで・・・逆ですよ。密度と振動の伝わり方は比例するんですから。子育てが終わって10年以上経過した、いい年をした女性の仲良しグループだったそうだが、この件に関しては豊富な人生経験も役に立たなかったようだ。
このようなタイプの人々が人類の中でなかなかの割合を占めているとしたら、世にあまねく生息するいんちき商人や怪しい教祖様も、騙す相手に困ることはないだろ。へっへへ・・・

えにうぇい、ジョンイルなかなかシブトイ。チームアメリカワールドポリス派遣してみる?

それではみなさんまた明日。

▼2009年2月4日(水曜日)

【喰われてナンボ・・・被捕食者の運命】

前回の続きだけど、院内のテレビセットで見ているCS放送、私の好みの自然科学系の番組を中心に録画して、わざわざコマーシャルを消してから視聴している。まってくもって、ご苦労サンだ。
自然科学系っていっても、基礎になる学問は必要なくて、その上澄みだけを楽しませようという趣旨だ。動物の生態を取り上げたものを観ることが多かった。別に学問の講座じゃなくて、営利放送のための番組だから、エンターテインメント性が必要だ。リサーチの結果で人気のある番組が多く放送されるのだろう。
捕食動物の生態を取り上げた番組が多い。アフリカのどこかの国立公園で、逃げ惑う群れの仲間に追いつけない脚の遅い年取ったヌーのお尻に、ライオンがスルドイ爪を深くつき立ててそのまま引きずり倒したり、群れの仲間と川縁で水を飲んでいる幼いインパラの首筋に、突如水面を破って現れたワニのギザギザの歯がばっくりと食い込み、そのまま泥川の中に叩き込まれたりといった、攻撃性全開の弱肉強食映像が目白押しだ。捕食動物どもをただ観察する番組だけでなない。個体それぞれにミックだことのキースだことの名前を付けて擬人化し、ドキュメンタリーに「物語」を被せていく構成の番組も多い。
一年間、いろいろ観てきて気付いたが、いわゆる捕食者の行動を追う番組はいくらでもあるのに、喰われてしまう側の視点から作った番組はまったく無かった。
視聴者には捕食動物により多く共感するというリサーチなのだろう。弱い者達を従えて君臨する潜在的欲求があるってか?また鯨やラッコは可愛らしいから保護するのは当然だけど、そいつらに喰われているオキアミや小型の魚類に感情移入の余地は全くない、という感性が普通らしい。ペットの犬に牛肉を与えることに何の違和感も感じない類に一脈通じるところがありそうだ。
仮想追跡取材:シマウマ一家の365日・・・先週、膝の具合が悪かったおばあちゃんシマウマが草原でライオンに仕留められた。今日はみんなに可愛がられていた2歳の末っ子シマウマが水飲み場でワニに襲われて居なくなった。気がついたら昨日の移動から隣のおばさんシマウマの姿が見えない、てな具合で家族や友人が次々に居なくなってしまウマ・・・みたいになる。そんなんでは視聴率取れないようだ。
植物やミクロの生物を扱う番組も非常に少ない。もっと観たいんだけど。

それではみなさんまた明日。

▼2009年2月3日(火曜日)

【このチャンスをお見逃し無く!】

院内に設置したテレビセットにCS放送の番組を流し始めたのは昨年のこと。最近のわたしの好みは「ナショ○」「ディス○」「ヒス○」「アニ○」で、これらのチャンネルを交互に視聴している。
これらの放送、アナログ地上波で流してるテレビ放送よりはだんぜん面白いんだけど、番組の合間に長時間の通販のコマーシャルが入る。番組のインターバルに2分~5分挟まれるのが通例だが、しばしば延々30分も垂れ流す場合もある。こうなるとコマーシャルというより通販番組そのものだ。覚えたくも無い注文先の電話番号も繰りかえし攻撃を受けるうちに暗記させられてしまった。もっと覚えておかなきゃいけないことが沢山あるのに!
キイキイ声の社長が電気製品を、ビール会社が落語家を使ってサプリを、サプリ会社は精力剤を、水産会社は蟹を、売って売って売りまくる。化粧品、ジューサー、掃除機、食品保存パック、懐メロCDセット、体操のDVD、英会話教材、自動車保険、ローヤルゼリー、ブルーベリー、『もうこれしかないって感じですね』『ずっと飲み続けたい思てます』『お電話は今すぐ』『通販限定の特典です』『このチャンスをお見逃しい無く』『うん、こりゃ旨いわ』『これまでとはぜんぜん違って』『すっと染み込む感じ』『ちょっと待ってください。今回は更に』『・・・をお付けしてもお値段そのまま』『これだけでいいんです、努力する必要はないんです』『あらー、すごーい、信じられなーい』『ご覧くださいこの違い』などなど。正気を保ちつつ視聴するのは困難だ。
CS放送の番組は毎時00分から始まるが、その前の15分が通販ゾーン。先に挙げた4つのチャンネル全てがこのパターンで放送してる。去年まではイチイチ国営放送にチャンネルを変えていた。そしてロクな番組が無いのに気付く。ここの受信料は他の放送局の受信料と抱合せ販売されている。とうとうHD-DVDデッキを買って番組を録画し、視聴する前にコマーシャルを手間ヒマ掛けて消去し、放映することにした。これだけでも余計な出費となったのに録画した番組がまた、CPRMのせいで自由な編集ができないときた。
普段はやさしい私もキレそうだ。気に入った番組をHD-DVDデッキのメモリーいっぱいまで蓄えたら、一年くらい有線放送の契約を止めようかな。番組の面白さと周辺事情の煩わしさを天秤に掛けている。

それではみなさんまた明日。

▼2009年2月2日(月曜日)

【愛と砥石】

午前の部最後、患者さんと話をしていたら、その人が買い求めた砥石の入れ物に、「お手入れすれば半永久的にお使いいただけます。」と表示があって、それを見たら随分得な買い物ができた気になって嬉しかった、と言う。ああよかったですね・・・そのときはソツ無く会話を終たのだけど、思い返すに引っかかるものがあった。
そもそも、砥石の分際で“半永久”は言い過ぎじゃないか?それに“半”ってなんだよ?永久が区切りの無い時間だとすりゃ、その半分たってゼロに0.5を掛けるようなもんだ。だから半永久は、永久と同義じゃん・・・
国語辞典で引けば『永遠』は、過去・現在から未来に至るまで、時間を超越して、無限に続くこと、とあるけど、『永遠』の実態は概念に過ぎない。時間が何処で始まって何処で終わるのかを誰も証明していないからね。
実用的な『永遠』の意味は人類有史以来、その滅亡まで、という限られた時間のことだ。それにしたって大袈裟な言葉だけど。 砥石の説明書くらいだと“半”とつくから遠慮が感じられるが、ダイヤモンドなんか“永遠の輝き”などと言い切ってる。でもダイヤがその輝きを保つのも、地球の軌道が崩壊寸前に膨張する太陽に飲み込まれる迄のことだ。100億年くらい先らしいけど。
時間だとか永遠だとかの捕らえ方が難しい概念は、商売の目的で気安く運用されるだけでなく、その気になれば加工が自由で融通が効くから、宗教や愛情とかの方面でも多用されてる。
サワリだけでも物理や化学を学んでいれば『永遠の命』がどうだとか『輪廻転生』がどうしたとか、どれも大袈裟なファンタジーじゃん?と見当がつく。砥石の説明書と大差ないと思うのだ。
でも、『地球の軌道が膨張する太陽に飲み込まれるまでボクの愛は変わらないつもりだ』なんてグズグズ言ってたら振られちゃうから、取り敢えず『君へのボクの愛は永遠だ』って囁く。大切な局面では道理を捨てて実利を採るんだね。あたりまえか。

それではみなさんまた明日。

▼2009年1月24日(土曜日)

【それは私じゃありません!】

年金受給までには3年くらい時間があるから、と食堂の裏方に就職したMさん。
ある朝、近所の友人がただならぬ様子で職場に訪ねてきた。
「公園で休んでいたら、あなたが行方不明だって放送していたから、びっくりして探しに来たんだよ。いったい何があったの?」「はあ?わたしは何ともないよ。この通りあなたの目の前で働いているじゃないの・・・」
来るべき東海大地震の対策として、緊急放送をする目的で、静○市の公共の場には巨大な拡声器が設置してある。毎年9月1日には、朝9時にここから地震警戒宣言模擬訓練とかで怖ろしい大音響のサイレンが鳴り響く。で、それ以外にも折々に、警察から全国交通安全運動実施中だとか、消防署からは全国火災予防運動だから火の始末をしろだとか、次は市役所から大雨に注意してとか、そんな放送に使われている。サイレンの音は単純だから良く聞こえる、人の声となると何を喋っているのかほとんどわからない。巨大なスピーカーを天辺に取り付けた柱があちこちにあり、距離が近いやつと遠いやつの音波が互いに干渉し合うからだ。この防災無線システムを用いて市民の要請に応える親切な『広報静岡』という放送がある。郷土の誇りだ。
放送は前触れ無く機械のノイズから始まる。『んがーーーー・・・ぽんぽんぽんぽん(チャイム)・・・こちらは・・・こーほー・・・・しずおかです・・・・・・』
音波の干渉を少しでも避けようとしてか、単語をイチイチ区切って、おまけにも~の凄くゆっくりと喋る。『ゆくえふめいしゃの・・・・お尋ねをいたします・・・・市内○△町の・・・・みきまつ・・・・せつこさん・・・・ろくじゅうななさいのじょせいが・・・・きのうの午後四時頃より・・・・ゆくえふめいと・・・なっています・・・』
なにしろ“間”が長い。『特徴は・・・・黒い髪・・・・茶色の、カーディガンと、黒いスカートを、穿いており、メガネを掛けて、います・・・』『見かけたかたは・・もよりの、のけえさつしょまで・・・・お知らせ・・・ください』二回繰り返してから『んがーーーー・・・ばつん』ってスイッチが切れるノイズで終わる。内容を聞き取ることができる人はホンの僅かだと思われる。こんなことをやっても発見に繋がるとは思えない。著しく実効性に欠ける、この素晴らしい放送を、誰が発案し、誰が実用性をどうやって検証したのだろう?で、その過程や結果に誰も疑義を挟まなかったのだろうか?これまで何年もやっているのである。
その日の朝、公園のベンチで憩っていた友人の耳に飛び込んできたのがMさんのフルネームだった。Mさんと同姓同名の誰かが行方不明になっており、心配した家族の要請により放送となったのだが、名前以外の特徴はよく聞き取れないから、友達が捜索されていると思い込み、こりゃ大変だ!と、一生懸命にMさんの立ち回り先を探してくれたというわけだ。Mさんが行方不明になったという話は他の人からもあちこちで伝えられ、尾ひれがついて広まっていった。誤解が払拭されるまでには多くの日数を要したという。
『先ほど放送した、あれはわたしじゃありません!』って放送しても意味無いですかね、やっぱり。

それではみなさんまた明日。

▼2008年12月13日(土曜日)

【締め切りは守ろうね】

王様と根性の悪い魔法使いとの間に揉め事が起きた結果、7人の兄王子達は7羽の白鳥の姿に変えられちゃってる。8番目の子供は姫だったが魔法の呪いを掛けられ、お城の隅にある尖塔の最上階に閉じ込められて毎日泣いて過ごしていた。そこへ性質の良い別の魔法使いがやって来て、姫に毛糸の束と編み棒を渡してこう言った。「大晦日の24時に7羽の白鳥が尖塔の窓のそばに飛んでくる。その白鳥は実は魔法を掛けられたあなたの兄達なのだ。ついてはこの毛糸の束を使って7着のベストを編み、その白鳥たちに投げてやるように。魔法が解けて元の姿に戻るから。」あと一週間しかない。高貴なお生まれでいらっしゃる姫にはこれまで編み物の経験なんか無かったから大きな試練だ。
姫はそうとう頑張ってベストを編み続けた。姫の夜通しの努力がみのって大晦日の夕方、7着目のベストが概ね完成した。なんとかタイミングを外さずに済んだようだ。連日の疲れが溜まっていたこともあり、ちょっとうたた寝をした。
鐘の音に気付いて目を覚ますともう辺りは真っ暗。アイヤー!大晦日の鐘が鳴っているじゃん!急いで尖塔の窓に駆け寄ると、おりしも東の空から7羽の白鳥が隊列を組んで窓の下を通りかかった。急いでベストを白鳥に投げかける姫。それを身にまとった白鳥は次々と魔法が解けて若い王子の姿を取り戻していく。めでたしめでたし。
さて、姫が最後の最後に思わずうたた寝しちゃったため、7着目のベストは左の袖が未完成だった。そのせいで、7番目の王子は左腕だけが人間の姿にならず鳥の翼のまま残っちゃった。
子供の頃読んだ本のなかにあった話だ。左腕だけが鳥の翼だってのは、かなり不便だろう。でも当時は子供だったし、「7番目の王子カッコいい!」と思った。もしこれら7人の王子達のいずれかに自分を投影できるなら、左腕がちょっと訳ありの王子になりたい。せっかく暫く白鳥の姿になっていたのだから、普通に戻ってしまったら詰まらないでしょう?異形の王子を想像すると、えらくカッコいいと思えた。壮絶な経験をしたことは一発で分かるし、アンシンメトリーの体格が勲章のようにもみえるだろう。この感じ、義眼の戦士に対する感情にも似ている。
荒唐無稽な状況設定に、現実世界で起こりうる出来事が織り込まれていて仔細に記憶に残っている。
その一:別に悪いことしたわけでもないのに降りかかる理不尽な不幸。その二:締め切りが近いのに気が緩む人がいること。その三:悪意の無い手違いが思わぬ結果を招くこと。など。
知り合いの編集者にこの話をしたら、「その、7番目の異形の王子まで持ってきた話の教訓はいったい何だろうね?」という流れになった。結局、「締め切りは守ろう、みたいなことか?ウチの著者に聞かせてやりたいねエ」ってオチになりました。

それではみなさんまた明日。

▼2008年11月3日(月曜日)

【ありがとうございます、せんせい】

接骨院の親方はたいてい「先生」って呼ばれてる。医師や弁護士、政治家や教員などと並んでわたしもこの呼称を、もっぱら社会的な区別の目的であてがわれているようだ。
医療機器や消耗品を扱う出入りの業者ならまず全員、そのように呼ぶ。私の顔と職業を知っている人、患者さんや、近所の自転車屋さんも、「せんせい」と呼びかけてくる。この仕事の資格を取得して接骨院を開業した当初は、そのように呼ばれる度に居心地の悪さを感じていたのが、いつの間にか慣れてきたようだ。休診日の今日、二軒おいて隣の自転車屋さんでみきまつ2号に依頼した作業を眺めているとき、店主が会話の中でわたしをそう呼んでいる。改めて気付かされた。
「先生」の呼称が割り当てられるのは、その職能を自らの利益の追求のみに使うのではなく、他人の直截的な利益のために用いる人々、と考えることもできる。 反面、呼称と本人の実態が乖離していると判断される場合や、相手を持ち上げて嬉しがらせるための方便として使われると、一転して価値の無いぺらぺらした呼称になってしまう。接待で連れて行かれた飲み屋やゴルフ場で「センセイ、センセイ」って呼ばれて嬉しそうにしてる愚か者の顔が想像される。「センセイ」は本人の居ないところで蔑称として使われることすらある。蔑称として使われる場合、文章はカタカナで表記され、漢字の場合とは違うことを示している。
友人の鈴木君は今は某接骨院の「先生」だが、マッサージ師の免許も持っており、その免許を取得した時分、出張もするマッサージ院に登録して仕事をしていたことがある。夜遅く、あるお金持ちの家に呼ばれ、さて玄関から入ろうとしたら、家人に「按摩のセンセイは表から入っちゃあだめだよ、裏口を使わなきゃ。」と指図されたことがあり、この職業の地位の低さに涙したそうだ。
以前、みきまつ出入りの業者に「先生」って呼びかけるのを止めてくれないか?と頼んでいたことがある。近所の人にも「みきまつ」で充分通じるからと、イチイチお願いしていたこともあったが、そのうちにそんな要請はやめた。だって、「先生」と呼ばれて決まり悪さを感じるってことは、「呼称に相応しい社会の期待?そんなのに答えるつもり、全くないんだもんね!」なんて表明とも取られかねないでしょう?それちょっとマズイかなと。
研究心も持たず、誠意の無い片付け仕事を続けるだけのボンクラであるにも拘らず、みんなに「先生」と呼ばれることが平気になっていく可能性もあるだろう。そんなことにならないよう明日から精進いたします。今日は休みだからユルんでいてもいいんだけどね。

それではみなさんまた明日。

▼2008年9月11日(木曜日)

【タイ語で話しかけられる】

みきまつ接骨院の道路に面した部分は、白いアルミサッシで大きく三つの区画に分けた構成になっている。真ん中が両開きの出入り口であるが、その左右の区画は大きなガラスを嵌まってる。右側のガラスに、バンコックでカッティングシート屋に切ってもらったタイ語の文字が貼り付けてある。当院でやっているタイマッサージの広告なのだが、実際これを見て申し込んでくれた人はマイミークライ、誰も居ない。
ま、元からシャレで貼り付けたタイ文字だからいけど、これを見てタイの人が道を聞きに来た話しを2006年11月17日の日記に書いた。 5,6人のタイ人がそのタイ文字を見て入ってきて、近隣のお寺への道案内を求めたという内容だ。
昨年秋に、このタイ文字は、県東部の街で働くタイ人の女を呼んだらしく、急に入ってきて、「誰かタイ人が働いているの?」と聞いた。タイのマッサージを施術したり、教えたりしているのだ、と説明したが怪訝そうな顔をしている。その女は熱海にほど近いその街の何処かでマッサージショップをやっているらしい。タイ人じゃなければタイマッサージを上手くやれるわけが無いっていう珍妙な自論を一方的に展開して帰っていった。じゃ日本人はみんな柔道できるっていうのか?と言っても通じない感じだった。ふー。
昨日の昼前には女二人と男一人のグループが入ってきて、突然タイ語で話しかけてきた。ここから4kmほどのところにあるタイレストランへの道を尋ねてくる。この辺の地理には不案内、しかもこの人たちは4年も日本に住んでいるのに漢字がほとんど読めない。目的地周囲の地図を検索してプリントアウトして、仔細に地理案内をしてやった。店の電話番号も調べてやったから大丈夫と思うが、行動力が旺盛なわりに地図を見るのが不得手なのがタイ人だ。無事たどり着けたかどうか。彼らは4年前から県東部、沼津市でタイレストランを経営しているのだという。その店には前に伊豆にバイクで行った折に寄ってきた記憶があった。言われてみると、ああ、3人の中の一組の男女の顔に見覚えがありました。
さて、知らない人たちには模様にしか見えないこの文字列、相変わらずみきまつの店先に貼り付けてある。広告効果はゼロに近いけど。

それではみなさんまた明日。

▼2008年9月2日(火曜日)

【物を捨てる】

独りで三部屋使って生活してると、物が増えることはあっても減っていく機会は少ない。結果、小さな部屋を横切るだけなのに床の上に散らばった多数のの品々を迂回しなけりゃならないことになる。不用品の山の谷間で生活しているような、いやな感じは徐々に増してきており、一昨日とうとう大鉈を振るうことになった。書籍やdvd、着衣や食器、小物類を一斉に処分することにしたのだ。
洋服の処分は比較的楽だった。書籍やcdと一緒に引越しの度に段ボール箱に入れて運んできたものだが、礼服をのぞいて一年以上身に着けていないものは容赦なく処分する。今回はビデオシステムとビデオの資産、ブラウン管のテレビ、調子のおかしいCDデッキ、重量のあるスピーカーなどをひと息に処分した。書籍の仕分けには時間が掛かりそうだ。いちいちページを繰ってしまうともう駄目である。とりあえず今回は書棚に整理しておき、処分は来週に先延ばしすることに決める。
今回の物品整理では、残すものと捨てるものを振り分ける基準を設け、前者の敷居はかなり高めに設定した。
たとえば被服の整理では、振り分け対象のシャツと、絶対捨てない予定のお気に入りのシャツを並べ、それが箪笥から消えたと仮定したとき、惜しい気持ちの度合いを比較して処分を決めるというルールを作りそれに沿って行なった。深く考えると時間が掛かり疲れるので、なるべく直感に従ってどんどんゴミ袋に放り込んでいく。
一日掛けて物を捨てまくった結果、夕方にはぎっしり不用品の詰まった自治体指定のゴミ袋が25袋も出来上がった。明後日のゴミ回収日に備えて部屋の外にこれらを出してみると、おお、部屋がひと回り広くなったかのようなスッキリ感。物の数が減ったことが素直にウレシイ。
捨てたものの中に、購入してから一度も袖を通さなかった洋服や、いつか使うかと保存していた機械の部品、大昔の預金通帳、プリントしたのにアルバムに整理していなかった大量の写真などが含まれていた。いくら資本主義社会に暮らしているからって、随分しょうもない買い物をし、拙い方法で整理をし、あるいは整理の決定を先延ばしにしてきたものだ。『消費は人生なり』ってことなのだからいいけど、今となっては不用品だと判定した品々に費やした金額や、それがあるために狭くしていた空間の価値を考えると、いろいろ反省せざるを得ない。この先は無駄な買い物をしないで済むだろうか?

それではみなさんまた明日。

▼2008年8月4日(月曜日)

【雲取山は暑かった】

棲家の掃除をしていたら、暫く使われる機会が無いまま埃を被っていた登山靴を発見。久々に日帰りの登山をしてみようと思い立った。仕事のほうは先週に引き続いて日曜日の予約を受け付けないように手配し、土曜日の夕方レンタカーを調達し、夜はザックを準備した。
翌朝7時から登山口へ向かう未舗装の進入路を歩き始める。前日は2時間しか睡眠を取れていないのだが身体の調子はまずまず良好。苔の写真を撮影する趣味があるので道々立ち止まりつつもぼちぼち登山道を進む。木立が緑の天井となるつづら折れの細い道を進むと、蛇、カミキリムシ、ミツバチ、蜘蛛、蛙、鹿など多くの生き物が目の前にあらわれる。日差しが強く湿度が高いため、運動量以上に消耗が激しいようで大量の発汗で着衣が重い。このように暑い時期にここを訪れたのは今回が初めてだ。途上ですれ違った人達の半分は短パンとTシャツのいでたちだったし、この天候に相応しい格好だと思うけど、わたしは長袖シャツと長ズボンを着けている。この時期発生している羽虫、蝿、蜂などから手足の皮膚を守るためだ。それに一昨年タイのプールで酷い日焼けを被ってから、皮膚の保護には常に気を使っている。
頂上手前までは穏やかな道程が続くこのルートだが、昇るに連れて勾配が強くなり、頂上前の斜度の強い尾根では脚の諸筋が痙攣を起こす。5分昇っては1分休むといった感じで30分ほど進むと山頂に出た。到着は昼過ぎだったが、山頂に居る登山客は7,8人で、閑散としている。そういえば今回、三上小屋アクセスするコースですれ違ったの人間は7人だけ。以前のアクセスの良さが進入路のゲートで遮られ、6kmものかったるい林道の道行きが加わったせいで、このルートの人気が失なわれているのかも知れない。
一息ついたら、速攻で下山だ。目的地に長居しないのがわたしの流儀、とか言ってみる。
ここ5年ほどは、登山の復路でわたしの両膝が音を上げるのがお約束だ。膝の軟骨が減っているせいだと理解している。今回も山頂から急勾配を20mも降りないうちに激しい両膝の痛みが始まった。やれやれ。
でも今日の話はここからが本題。 わたしの場合、坂道を降りるときと昇るときでは痛みに歴然とした差がある。今回も、きびすを返して斜面を昇ってみると不思議なことに全く痛みが無い。これは膝の運動解剖学で説明できよう。
斜面を昇っているときには体重の5、6倍もの力が関節に加わるということだ。でも斜面を上に向かって歩行する際には、膝の関節面は常に回転しており、一箇所だけに加重が掛かり続けることはない。一方、斜面を下に向かって進むときは膝を伸ばして足を地面に着くから関節面の回転はなく、伸ばした位置ただ一点で加重を受け止める。この部分の軟骨は磨耗し易く、また既に磨耗があるなら痛みの素因になる。
今回は2年のブランクにより膝周りの筋力の衰えたためか、もう一歩も進めないというような膝痛に発展した。陽も落ちてきたし、立ち往生したまま下山できないのでは困るので、やむなく斜面を後ろ向きで下りる非常手段にでた。
両手に握ったストックを斜面の高いほう(体の前方=進行方向の逆)につきながら、頭だけ後に向けて進路を確かめつつ大股で進む。この後ろ向きの下山方法では痛みが全く無いのだ。
スピードは速く、膝の痛みも全く感じないすばらしい歩き方だが、最大の欠点は安全性の確保がムツカシイことだ。狭くて急で道の片方はかなり急な崖。だというのに良好な視界が望めない。
膝の痛みを訴えてみきまつにみえる患者さんの中で、関節の中の構造物の磨耗が疑わしい方には、階段を後ろ向きに降りるように勧めている。このアドバイスはわたしのこの山での経験から思いついたものだ。家の中の階段なら手摺をつければ良いし、すべり落ちたって階下までだ。
だけど急な山道での応用はお勧めできない。無事この日記を書いているのだから今回は崖から落ちずに済んだわけだが、途中何度かバランスを崩して非常に危ない局面もあったことは、ちゃんと書いておかなくては。
登山道に下りたら、ふたたび平坦な林道を都知事と東京都水道局に向かって悪態をつきながら6km歩く。三条の湯でビール休憩しただけだから、正味10時間歩きっぱなしだった。ふ~。
ところで、わたしの膝は確かに困った状態だが,斜度がキツくなければ問題なく直進できるのだ。だから下が筋肉痛にはなってはいるけれど、普段は後ろ向きに歩いたりしてないですよ、モチロン。

それではみなさんまた明日。

▼2008年7月25日(金曜日)

【生きるってムツカシイ】

電車の乗客になったとき“労わるべき対象”となるのはどんな人だろう? 松葉杖を使うなどして明らかに脚を怪我している人、妊婦、幼児を連れたお母さんといった場合はまあ、当然の思い遣りということになるだろうが、年齢の想定による選別をするとなると問題発生だ。
ちょっと前に観た韓国映画で、年若い登場人物が電車内で席を譲る場面が思い出される。男が、如何にも年寄りといった格好の女に「どうぞ」と声を掛けて席をたつ。女は若者の礼儀正しい振る舞いを当然のこととして受け入れ、着席する。
登場人物の若い男はためらうことなく相手を“労わるべき対象”と判定、一方判定された側でも自らを“席を譲られて当然”の立場だと認めている様子だった。
これってどうか?僕の周りにいる女性達はこのような扱われ方を素直に受けとめるだろうか。 「わたしはそんなに弱って見える?」と悲しくなったり、「年寄りに見えるってこと?」と自信を傷つけられたり、「隣の女よりあたしが老けて見えるの?」とムカついたり、「嫌がらせ?」と怒ったり、てな反応も珍しくなかろうと思われる。
人間社会で生きるってことはいちいちムツカシイもので、自分より弱いものに楽をさせる積りの、ちょっとした親切心発揮の場面でさえ面倒なスッタモンダがある。「空気を読み」まくっていろいろ考えているうちにチャンスを逸してしまうこともありそうだ。
この話しで盛り上がっていたら、友人はある時、幼児を連れた妊婦に席を譲ったつもりで立ち上がったら、母親が幼児の方を掛けさせた例を挙げ、何か釈然としない感じを受けたと述べた。
今年はチュニックなる、ぼってりとしたシェイプの女性の服装が流行っていて、これを着て電車に乗ったところ妊婦に間違われて席を譲られてしまった友人が続出したという。

それではみなさんまた明日。

▼2007年11月17日(土曜日)

【変わったひと】

朝10時。一時間前に中学生の距腿関節捻挫処置を終えてから、暫くサイトの更新準備(最近こればっかりやっていて日記の更新していない・・・)していたら、外で拡声器の声。
「朝早くから恐れ入りますが、ご町内の皆さんに、たいへん、重要なお知らせがありますのでお聞きください。」
ふむふむ。と耳をそばだてる。
「伝馬町通りに○○円ショップというコンビニエンスストアーがありますが、そこでは、毒物が流れ出す危険のある商品を売っていますので、十分気をつけてください(繰り返しもう一度)。」
ん?メッセージの異様な内容に耳をそばだてガラス越しに外をみると、神経質そうな痩せ気味の初老の男が向いの道端に自転車をとめ、自分の顔より大きな巨大な拡声器を握り締めている。彼と目が合わないよう、目が合わないように観察していると、ちょっと先に再び自転車を停めて、同じ内容を呼びかけている。彼が一方的に攻撃をかけているコンビニは200mくらい先にあるのだが、この人はこの通り沿いにずっと先まで“お知らせ”をして廻るつもり、とみた。
何だよ、“毒物が流れ出す商品”って?
これって、なにかの意趣返しだろうし、営業妨害なのだけど、そに手法はなんとも奇妙だ。わざわざ拡声器を用意してきて自転車で走り回りながらそこまでやるってのは相当の経緯があるのだろう。
そもそもきっかけになった商品とは何だろう?いろいろ考えてしまう。
店の人とどのような遣り取りがあったのか、奇妙なアッピールに火がついた経緯は?もっと詳しいことを言ってくれ、と耳をそばだてるが、この人、それ以上は何も言わないのだ。聞いている人を途中で放り出さないで欲しいと思う。詳しく話を聞きたい欲求に駆られたけど、やっぱり関係しなくて良かった。

それではみなさんまた明日。

▼2007年8月16日(木曜日)

【真夏のヘルメット】

東向きの玄関先にバイクを停めているが、出勤の頃ちょうど日差しがバイクを直撃して来る。黒いビニールのシートが燃え燃えに熱くなり、フライパンの上に尻を乗せたのかと思うほどである。今朝はバイクに跨る前、玄関のロックを廻してヘルメットを被りグラブを装着した時点で、もう汗が噴き出すのがわかった。普通はこのあとバイクが動き出せば体が風を切ってちょっと涼しくなるのだが、今朝のように空気自体の温度と湿度が共に高い場合は駄目だ。ヘルメットの中はパン生地の発酵になら最適の蒸れ具合だった。
「颯爽と風を切って涼しそう」というのはバイクを知らない人々が持つイメージで、はっきり言って間違っている。「バイクは夏の乗り物」というのもやっぱり大間違いだ。安全装備をぴっちりと纏い、サーキットや峠道を走る遊びが快適なのは、春先や秋口の気候の良いとき、しかも爽やかな午前中に限る。
サーキットコースを借り切っておこなわれる「走行会」では、安全第一の観点からフルフェイスタイプのメットと皮製のライディングジャケット(俗にいうツナギで、胴体に水平のつなぎ目が無いもの)と、グラブおよびブーツの着用が義務付けられている。真夏に走った後では、皮製のツナギが汗でべったりと皮膚に張り付いてしまい、脱ぐのが困難になる。
このような重装備は必要ない街中のライダーにとっても、夏場の信号待ちはなかなか辛い。ヘルメットの中は蒸し器のようだし、脳みそが溶けてしまいそうになる。
わたしは安全装備を身につけた几帳面なバイク乗りである。だから、半カップ(=耳から上しか帽体がない超薄っぺらなヘルメット。転倒して頭が路面に着地すれば結構な割合で脳に損傷が及ぶと思われる。若い連中を中心にスクーター乗りが好んで着用しているようだ。ひょっとしてそれらの脳みそに相応しい装備なのか?)は選ばない。
服装だってアロハに短パンでは転んだとき皮膚が酷いことになる。だから真夏の日差しの下でも長袖を身につけている。それに老化の進んだ皮膚は日焼けに弱いしね。
そういえば、亜熱帯にあるタイでもとりわけ暑いバンコック市で、数年前からバイク乗車時のヘルメット着用が義務付けられている。慢性的に渋滞し続ける「天使の都」の道路の、とりわけ酷い渋滞の先頭に不自然な形でころがり、人生にさようならをしているライダー。こんな光景はかつて日常的に目撃されたものだ。死亡事故の多さは驚異的だったが、ヘルメットの着用が不幸な事故の減少に役立ったのだろうか・・・でもわたしはイヤだな、あんなところでヘルメットを被らなきゃならないっていうなら、わざわざバイクになんぞ乗らなくてもいいや。だって気温が40度以上なんて珍しくない国なんですよ。暑さのため脳の機能が著しく衰えて、交通安全に関する注意力も損なわれてしまうのは確実。
しかし、なんと最近はこのメット着用がすっかり定着しており、バイク便のお兄さんなどは空気汚染や日焼けを避ける目的もあるのか、長袖長ズボンにフルフェイス(それもシールドをきちっと閉めている!)とブーツ、手袋とフル装備の人をいくらでも見かける。
それにしてもこのまま蒸し暑い日が続くと半袖シャツの誘惑に耐えられるか自信が無い。ここ一ヶ月はブーツの着用はあきらめて革靴を履いている。オシャレ要素だけでなく安全機能を求められるところがバイクの不自由なところだ。転倒しない運転していりゃ問題ないのだが、ホレ、先ほど書いた交差点の美学、みたいなものがある。もっともらしく恰好つけるというのは難しいものだ。
夜になって少し空が曇ってきた。ちょっとは涼しくなってほしいものだ。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年7月30日(月曜日)

【16枚菊の銅鑼焼き】

内閣の仕事なのか宮内庁の行事なのか詳しいシクミは知らないが、「叙勲」という制度がある。「社会活動で功績のあった人に勲等を授け勲章をあたえること」だ。ニュースで時々聞く言葉だが、日常生活にはぜんぜん登場しない特別な行事である。授与するのは天皇なのか総理大臣なのか良くわからない。
Y氏がこの5月に叙勲された。長年に亘って地方都市の役所に勤め、退職後はあちこちの公的施設に顧問として招かれたが、最終的に特定の地位に登りつめ、退職後一定の年齢になると勲章がもらえることになっているのだという。
おめでとうございます。
「面白いのはさ、前もって通知が来るんだよ。あなたは叙勲を受ける意思がありますか、と打診してくるわけだ。」
へー、断る人もいるのですかね?
「どうかな・・ま、そんな人もいるのかな。色々と物入りだしな。皇居までの交通費やらカミさんの美容院代やら、モーニングを新調したり、それに叙勲パーティーを主催しなくては恰好つかないし。でも誰でも貰えるってモノじゃない。」長年の役所勤めで昇進を繰り返して来た人だから、名誉とか地位といったキーワードにはことさら関心が高い。
そんなY氏が足腰の手当てを希望して来院した。叙勲を受けたあと2ヶ月以上が過ぎて、健康状態がちょと悪くなり入院していたという。
おめでとうございます。どうでした?
「これで人生の大きな節目を乗り越えた感じだな。」
なるほど。
「叙勲から帰ってきた翌日から実にたくさんの連中がいろいろな売込みに来るので驚いた。DMや電話だけでなくイキナリ自宅に押しかけてくる奴までいたよ。町の中心部にあるパーティー会場から、叙勲の記念パーティーをウチでやってくださいませ、と売り込みに来るわけだ。10軒近くあったかな・・・中にはワインとかの手土産を携えてきたのもいたよ。あと全国から額縁屋がDMをよこしたな。勲章を額に入れて賑々しく壁に掛けましょうってことだ。」
銅像作りましょう、なんての無かったですか?商魂逞しいですね、連中は叙勲した人達の情報をいち早くキャッチしている・・・でもどうやってわかるのかな?叙勲っていえば新聞にも個人名が載りますから、公人ってことですかね。それにYさん、新聞社の人名録に名が載っちゃってるんじゃないですか。もう秘密は何も無い状態ですね・・・。
「業者の殆どは新聞を見ているのだろうな。もっと面白いのは、知り合いでもない代議士が、新聞発表より前に祝電をよこすことだよ。叙勲が閣議決定されると情報が公示されるんだが、それより前の時点で情報が漏れているってことだろうな。こういった代議士あたりに情報を貰っている業者もあるかも知れん。」
「これからが更に物入りなんだよ。かつての部下が祝ってくれるって申し出を病気を理由に断っていたから、体調が良くなったからには、もう逃げられない。パーティーをやらなくちゃならないんだ。来てくれた人には記念品を渡さねばならない。○×叙勲記念と熨斗紙を付けてな。」
いろいろご苦労がありますね。ところで、額縁はどうなさったんですか?
「いろいろ種類があって、ピンは200万円超えだと。キリは3万円だったからそれに決めた。だが、カミさんは額縁なんて要らない、ってこうゆー言い草だ。君、どう思う?」
そう言われてもコメントのしようがないんですがね・・・。紙筒に入っているのでしょう?
「そうだよ。卒業式にくれるのと一緒だ。叙勲の表彰状は大きくて厚い紙でな、最後に内閣総理大臣の署名がある。ところで君、この次カミさんと話す機会があったら、もうちょっと亭主を大事にするように言っておいてくれ。」
はい、他にはなにか面白いことありました?
「叙勲の後で皇居内の食堂で食事をしたが、旨くないんだ。テンジンヤの安い弁当の方がよほど上だな。それから記念に土産を持たせてくれるのだけれど何だと思う?“銅鑼焼き”なんだ。食ってみるとこれがまた、なんともマズい銅鑼焼きでな。」
なるほど、宮内庁主催でも宮中晩餐会ってのとは違うんですかね。で、銅鑼焼きの皮には勿論?
「16枚菊の紋章が捺してあったさ。」
なるほど。喰わずに干して記念品にすれば良かったかも知れませんね・・・。
いずれにせよ皇居でおこなわれる行事に招かれるということは、戦中に旧制高校の学生であったY氏にとって大変な重みのある名誉な出来事だったことだろう。新品のモーニングに身を包み、細君と共に朝早い新幹線に乗って出かけていった。
学校で軍事教練をしていた時代、下級将校の命令で軍人勅語を声が枯れるまで復唱させられるムカつく話。目上の者たちの話が「畏れ多くも・・・」で始まった場合は、それは天皇に関する話題と決まっているからスグサマ直立不動になって聞かなければならなかったという疲れる話、軍国主義の勇になりきって瞳孔全開で教室で喚きまくっていた教師共が敗戦と共に180度転向し、こんどは民主主義の申し子みたいに振舞い始めたという張り扇で後頭部を叩いてやりたいような話など、反骨の気概溢れるY氏から数々聞いている。
それでも「お国からの叙勲」を大きな誉れとして素直に受け止めている氏を見て、若き日の脳みそに半ば暴力的に刷り込まれた価値観が無条件で息づいていることが、恐ろしくも興味深い。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年6月13日(水曜日)

【屋形船でgo その三】

《特別付録【お座敷ゲーム】付き》
このようにマメに日記が更新されるとき。それは本業のヒマさ加減とシンクロするのは隠された事実であるが、この際気にしないで書き進んでみます。
K姐さんの店の常連で小唄の会の参加者であるJ氏が自慢の喉を聞かせ、和食飲み屋の女将が恥ずかしそうに持ち唄を披露(彼女も長年に亘って小唄の会に通っている)、そのあと本格的なプロの技が披露された。いよいよK姐さんが踊り始めたのだ。やっぱりプロ、艶やかな身のこなし。六段に引き続いて都都逸二曲を披露し、その度ヤンヤの拍手を浴びる。
携帯のカメラを向けるとこちらに向かって決めのポーズ(見栄を切るっていうのか?こういうの)を取ってくれた。お話をする機会はあったから色々聞いてはいたが、実際の芸事を拝見するのははじめてである。
Kは小柄で身が軽い。40代の頃、他の芸妓が踊りだか曲芸だかの稽古をしているとき、「こうやるのよ。」とやってみせたら、ひょいと逆立ちができてしまったそうだ。
「逆立ち?その時、生まれてはじめて逆立ちしたのよ。他の人も簡単にできると思っていたら、違うんだってね?わたしの場合は練習したわけでもなく、普通にひょいとできるのがわかったという感じ。」
逆立ち芸はたちまち有名になり、宴席が盛り上がると必ず披露される十八番となったそうだ。「着物の裾はどう始末するの?」「脚で挟んでおくのよ。」
で、請われれば、都都逸一曲分くらいは逆立ちしたままで平気なのだそうだ。かなり特殊な才能だ。道を間違えたな、K姐さん。サーカスか新体操で食えたかもしれないね。もう年だから、怪我をしてもつまらないとして、一昨年の座敷を最後に打ち止めの技となってしまった由である。
舟のともには調理場があって、そこで天麩羅を揚げている。エビにアナゴにキス、ナスにサツマイモにアスパラガス。唄や踊りで盛り上がる宴席を縫って、茶髪のお姉ちゃんが次々に揚がる天麩羅の大皿をささげもって各テーブルに運んでくる。このひと、背が高くて低い天井の屋形船の中を移動するのに首を左に90度曲げ、右手に天麩羅の皿をささげ持って器用に歩く。頭が天井すれすれのところを移動していくありさまが尋常でないように思えてなんだか笑える。だいぶ酔いが回ってきたようだ・・・。
サッシの無い船尾部分に行き、外の風にあたりながらお台場の夜景を眺める。
部屋の中には煌々と明かりが付き、満席の人々が飲んで食って踊って盛り上がっている。そんな座敷が暗い海にぽっかり浮かんでいる。考えようでは、なかなかの非日常空間だ。
性格上、このような非日常にある時にわたしの頭にめぐるキーワードは転覆・衝突・津波などであるが、酒が回っていて邪念が抑制されているようだ。船着場付近はだめ過ぎたが、この辺の水なら落っこちて泳ぐことになっても健康上の被害は無いだろうとぼんやり考える。
友人に呼び戻されて座敷に戻ると芸者衆がゲームの時間だと宣言している。お座敷界(ってあるのだ)では伝統的なゲームだ・・・
【特別付録:お座敷ゲーム】
準備:座布団を4,5枚重ねたその上に、平たい刳り物でできた徳利のはかまを置く。対戦するのは座布団を挟んで対面した二人。謡と三味線が傍に付いて囃す。囃子に調子を合わせて対戦する二人が交互に座布団の上に手を置く。
ルール:徳利の袴に手を載せたとき、徳利の袴を掴んで持ち上げてもよいし、そのまま置きっ放しにしてもよい。鉢を掴んでいない人は握り拳を作って座布団の上に置かなければならない。鉢がないのに手の指が広がっていたら負けだ。
進行:最初は練習用に囃子がゆっくりと演奏される。「ちゃんかちゃんか・・・金毘羅舟々追い手に帆掛けてしゅらしゅしゅしゅ・・・」てなもんだ。囃子は対戦者が徳利の袴を握ったり握らなかったりして交互に座布団に手を当てているうちに徐々にテンポが速くなっていき、間違いを誘うというシクミだ。
さて、2時間が過ぎて、宴はお開きだ。食いきれない天麩羅をプラスチックの折に詰め、残りの酒を片付けるべく喉に流し込む。幸いすれ違う舟も少なくローリングもたいしたこと無いレベルだ。尤もそれでなけりゃ舟で酒盛りなんかできないわけだ。
帰り着いた船着場の臭いは、潮が変わったのか酔いが回ったのか、あまり気にならない。
わざわざ静岡から連れて行った芸者衆の“盛り上げの技”により、期待を大幅に上回る面白さだった舟遊び、と高く評価しつつ上陸した・・・。
「コラッ、寝てるんじゃねえよ!」だいぶ酔いが回った様子のK姐さんに揺すり起こされた。バスの窓に頭を付けて意識を失っていたらしい。
「はじめてあたしの本業をみせたね。どうだった?」うんうん、よかったよかった、来年もやろうよ。
見回すと、帰りのバスの車中は大盛りあがりで、とことん酒に強いメンバーがしぶとく生き残って自慢の喉を聞かせる聞かせる、懲りずにまだまだ酒を呑む呑む・・・朦朧としながら拍手拍手、K姐さんとかんぱ~い、かんぱ~い、・・・再び意識が遠のく・・・

それではみなさんまた明日。

▼2007年6月12日(火曜日)

【屋形船でgo その二】

日曜日の午後7時頃、飲み屋の親方の挨拶が30秒で終わるとお店の常連中の古株、N氏が音頭を取ってカンパーイ!刺身の大皿に箸を伸ばす。
ドブ臭い桟橋から離れた舟が水路から隅田川本流へと向かう。どこへ行くのか屋形船、大きく弧を描くレインボーブリッジを見上げつつ、期待以上に旨い刺身に箸を伸ばしつつ、ウイスキーやら本酒やらビールやらを盛んに煽りつつ、偶然同じテーブルについた見知らぬ方とお話しつつ、舟は進んでいく。
わたしの座ったテーブルの反対側には3人の芸者衆がきちんと身支度し、ピシッと行儀よく正座をしたうえで、がぶがぶ酒を飲んでいる。このうちの一人が面識のあるK姐さんで、たしか鼓と太鼓、踊りが専門だ。時々記憶が飛ぶほどの量のお酒を召し上がり、本人気づかぬ内に転んだり階段を踏み外したりで、ひどい怪我を負うことがある。当院が彼女の自宅に近いところにあった時分には、半年に一辺くらいの割合で打撲の治療に来ていた。Kには子孫はいないからお婆ちゃんと呼ばれることはないが、この道四十と数年になるはずだ。隣の2人も彼女の先輩だから皆さん揃って豊島。にも拘らず流石に背筋はピシッと伸びており粋な座り姿だ。
この世にカラオケなる装置が誕生して、夜飲食する店に配備が整う前、芸者という職業はそれほど世間に珍しい職種ではなかった。座敷で宴会が掛かると検番と呼ばれた芸者専門の派遣事務所から芸者が派遣され小唄や三味線、太鼓に都都逸と芸能を披露して席を盛り上げるのが仕事である。熱海なんかだったら未だ数多くの芸者がいるらしいが、ここ静岡市では数がどんどん少なくなり、未だ現役で仕事ができるのは、いま目の前にいる3人くらいのもので、絶滅が危ぶまれる。
芸者が活躍できる宴席の場が限られるようになってきたから、その道一本ではなかなか食べていくのがむつかしい。プロとしてやっていくには楽器や唄のお稽古は必須だし、日本髪の手入れをはじめ、身仕舞いにも出費がかさむ。そこでK姐さんの場合は3年ほど前、裏通りに小さな店を借り、一見小料理屋に見える店をはじめた。
傑作なのは、彼女全くといっていいほど料理ができない。だから一見手作りに見える2,3品の酒肴はオール外注。最近ようやく包丁でトマトや胡瓜を切ることができるようになったと言っていた。あとは乾きものだけの品揃え。過去2度ほどお店に伺ったが、ビールサーバーが見えないのに「生ビールもあるよ」っていうので訝しく思って待っていたら、店の上にある別の店から“出前”が来たのにはたまげた。ボードに書いてある僅かな種類のつまみを選んでも「いま、品切れなの。干物がいいよ。干物にしなさい。」とか言われちゃう。
わたしの隣に掛けていた客などは「その魚、ひっくり返さないで食べて。反対側は焦がしちゃったから。」と言われていた。
店は居抜きのものをそのまま使っているから、背丈のちいさなK姐さんには一升瓶を並べてある棚に手が届かない(!)。客がそれらの焼酎を飲みたい場合はどうするか?
答え:注文した客が責任を持って“自分で”棚から壜を降ろします。
彼女は非力なので、酒瓶にたくさん入っていると重くて壜がうまく持ち上がらない。正確に杯に注ぐなど困難であるという。このような場合どうするか?
答え:注文した客が責任を持って“自分で”酒瓶から自分の杯に注ぎます。
そろそろ勘定、ということになると姐さんはカウンターの隅で筆算を始めるが、その時分には客が消費した分と同じくらいの量を飲んでいて、つまり客が帰る頃には姐さんもすっかり出来上がっている。何回足し算しても結果が違う。おまけに最近老眼が進んで近い字が見えないし、電卓にいたっては使い方も知らない。どうするか?
答え:帰ろうとする客が責任を持って“自分で”飲み代を計算します。
「あたしは昔はすんごくモテたんだから。」ま、確かにKには人を惹きつける不思議な魅力がある。でなきゃ怒るよね普通こんな店。
Kが初々しかった頃の座敷を見ていた当時働き盛りだった人たち。ヒラのサラリーマンだった人もそれなりに昇進してエラくなり、ある者は楽隠居となり、彼らが今でもKの顔を見に来ているのだ。彼女の元気な様子を肴に酒を飲む。勘定が6千円くらいなのに「それじゃー、これで。」と、一万円札を置いて帰っていく客も複数目撃した。かつての花代の支払いみたいな雰囲気のノリなのだろう。シロートに真似できることではない・・・。
話が脱線(この場合転覆?それは困るが・・)しているうち、屋形船のエンジン音が低くなり、錨がおろされた。他の屋形船も近隣の海域に停船している様子。場所が決まっているのだろう。遠くをみれば、おおあれはフジテレビのへんてこな建物、してみると此処は、お台場だ。
船内ではいよいよ芸の披露が始まったようだ。三味線と唄いにあわせてK姐さんが踊り始めたところで、本日も長くなりました。「屋形船でgo その三」に続きます。お楽しみに。
それでは皆さんまた明日。

▼2007年6月11日(月曜日)

【屋形船でgo その一】

タイから戻っは一ヶ月間は休診せずに仕事を続けたのだが、旧知の和食飲み屋で企画した隅田川の屋形船遊びにずっと前から誘われていて、それでは、と出かけることになった。
舟遊びは出発が夕方の6時半だという。だが静岡市から出かけるわけだから出発は午前10時半!その和食飲み屋の客や女将の知人など総勢40人弱の物好きがバスに乗り込んで出発した。
わたしはこの日の朝も、仕事をしたため、出発時間ぎりぎりに乗車した。乗車口で昼食の弁当と、バターピーナッツやら柿の種やらの小袋を手渡される。地元なので乗客の何人かはみきまつにカルテ番号がある人だ。挨拶しながら席に着く。
バスが出発するのと同時にビールやらワインやら日本酒などが配られる。本も音楽も持ってこなかったので、バスから外を見るより他にやることもない。早速ピーナッツなどをぼりぼり食いつつビールを飲む。まだ朝11時だというのに。
高速道路の防音壁のむこうに雨に濡れた緑の山々が見え隠れして目に鮮やかだ。ほかにやることもないので二缶目のビールを飲む。飲み屋で企画したツアーだけあって酒類が不足することはないようだ。昼過ぎになると乗客の酔っ払い度も少しずつ上がってくる。周りの皆さん、会話のボリュームがだんだんと大きくなり、話に抑制が効かなくなってきているのがわかる。
渋滞がなかったので2時頃都内に入ることができた。時間が余ってしまったので一行は柴又やら浅草やらで時間をつぶす予定だ。わたしは柴又で一旦失礼して6時半に浅草橋で合流することにした。
予定の時刻になり、都内に住む友人と連れ立って浅草橋に出向く。橋から船着場を見下ろすが、なんだかこの辺り強烈に臭い。通行人も顔をしかめている。硫黄臭が漂う川面にはなかなか沢山のゴミが浮かんでいる。バンコックの街中で見かける真っ黒い運河の水ほどではないが、あれを汚染度評価10として、ここの水は臭いも色合いも評価6くらいであろうか。ここの水面に落ちることは避けたいものだ。
バスも到着し、最前別れたときより更にいい気持ちに出来上がってしまった様子の皆さんと一緒に屋形船に乗り込む。口々に臭い臭い言うが、今更どうしようもない。こんなところで天麩羅食うのかよ、とネガなノリになりそうだったが、屋形船の客席はガラスのサッシが周囲に張り巡らしてあり、幸いなことに入り口の扉を閉めたら臭いが遮断された。
畳敷きの舟は40人座ると満杯である。折りたたみ脚のテーブルが窓際に片方4卓づつ並べられていて、既に壜ビールと漬物、各自の箸と刺身の大皿が乗せられている。ひとつについて5人座るわけだが後ろのテーブルの人との距離は全くなく、ユナイテッド航空のエコノミー席とどっこいの狭さ。料理を作るひとや船頭などを合わせると50人以上乗っているこの船、今思えば救命胴衣なんてどこに設置してあったのかと思う。もちろん緊急時の非難に関する案内など皆無だった。どうせ乗船する前から酔っ払っているので説明したって無駄といえばそれまでだが・・・。
さて、いよいよエンジン音が高まり、舟が桟橋から動き出すな、というところで、「屋形船でgo その二」に続きます。
それでは皆さんまた明日。

▼2007年6月1日(金曜日)

【本と過ごす夏】

初めて日本語を読むことが出来るようになったころ、たまたま「世界少年少女文学全集」が親戚から廻ってきた。その家の子が成長してもう読まなくなった?かなにかの理由で全100巻の大きな編成の中から誰かが適当に選んだ80巻ほどが私の手元に舞い込んだのである。
世界の児童文学ということなので、たしかに世界中からお話しが集められているのだが、巻末の目録をみると他の巻にどのような国のはなしを集めたものがあるかわかる。そこで判明したのだが、わたしの手元には近代の中国編、日本編と朝鮮編の全て、東南アジア編が無かった。それでも、子供にとっては一二週間では読みきれないほどの物量であったから本当に嬉しかったのを覚えている。
当時、わたしにとって読書ほど面白いものはなかった。テレビはあったが本に肩を並べるほどの刺激はなかった。本さえ読んでいれば一生楽しめるぞ!生まれてきてヨカッター!と思っていた。
あまり日の射さない部屋で照明も付けず、暇さえあれば本に向かっている子供。夏休みともなれば朝から晩まで読書三昧だ。ただし、机に向かって行儀良く読んでいたわけではない。成長期の体がストレッチを要求していたのか、寝転がって脚を組み片方の踵を椅子の座面に引っ掛けつつ胴体を捻りながら、などのアクロバット的姿勢を取りながらの読書である。それも、オヤツ(=お昼と夕食の間に食べる菓子類)の蜜柑や林檎などを食いながら、である。
親に見つかる度に、もっと紙面から目を離せ、物を食いながら本を読むな、とやかましく言われていた。「はい」と元気良く返事するが、親の目がなくなれば元通りの中国雑技団である。体が痛くなるまで本を読んだら、その後は近所の公園に行って暗くなるまで友達と遊んで過ごす。
そんなふうに齧り付いて読んだ「世界少年少女文学全集」は、本の綴じ代にダニが回ったためか、大切に取り扱わなかった報いなのか10年ほど経つうちにあちこちのページが抜け落ち、扉が剥がれ、ぼろぼろになっていった。
17歳の頃、両親が建てた新居に家族みんなで引っ越すドサクサにまぎれて、これらのくたびれ果てた本の大半を親が処分していたことが判明した。
「もう!馬鹿じゃねえか?本を捨てて良いわけないだろう。二度と手に入らないかもしれないじゃねえか。傍から見りゃクダラねえものでも本人にとっちゃスゲエ価値がある可能性っつうことにどうして想像がいかねえ?隠してあったエロ本ならともかくあれは児童文学だぞ!いくら収納スペースの確保が必要だか知らねぇが、散らかっているからって理由で本を捨てるなんてどうかしてる!」(不適切な表現含む。)
「大事にしていなかったくせに捨てたからと言っていまさら怒るのはおかしい」、というのが母の言い分。息子がサンザン部屋中に散らかしたままの本を掃除の度に書庫にしまっていた母の、それなりに説得力がありそうな言辞である。
だが始終愛読し続けたからこそぼろぼろになったわけだ。当時徐々に始まっていた「言葉狩り」や「弱者への気遣い」とやらで昔ながらの児童文学を手に入れることが難しくなっていたため、失望と怒りで頭に血が上ったというわけ。実際その後古書店で探しても、一度も目にすることがないのである。新書では翻訳者が違っており、そうすると物語のフンイキがまるで違う。現代社会にとって都合の悪い表現は言い換えられているのはもちろん、出版物として取りあげられることのない沢山の話の数々を再び目にする機会はなくなってしまった。

五月はタイに出かけたのみならず、本業も多忙を極めたうえに、タイマッサージのサイトを準備に忙殺されて日記の更新がいっぺんもできませんでした。と言い訳して、それではみなさんまた明日。

▼2007年4月29日(日曜日)

【プライポンパン村滞在記(4)蛍とカラオケとトイレットロール 】

最終回としてこの「ホームステイ型リゾート」の現在の姿を報告せねばならない。結果から言うと、駄目なことになっていた。わたしが紹介したこの村が気に入ったと、3回も訪れたというN氏に聞いたところでは、本年2月この村を訪れた日は、偶然にも村に初のカラオケマシーンが設置された当日で、村長サンはそのテストで自慢の喉を披露していたという。
蛍のほうはN氏がここを訪れる度に徐々に姿が見えなくなり、今回の訪問ではせっかく夜中にボートを出しても、蛍は見えず、かわりにあちこち蚊に食われるだけで風情も何もあったものじゃなかったそうだ。
蛍は環境汚染に弱い。わたしが最初にこの村を訪れた時も運河のあちこちがドブ臭くなっており、浄化槽を経由して生活廃水を処分することなど、まったく頭に思い浮かばない愚かな村民の所業が積み重なってあわれな虫共は減少の一途を辿ったようである。蛍がなくなった、観光資源がなくなった、次はカラオケだ、っていうタワット村長のお考えらしい。マイクを嬉しげに握りしめた村長の写真もN氏にみせてもらった。「招待所」の隅の売店内に置かれたカラオケマシーン。マシーンの周りには色の付いた蛍光灯が扇形に並べられ、ケバイ光を放っている。
自然環境を売り物にする滞在型リゾート構想は、なんか勘違いした方向に進んでいるようである。わたしはもう、ここには行かないな・・・。
さて、観光地嫌いのわたしも、タイに来る度にあちこちのリゾートに一応は出かけてはみた。どこもそれなりに気持ちが良い土地ではあるのだが、やっぱりひとが集まれば水も汚れるし、空気も臭くなるものだ。観光による外貨収入が経済におおきな比重をしめるタイが、資源保護に努めるのは当然と思う。が、なにごとにも周知徹底を欠くキライがあるのが南国だ。みなさん浄化槽無しで生活廃水を観光地の海に流すは、列車の窓からポンポンごみを捨てるはで、どういう教育受けたらこんなことできるのか?
環境問題に軽く関連がある話をひとつ。タイのトイレの使用法についてずっと気になっていることがある。経済大国などと偉そうに言っても日本のトイレの殆どが汲み取り式からおさらばして水洗化されたのは最近のこと。比べるわけじゃないがタイのトイレは昔から水洗だ。ちょっと前は水槽に常に水を張り続け、そこから手桶で水を汲んではお尻を指で洗うのがタイスタイルだった。
現在では強力なシャワーのノズルが便器の横に付属しており、これをお尻にあてて指を使って洗浄する。これ、結構気持ちよいものだ。後で指の衛生が気になる人は指も手桶で入念に洗えばよろしい。
さて、濡れたお尻はどうするか?
基本は放っておけば乾くから問題ないのだが、トイレットペーパーが置いてある場合は濡れた尻をこれで拭く。だから紙は濡れはするが、汚物が付くことはないシクミだ。つかったトイレットペーパーは籠にいれるようになっていて、あとでまとめて燃やして処分する。つまり、用便のあとで直接紙でお尻を拭く習慣が無いし、使った紙を便器に捨てることもしない習慣だ。
外国から来た人間は最初このスタイルに戸惑う。観光地のトイレには「使った紙はこのバスケットに入れてください」と書いてある。なぜか英語表記のみだが。で、知らない人はたぶん桶の中の水の使用法が想像できないから、紙で直接ブツを拭いてしまう。で、拭いちゃって茶色に色づいた紙を持って張り紙を見る。「そうか、この籠にいれるのか・・・でも、次の人がこのトイレを使うとき臭くてヤバくない?」
タイ人にとっては説明の必要は無い自然な習慣も、海外からやってきた人たちには教えなければならない、っていうこと、殆どのタイ人がわかってないようだ。旅行ガイドなどにはタイ人の子供の頭を撫でることは禁忌だとか書いてあるが、それと同じようにトイレの使い方を説明したらどうかと思う。それに、一緒に流してしまえば紙が分解するのに時間が掛かっちゃうでしょう?
で、最終回となったプライポンパン村滞在記だから書くが、5年前わたしがここを訪れた際に、トイレに数ヶ国語で使用説明書を書くように、とタワット村長に強く勧めておいたが、N氏に聞くと、わたしのアイデアはまったく生かされなかったようで、現にN氏自身がトイレの使い方を知らず、紙でお尻を拭いて流してしまっていることが判明した。もう10回以上タイに旅行しているのに!

それでは皆さん、良い連休をお楽しみください。わたしは仕事ですが・・・

▼2007年4月29日(日曜日)

【プライポンパン村滞在記(3)蛍の光と蛍光灯は違うくね?】

この、暑い暑いタイ内陸部の田舎で、午後の最も暑い時間帯に、庭に生い茂った樹木を見ながら「今日もやることがない」という状況にあるというのは慣れるとけっこう快適だった。
昼間もそうだが、夜もやる事が無い。蚊帳を吊ってもらい、ソム・オー(ダイダイに似た柑橘類。さっぱりした味だ。)やスイカを食い、ビールを飲んで本を読むだけ。椰子の森では虫が盛大に鳴いている。ヒマだから、水辺の樹木に群れる無数の蛍を見にボートで夜の水路を巡るツアーに参加してみた。
周りに光源がないから、曇った日の夜は本当に真っ暗だ。濁った水面から背の高い葦のような草が水路の両側に生い茂り、ボートの船首に取り付けたライトに丸く浮かび上がる。
迷路の中を進む気分。昼間通ったルートとちょっと違う水路に入り、蛍が群れる地区に向かう。村に水路が張り巡らされている、というか元からあったこのような地形を利用して人が住み着いたということだろう。
蛍が光るのは生殖の相手探しのためである。産卵するのに都合の良い水辺の特定の種類の木の枝に停まって群れが一斉に揃って光を点滅させる。そんな蛍の集まる木(船頭が教えてくれたが名前は失念した)のそばではボートのエンジンをアイドリングに保ち、船首のライトを消して進む。すると、目が徐々に慣れてきたのか、曇りの夜空であるにも拘らず運河の周りの様子がぼんやりと窺えるようになってきた。椰子やバナナの樹の輪郭が見える。
船頭が指差す方向を見ると、おお確かに、問題の樹木周囲一帯に周期的に点滅する光の粒が散らばっているのが見えました!数万匹(適当に推定)の蛍の光です皆さん!・・・
といったってこれ、周囲が真っ暗であって初めて認識できるのだ。所詮は自然界の虫が出す繊細な光なんだから、何十万匹あつまろうが、けっして本が読めるなどというレヴェルじゃない。街灯など周囲に設置された日には全く見えなくなってしまうだろう。
きれいな水辺にしか住まないという蛍はプライポンパン村ののどかな環境の象徴でもある。「遅れた地域」というハンデを逆手に取ったどんでん返しの作戦「ホームステイ型リゾート」の行く末を、弱々しくも健気に照らす虫共の群舞でした。
なんか、この話長い・・・。あとからどんどん湧いてきた話は(4)に先送り。もうちょっとで終わりますからね。今回副題がついたのは話のオチの伏線ということで。

それではみなさんまた明日。

▼2007年4月3日(火曜日)

【プライポンパン村滞在記(2)】

われわれの小船はメリハリ無く博物館の桟橋に接岸した。
「博物館」は水辺の物置小屋を利用したと思しき質素なもので、昔の農機具や水路で使われた舟などがごちゃごちゃと展示され、品々の前にはタイ語と英語の説明が書かれたカードが置かれている。ここでも口頭での説明は100%現地語だから、語学の耳トレーニングには最適だが、ガイドなしでの観光は言葉の壁がありそうだ。薄暗い「博物館」で暫く過ごした後、次の目的地に向かう。
水路の幅は広いところでは30mくらいある。行く手の頭上に掛かっている道路の橋を見上げながら潜り抜けて水路を進む。奇妙な感覚だ。わたしの頭の中では「河川」という単語は道に掛かった橋の上から見下ろすものときまっているからだ。他の舟とすれ違いざまに、船頭が舟の主と言葉を交わしている。村の人の移動手段は道路と水路が半々くらいだという。
バナナの花から出る蜜で作る製糖工場の桟橋に到着した。扉の無い掘っ立て小屋の中に設えた土の釜。直径1mくらいの中華なべをこの釜の穴に嵌め、蜜を煮詰めていく。傍で見ているだけで、暑い。
蜜の匂いに引かれてミツバチが飛んで来ては湯気にあたって鍋の中に次々と墜落する。蜜をかき混ぜるための長い柄のスプーンで連中の死体をこまめに取り除くが全ては取りきれていないようだ。この手の製品に時々ハチの部品が混じっているのはこうゆう訳だったのだ。鍋を混ぜているオッサンは「ハチの脚も料理の隠し味」みたいなことを平然と説明している。なかなか大雑把な品質管理で、感心する。
小屋の土間では叔母ちゃんたちが鉈で椰子の殻をぶち割り、果肉を削いでバケツに放り込んでいる。鉈を借りて椰子の実を割ってみるが、結構難しいものだ。
そろそろ飽きてきた。椰子農園を歩き回る。黒くて痩せた農夫が腰に大きな鉈を下げ、高さ10mくらいもある椰子の幹をサルのように登っていき、天辺に着くと、椰子の実の付け根を叩き切る。バスケットボール大のずっしりとした椰子の実が地面に落ちた勢いで出鱈目な方向に1m近くも跳ねあがる。こんなふうにして落とした実を後で拾い集めるというシクミだ。たまに農夫が椰子から落ちて大怪我するらしい。椰子の実が地面に落ちる音が鈍く響く農園を後にし、徒歩で社長の会社に向かう。
道中、社長がバナナの木にするすると登り、花を採ってきて、蜜を味見させてくれた。仄かな香りがあってンマイ。椰子農園をでると直射日光が肌にキビシイ。精糖工場の社長の会社に徒歩で案内してもらう。最前の工場で出来上がった砂糖を輸出するためのタグを誇らしげに見せてくれた。
社長の会社は雑貨店を兼ねている。その隣に簡単な料理を出すシンプルなトタン葺きのレストランがあった。もう昼近くだからこのレストランで休憩だ。
タイでは日が高くなってくる昼に戸外で仕事をする人は少ない。別に怠け者というわけではないんだよ。日本の働き者達は信じられないだろうが、この辺で晴天の昼から3時頃まで屋外に出てみれば自分の寿命がみるみる縮まっていくのがわかるだろう。
熱帯の日差しに晒された田舎の風景をなんとなく眺めつつ麺を食べ、ビールを飲む。長い昼休みをだらだら過ごした後は社長が自ら運転するヤマハ製のモペットに3人乗りして「招待所」に送り届けてもらった。
なんか、中学生が宿題で書いた修学旅行の作文みたいになってきた・・・。だらだらと思い出が続くので(3)をエクステ。

それではみなさんまた明日。

▼2007年3月24日(日曜日)

【プライポンパン村滞在記(1)】

バンコックの西100km程のところにプライポンパンという村がある。タイの経済がそこそこ発展し、村の人間もクルマを購入し、皆が携帯電話を持つようになったというのに、その村の周囲は昔ながらのタイ中央部の面影をとどめており、縦横に張り巡らされた水路に小船がぽつりぽつりと行き交う平和な水辺の暮らしが続いていた。
椰子やバナナの栽培以外に特筆するべき産業もない貧しい田舎。良くも悪くも都市化が進むバンコックからそんなに遠い所でもないのに生活スタイルは100年前とそう変わらない。誰かが10年くらい前、遅れた地域だからこそ出来る観光産業として村でのホームステイをやってみてはどうか?と思いついた。
急速に発展しているバンコックの若い連中は昔の田舎暮らしなど全く経験無いし、年配の方々は懐かしさがあるだろう。ましてや先進国から来る観光客には興味深い滞在になるのでは?という狙いは当たり、数年前には日本でもテレビで紹介されるまでに至った。
番組に触発されてわたしがこの村に滞在したのは、5年前のこと。当時を思い出しつつこの村をちょっと紹介してみたい。
プライポンパン村に到着するまでの道中は、ま、色々あったがここでは省略。
村に着くと水路の小さなアーチ橋を渡って「招待所」みたいなスペースに通される。「招待所」の庭の向こうにチーク材を使った木造高床式の家屋が見える。ここが村長のタワット氏の住まいで、ホームステイ先にもなるとのことだ。ここは綺麗に整備された小ぶりの庭園の真ん中にあり、粗末なテーブルがいくつか並べてある。とりあえず椅子に掛けて、これはタイの習慣で冷たい水を一杯出してもらう。朝の太陽を周囲の樹木が遮ってくれる。鳥の鳴く声が森(というかジャングルなのか?)の方から聞こえる。農作業に出て行く村の若い衆が水路に掛かるアーチ橋を行き来する。
この「招待所」に着いて30分くらい、ずっと奇妙な雰囲気を感じていたが、その理由に突然気付く。人々が前の前で活動しているのに、大工も調理の準備も手作業のみ。森から聞こえてくるチェーンソーの音以外、機械の作動音が聞こえないのだ。「招待所」の庭で自由に遊び戯れているニワトリたちの美しい羽の色が目に鮮やかである。
静かだ。客はわれわれ2人だけのようで、遙か日本のテレビで紹介されていたわりに、これで観光産業として成り立つのか?と訝しまれる。その辺の叔母さんに尋ねると、今日は平日だからこんなもの、週末はけっこう混み合う、ということであった。
特にやる事もないので、「招待所」のある庭に隣接する村長の家の階段を上がり、テラスに荷物をほどく。電気を使う照明が全く無い村長の家の壁には、ここ数年にこの村を訪れた有名人(軍人や王族)との記念写真が額に入れられ沢山掛かっている。村長の奥さんが写真の説明をしてくれるが100%タイ語なので、わたしの理解は推定30%にとどまる。
さて、特にやる事もないので、水路をボートで巡り途中で村の「博物館」に立ち寄るという、とりとめの無いツアーに参加してみた。
幅4mほどの狭い水路にある船着場で小船に「降りる」。タイ語では舟に乗る時には現地語で「降りる」という意味の言葉を使うから奇妙に感じていたが、なるほどこれは確かに「乗る」じゃなくて「降りる」という感覚だろう。下船する場合は「船から上がる」と表現する。昔は運河や川沿いの家々にはどこでも船着場があった歴史を物語る表現だ。
船着場の付近にジャングルから出る湧き水があるらしくて、水は澄んで川底の植物が見える。村中に張り巡らされた広い水路に出ると、水路の幅は水はデルタ地帯特有の赤土を含んだ泥水に代わる。場所によっては背の高い葦に遮られて全く見通しがきかない。
ここでは道路の他、水路に面した家屋が多い。そういう家のボートからはそんな家屋の船着場、兼洗濯場、兼居間などが丸見えである。地区によってはタイの古い様式を踏襲した立派なつくりの家屋もあって、船頭が、あれは俳優の別荘だとか、こちらは某政治家の親類の家だとか説明してくれるが、100%タイ語なので詳細は不明である。しかし適当に相槌を打っておく。相手に悪いから。
川面の船は涼しげであるが、やっぱりタイの日差しが強力で、顔や腕が痛くなる。
われわれの小船はメリハリ無く博物館の桟橋に接岸した。
長くなったんで、以下は(2)で。

それではみなさんまた明日。

▼2007年3月12日(月曜日)

【小指の災難】

どの患者さんにも負傷の経緯を詳しく伺うのだが、負傷の原因に全く覚えが無い方も多い。右小指の付け根から手首の痺れ感と前腕外側肘付近の痛みを訴えて来院されたS氏も、昨日の朝起きてから続いている痛みだ、という以外には負傷の原因に思い当たらないという。
症状そのものは3日後に快癒したので、それはめでたいのだが、わたしは、S氏が右向きになって就寝中、腕枕をしていたのが原因ではないかと考えている。そうであれば末梢神経の圧迫と筋肉の痛みの説明がつくし、寝ているんだから記憶がなくてもおかしくない。
さて、瑞々しく皺の少ない顔に薄化粧、保険証に記載の年齢を疑いたくなるようなコンディションを保ち続けている活発なM女史。70を越えた今でも、週に3度はスポーツクラブのプールでトレーニングを続けている。
そんな彼女が昨年から自宅の部屋でたびたび足の小指を家具にぶつけるようになり、年末にはとうとう小指の骨折を経験した。負傷の経緯ははっきりわかっているわけだが、なぜ小指ばかり怪我をするようになった理由がわからなかった。
つらつら考えるうち、どうやら夏頃から履き始めた5本指の靴下が原因かもしれない、と思い当たったという。5本指の靴下によって足の先の幅が広がっているのを意識しないで動き回るうち、小指をぶつけ易くなったものらしい。
そこで、対策として5本指の靴下の上から薄い靴下を二重履きしだしたという。
靴下を二重履きしたって足先の幅は変わらないじゃん?とツッコミするのは止めておいた。
実はわたしも足の小指を悲惨な目に遭わせることが多い。しかも5本指の靴下なんか履いていないのに!
「いいやっほおおお・・・」と叫びつつ箪笥の角にぶつけた足を持ち、片脚立ちでピョンピョン跳ね廻る。テレビ映画のトムとジェリーのようだ。
何度もぶつけた果てに、小指の爪はどういうふうに生えているのか定かでないほど変形している。人のことは言えないよね。

それではみなさんまた明日。

▼2007年2月21日(水曜日)

【画面の小窓】

バンコックでぼんやり地元のTVを観てると、コメディアンがショーをやっている。舞台の奥にドラムセットが置いてあり、コントのオチの部分ではスネアやバスドラをパシン、ドドン、と叩き、笑うべきタイミングを視聴者に「教えてくれて」いた。観客がウケてる声も被せてある。コントの意味がわかるほどタイ語の能力高くないわたしは、脱力感モードでぼんやり眺めているだけだが、周りのタイ人は、ギャグにウケているのか、それとも太鼓の音に合わせているのか、へらへら笑っている。
日本にも昔、シャボン玉ホリデーという番組があって、効果音を使って笑うタイミングを「教えてくれて」いた。
オチが決まると芸人がトランペットのミュートを操作しながら、『ほわん、ほわん、ほわわわぁぁぁ・・・』ってドシラソファと下がってくるんだけど、年配の方ご記憶にあります?
アメリカ製の小劇場風のTVドラマでは今でも使われるこの手法、さすがに日本では使えなくなったみたい。
でも、バラエティー番組では、画面に映らないスタッフのワザとらしい笑い声を被せてくるのがお約束だ。
出演者がちょいシャレたことを言ったとみたら、速攻、空気読んで笑い声を出さなきゃならない決まりらしい。バラエティー番組の製作スタッフという連中がとことん視聴者を舐めきってるんだね。
さて、バラエティー番組の画面隅にサブ画面みたいな小さい窓を出して、スタジオの机やひな壇に並べた出演者達の顔を次々に映し出すという独特の演出(?)法もあるけど、たいへん煩わしい。
嫌なら観なけりゃいいのだけれど、たまたまその番組でいじっている話が多少ともわたしの興味を引くものだったり場合は、サブ画面に次々にあらわれるタレントの顔を無視して本題に集中しようとする。だけどいつの間にかサブ画面に目が向かっちゃう。
『この話題を振られて誰ソレはこんな表情してますよ。このタレントがこの話題でどう反応するか?その表情を合わせてお楽しみください。』みたいな演出の思惑があるのかね。邪魔だけどね。
『まあ、タレントを並べておけば“賑やかし”になるし。』そうか?わたしは違うと思うぞ。
「ご存知ですか?アナログ放送は終了しデジタル放送が始まります」・・・誰が頼んだよそんなこと。また金がかかるじゃん?もっとマシな番組作れ。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年2月9日(金曜日)

【早食い防止法】

女優業N女史。主に地方の劇団で活動し、毎週末の公演本番と次回の公演の練習に追われながら、俳優のトレーニングスクールの月謝と生活資金を稼ぐためのバイトで超多忙。正しく分単位の過密スケジュールが繰り返される毎日だ。食事をゆっくり味わっているヒマが無くて、台本を読みながらの早食いになってしまう。
肌の大敵消化器炎症の引き金であり、女優業に差し支える肥満への近道とも言われる早食いのクセ。
そこで、食事時に咀嚼の回数を数えてみる事にした。で、確かに自分の噛む回数が少ないとの気付きはあったが、数えながら噛んでいるうちに、これって効率よく餌を摂取しているだけ?みたいに感じてしまい、腹は減っているのだが食事が不味いという面白くない状態となったそうだ。
そこで採用した次なる方法は、「寸止め食事法」。
箸でつまんだ食べ物の塊を口に入れる際に、一瞬だけストップモーション掛けながら食べると言うものだ。この方法がなかなか良くて、咀嚼回数を数えるという殺伐とした食事法よりはエレガントな振る舞いの練習にもなると言う一石二鳥の効果もあるのだという。
わたしも早速練習してみた。食事の量が減少するかはともかく、食事マナーとしては、動物君のようにばくばく喰らうよりは確実にエレガントである。コツは、「口を閉じて」寸止めにすることだ。喰いモノが入ってくるのを口を開けて待っちゃっている状態では単にストップモーションの演技であり、「変な人」に分類されてしまうのは確実だから注意。
早食いの人をみていると3回くらい噛んで直に飲み込んでいる奴までいる。そんな人はこの寸止め食事法で落ち着いて食事をするマナーを学ぶと良いって自分に言っています。ところで、いつかテレビで、毎日三度の食事をそれぞれ3時間ずつ、合計9時間だか掛けて咀嚼するというお年寄りが紹介されていた。このおばあちゃんの健康法だとコメントがあったが、これも極端だね。食事中の人はごめんなさい。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月17日(水曜日)

【通勤バス異聞】

雨模様だったのでバスで出勤した。わたしが住んでいる地域の路線バス、たぶん運行計画そのものに問題があって、雨天のラッシュ時には必ず遅れが出る。20分遅れは当たり前だ。それでもわたしが乗る停留所は始発から3つ目だから、バスが来たけれど座ることができない、という心配は無い。
停留所を進みながら乗客を拾うから、空いている座席が徐々に少なくなり、そのあと立ち席(?)にも人がいっぱいになって、これ以上車内が混んでくると皆の身動きが不自由になるな、くらいのところでちょうど街の中心部に到着する。乗客の多くは勤め人だから、この辺で徐々に降りていくわけだ。そんなふうにして、この時間帯のバスは需要と供給が微妙なバランスを保っている。
ところが今日は特別だった。わたしが乗ったところから3つ目の停留所で、いつに無く大勢の乗客が乗り込んでくる。それもほとんどが制服を着た中学生。かれらの荷物は手に持った傘だけ。一斉に乗り込んだ中学生達は、その年代相応に元気良く弾むような様子で賑やかこの上ない。なにか学校での活動でもあるのだろうか?
その次の4つ目のバス停にはもっと多くの待ち客がいるのが窓越しにみえた。やはりほとんどが中学生で、その中に通勤客が埋もれている。待ち客たちはステップに足を掛けたものの、既に通常の通勤客と中学生たちがたくさん乗っているから乗り込むのに時間が掛かる。数人の乗客が乗り切れずにバス停に残されたまま出発した。あーあ、可哀相に。次のバスがまた遅いんだよな雨の日って。
5つ目のバス停で、またも中学生の大群が、こんどは二列になって長蛇の列を成していた!
運転手が「ほらね、もういっぱいなんですよ、もう乗れませんでしょう?」と言う替わりに、一応バス停の前で停車して入り口の自動扉を開けてみせる。この辺で降りる客はいないから文字通り鮨詰め状態になっていて、確かにもはや乗り込むことは不可能である。バス停に取り残された同級生に向かって手を振って呼びかけ笑いあう元気の良い中学生たち。制服の胸に同じ校章のバッジをつけている。
この異様な事態。7つ目のバス停にまたまた残された中学生の大群をみたとき、「って、これなに?」思わず隣に掛けていた中学生に尋ねた。
なんでも街の中央にある文化会館のホールで市内の複数の中学が一緒に行う催しがあるという。
「先生にバスで行くよう言われたんですよ。」続けて、通勤時間帯に大勢の中学生が公共のバスで移動するように指示した事を指して、
「でもコレ、学校(の指示)が悪いですよね。」とも言った。
そう、全く君の言う通りだ、と頷く。
6つ目、7つ目のバス停でも同様の展開が繰り返された。中学生の大群に埋もれた通勤客の諦めきった表情が哀れである。今日は遅刻だね・・・。
いつも遅れているとはいえ、その分早い便を使えば何とか役に立っていたバス。本日、予期せぬ中学生の大群により攻撃された上で占拠され、既に乗り込んだ客を別とすれば公共交通機関としての役割を果たせぬまま、駅前に到着した。
それにしてもこの中学の教員達は素晴らしい頭脳集団だな。大量の予期せぬ需要が巻き起こす事態を中学生たちに教えようとしているに違いない。どのようにしたら社会のシステムが機能を失ってしまうのかという授業をしているのだろう。大変結構なことだ。感心した。
バスに乗りそこなった皆さんは、ハイ、ご愁傷様でした。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月15日(月曜日)

【ほわ~ん、ぷにぷに】

田舎の短い電車ではありえない?都市部で朝夕のラッシュ時に設けられている女性専用車。首都圏在住で電車通勤している女性の友人によると、専用車を利用して感じるのは「女性の体は柔らかい」というのと「ほんわかといい匂いがする」というものだという。
その居心地の良さげな女性専用車は、長い車列の両端に設けられている。乗り継ぎの駅で階段の位置と合わない場合は不便だから、一般車両にも乗ることがある。そうするとシミジミ、①「女に比べて男の体は硬い」②「おっさんも若い衆も男は皆クサい」と感じるという。
①体の柔らかさがこれほどまで違うとは今まで気付かなかったそうである。満員電車一杯が全部皮下脂肪を纏った物体で埋っているんだから、よけいにプニプニにしてわかり易いだろう。日本女性は通勤時も皆さんオシャレだから、良い匂いがするというのも尤もだ。ほわ~んプニプニで満員でも快適、痴漢への用心も要らないから、まことに結構だ。
さて、友人によると最近、片手でつり革を持ち、もう一方の手を顔の前に挙げて携帯を操作したり、鞄を胸で抱えたりして、とにかく両手を皆に見せるようにしている男性乗客が増えたという。有らぬ疑いを避けようと心掛けているらしい。ただでさえ混んで大変なのにこのようなお気遣い、まことにごくろうさまです。
②第二の「臭い」ってのは気になりますね。男性ホルモンの影響下で盛んに分泌する皮脂が女性より多いのは仕方がないし、それが「男クサい」なら責任取りようがない。でも中高年男性への差別用語になりそうな気配が急上昇中の「加齢臭」の方なら対処できそうだ。
「加齢臭」は皮脂の成分が変わり、若い頃より酸化が早まることが原因だとか。中高年男性は出勤前の入浴は欠かせない、と思う。
話が少し逸れるが先日ある若い女性と話していて「加齢臭」に話題が振れたとき、どうも相手が「カレーを食べた後の臭い」と思っていることが判明した。わたしはその日、近所のカレー屋で昼食をとっていたので、ちょっと困惑した。
件の情報をくれた友人の、やはり通勤ラッシュがらみの報告。
いまどき公共交通機関で喫煙できるのは新幹線の喫煙車くらいのもの。だから通勤電車の中でガマンの限界を迎えたニコチン中毒の皆さんが地下鉄の某駅から吐き出されてくると、間髪を置かずに路上での喫煙が始まるのだそうだ。最近は携帯灰皿が普及しているし、ラッシュ時に煙草の吸殻を歩道に投げ捨てれば冷たい視線を浴びることは間違いないから、喫煙者は路上の何処に灰皿が置いてあるのか熟知しているのだという。そんな灰皿周囲の一帯はニコチンジャンキーの溜まり場と化し、もの凄い臭いになるそうだ。
せっかく優雅で濃厚な雰囲気で始まった日記が最後はクサイ話題となり恐縮だ。次回は爽やかな話題を書きます多分。
それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月14日(日曜日)

【ちび黒サンボ】

ごく最近まで普通に用いられていた単語や表現が、差別用語或いは不適切な表現であるとして報道に使われなくなり、出版物上でも必ず注釈付きで印刷されるようになった。
その言葉狩りが始まったのは1980年頃だったろうか。陰気な魔女裁判に掛けられたのは、障害者や困窮層を表現する言葉や、個人や社会、国際関係や階層間で用いられる表現であった。わたし以上の世代が誰でも知っているそれらの言葉を徹底的に排除しようとしたその結果は?というと、これが効果絶大。今の中学生や高校生はDVDで「座頭市」を見たって「めくらのあんま」って台詞は全く理解できないことだろう。これってちょっと、スゴい事だ。
例えば・・・
いたずら坊主(=いたずら好きの子供のこと。坊主や小僧は聖職者を見下している表現だという・・・)
土人(=原住民の意。文化的に遅れている地域の人々を見下している雰囲気があるという・・・)
後進国(=発展途上国と言い換えている。同上。)
くろんぼ大会(=日焼けの程度を競う。海岸などでは定番のイベントだった。オゾンホールや皮膚癌などの知識が公になってから衰退。かつて日焼けは子供が夏休み中に元気に戸外で遊んだバロメーターだった。しかし、「黒ん坊」がniggerのことだからニグロイドに対する蔑視にあたるのだ・・・)
お試しあれ。この類の言葉はIMEを使って試みても変換不能。括弧内の表現ならもちろん一発変換だ。
言葉をどのように使うのか、解釈する側の心の在りように帰する問題だということは誰でも分かっていた。
だけど、当時は「同○問題を飯の種にしているヤ○ザ者にデカイ声で恫喝されたらメンドウだから」と、道理を無視して行動する連中には逆らわないほうがトクだという諦めにも似た空気が蔓延しており、エレガントな議論は到底通用しない雰囲気だった。
そんなわけで上に挙げたような言葉の数々がウンもスンも無く駆逐されちゃった。お陰で映画やレコード、テレビ番組や古典落語の数々までもが、「お里に出せない物件」の烙印を押されたままお蔵に封印されることになった。
抹殺は徹底的に行われた。それでも、生放送のテレビ番組の中で誰かが絶滅語を思わず使ってしまい、「只今の番組中、不適切な表現がありました。関係者各位にお詫びいたします。」というテロップが流れたりアナウンサーが「お詫び」をしてみせる場面が昔はちょくちょくあって、言ってみればそれが「絶滅語」達の断末魔の叫びだったわけだ。
若い連中はハナから全く知らない言葉だろうから関心もないだろうけど、その、ハナから全く知らないという事実そのものが言葉狩りの怖ろしいところなんだよ。もっと言えば教育システムを上手く使えば今通用している世間の常識なんて簡単にひっくり返ることの証明でもある。第二次世界大戦の前後に青春時代を過ごした人は覚えがあるでしょう?
この話題掘り下げればきっと面白いんだけれど、このまま行くと幾分ヤバイ展開になりそうだし、長くなったから今日はこれまでっ。
それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月13日(土曜日)

【御一行様こちらへどうぞ(補遺)】

日本人がタイに入国する場合、2週間以内の観光旅行であれば査証(VISA)は必要ない。でもタイ人が来日する場合はイチイチ大使館に出向いて査証を発給して貰わねばならない。外国人が自国で無許可労働に従事するのを防止する目的があるためで、当該国と相手国との経済格差が著しい場合は特に厳しい運用となっている。
彼らの来日にあたって日本側でわたしが準備しタイに送った書類は、招聘理由書と行動予定書の二種類だった。『招聘』(しょうへい=お招きすること)させていただく4人のタイ人女性は、もちろん不正な労働に従事する目的で来日するわけではない。そのうちの2人は大学教授ですぜ。あーだこーだ言わずにさっさと査証を発給せんかい!と言いたいのをグッと我慢して粛々と書類を準備せねば日本に入国することはかなわない。
タイ側で揃えなければならない書類は、預金残高証明書と給与明細、パスポートとチケットの予約確認表、国民登録証(タイの国民全員が所持を義務付けられている。これが無いと国内線の飛行機にも搭乗できない。)などである。
そんなメンドクサイ手続きを経ての海外旅行であるから、現在の日本人が気軽に出かけるそれとは趣が違うのは当然だ。日本での生活コストは自国よりうんと高いし。今回の旅行で見せた彼らの旺盛な行動力の源は、「この貴重な機会に満喫せねば」というもったいない精神と「不思議の国の冒険」に傾ける強い意欲なのだと思う。
もうひとつ、彼らの長距離旅行を影で支えてくれたのはjapan rail passの存在だった。外国から「短期滞在」の入国資格により、観光目的で日本を訪れる外国人旅行者のために料金面と手続き面の両方で便宜をはかるという、改札口の通行手形だ。彼らは関空のJR窓口で購入したらしい。比較的安価で購入できるこのパスを改札で提示するだけでJR6社すべての乗り物に乗ることができる。指定席料金を払いさえすれば指定席の使用も可能だ。
この通行手形を駆使して、7日間の間に、関空⇒広島⇒姫路⇒大阪⇒京都⇒奈良⇒大阪⇒静岡⇒東京⇒静岡⇒東京、とビジネスマン並みの移動をやってのけたわけだ。
さて、彼らの静岡市内での移動にあたり、定員違反で大活躍した、みきまつ4号。去年の秋知り合いから購入したsuz○ki製の四駆の軽トラである。「高速道路が走れる耕運機」といえば判りやすい、とても雰囲気の良いクルマだ。
布団3組と客人3人分の巨大なバックパックや鞄などの荷物を東京まで高速を使って運ぶなど、意外な実用性も備えている。大荒れの休日、天井の幌に雨粒がバラバラとあたる音を聞きながら運転していると、車輪のついたテントを運転しているような錯覚に陥るが、そこがまた良い。
“それなりの状態”で譲ってもらったクルマだから、エンジン整備や電装品の修理はもちろん、車輪やタイヤ、照明、バネや衝撃緩衝装置の交換などを繰り返して現在の姿になった。昔読んだ漫画の主人公に因んで『どろろ号』とも呼ばれる。みきまつ4号、残り少ない近隣の林道で遊ぶにはもって来いなんだが、時間が無いのだ。
へへ。最後、クルマの月刊誌みたいな記事で失礼すますた。

そりではみなさん、またあすた。

▼2007年1月12日(金曜日)

【御一行様こちらへどうぞ(3)】

元旦の早朝、暗いうちに電車で成田空港に向かう。出発ロビーでは成田市が一斗樽を三つも用意して鏡開きをしており、檜の枡酒で御屠蘇のサービスをやっていた。大小の誤算が連続する中で、少ないラッキーなハプニング。
先発の友人がレントゲン検査のゲートをくぐるのを見届けてから、残りの2人を連れて秋葉原へ向かい、お土産の時計を買うのに付き合った。
ホントにまた往復すんの?と問うてみるが彼らは本気だった。これで都内でのゆっくりしたお正月プランも変更となった。ふ~。
翌二日のお昼前に再び東京駅に着いたタイ人2人。八重洲中央口にてW氏と待ち合わせだ。氏はC女史の大学の同僚。昨年秋に東京の大学でドクターを取るために来日中だ。でも何処にも居ないんですけど・・・。なかなか現われないW氏の携帯に掛けてみると「すみません今、新宿です」。(うあ?)
C女史曰く、「ちゃんと到着時間を教えてあるのにね、変だな・・・」ってアンタ、ご自分だって。一昨日オデン屋に行く途中でタイ料理屋で随分と引っ掛かっていたじゃん?
30分も遅れて合流したW氏と、年末にタイから遊びに来ていたW氏の細君、わたしと東京の友人とC女史、その友人と、総勢6人で門前仲町にある神社に初詣に行ってみようということになる。
参道で初詣の人々の列に加わりのそのそ進む約40分の道程を(わたし個人的には馬鹿辛抱強く)進みつつ、異国情緒をマン喫してもらった。帰り道参道沿いのお好み焼き屋に入ったあと解散した。W氏の細君も明日の飛行機で帰国するという。
夜は4人で以前在日中に何回か訪れたことのある飲食店で食事して、またまた店の人と旧交を温めた。
以上でお判りの通り、タイの客人達は来日以来ぶっ通しで、喰っては寝、歩いては喰い、乗っては歩きと目まぐるしい一週間を過ごしたわけである。10年くらい前の自分がタイに行った時の行動様式とそっくりだったことに目頭が熱くなるわけだが、翌日の早朝5時、一昨日と同じ時刻の電車で成田空港へ送っていったのを最後に添乗員の役目も終わった。
さて、このシリーズで示したように、タイの人々と付き合う際には欠かせない、何故か次々に発生するトラブルの数々。それらをめげずにダラダラと克服しつつも彼らの旺盛な行動力をサポートするため、わたしは暮れと正月のたった三日で成田空港~静岡間を電車と車で何度も往復する等の無理無理な予定で行動し、客人の希望が実現するよう最大限努力したわけだ。
この期間に失った高速道路の料金、ガソリン代、新幹線代金、飲み屋の支払いなどは結構な額にのぼり(タイ人と飲み食いする場合は年長者が黙って全額払うのが慣例。でも、ここは日本なんだけど・・・)、おまけにヨドバ○カメラの時計売り場では一眼レフの広角ズームレンズを落として駄目したりもし、体力気力金力と全部を使い果たし、急に年を取ったような疲れを感じる新年となった。ま、ともかくみんな無事に帰国できてよかった。ふ~・・・。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月11日(木曜日)

【御一行様こちらへどうぞ(2)】

寄り道して時間を喰い、既に先方で待っている友人から2回も携帯で催促されて漸くタイ料理屋を出ておでん屋に向かう。
夜も更けた頃、旧交と胃袋を温めた3人を再び今夜のお宿、みきまつ別館にご案内した。
三人分の寝具は既に準備してある。コーヒーを淹れてお土産を拡げたりなどするうちにトンでもないことが明らかとなった。来日した3人のうち1人は仕事があるとかで予定より二日早く、元日に帰国することになったというのだ。(あらいわっ?)しかも早く帰国する1人を成田まで送っていくため、C女史が付き添って午前2時の電車に乗り静岡成田間を往復するのだという。むちゃくちゃだ。テレビ番組に出演する芸能人並みの距離感の無さに頭がグラグラする。
そこで、それじゃ皆大変だからと予定を変更して翌日(大晦日)に全員で東京の友人宅に移動することになった。静岡でお正月をのんびり過ごしてもらう予定だったのに・・・。
次の朝。わたしともう1人の日本人2人、タイ人3人の計5人は定員違反のみきまつ4号※に乗って久能山東照宮に向かった。海岸沿いのいちご園の駐車場にクルマを停め、海が目の前に見える急な石段を登っていく。だが。途中で彼らの1人が膝が痛くて歩けないと言い出した。宥めて賺してやっとこ東照宮に到着したが、これじゃ降りはもっと大変だろうということで、帰りはロープウェイで日本平山頂に向かう事になった。山の中腹にある東照宮からわたしは石段をイッキに走り降り。みきまつ号を山頂にあるロープウェイの駅に回して合流だ。ってこれ、観光会社の添乗員だ。
今日の予定は、かつてC女史の来日にあたって身元保証人になってくれたBさんの家に「ちょっと挨拶に」に行くというので三組の布団をみきまつ3号に積み込んで首都圏の友人宅に向かう。タイ人3人はBさん宅で鮨などをサンザンご馳走になってから新幹線で東京へ出て、日本人の友人A宅で合流という手筈だ。
読んでいるだけで疲れるような過密スケジュールでしょう?
無事友人A宅で合流した3人が、みきまつ4号ではるばる静岡から高速道路に乗って運んできた布団3組に収まったその晩、元旦に先発で帰る1人を明日(元旦)の朝5時起きで成田に送っていかなけりゃね、などと相談していたら、C女史の携帯が鳴り出した。静岡のB さんから電話が掛かってきて、「どうしてもウチに泊まりに来てもらわなけりゃ私の気が済まない。明日成田へ送っていってから静岡へ来ればいい」とかいって利かないという(おおまいがっ)。
タイ人たちもまた、馬鹿げた申し出を受けて静岡に取って返し、「義理の一泊」を済ませ、翌日再び東京へ返ってくるという暴挙に出るのであった。
まったく何を考えているのだ。距離感が麻痺しているのはタイ人だけじゃないらしい・・・。
ああ、こんな調子でまだまだ続く・・・

 それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月10日(木曜日)

【御一行様こちらへどうぞ(2)】

年末にタイから友人Cが仲間3人と共に来日するというので、暮れの30日から新年に掛けて、5日間休業して彼らをもてなすことになった。この人は静岡大学で博士論文を書くため長期に亘って静岡市に滞在した経験がある。博士論文執筆を書きあげて帰国していく留学生は3年くらい日本にいるのが普通だが、諸般の事情によりC女史の日本滞在は8年にも及んだ!なんとかドクター取って、今はバンコック市内の出身校にもどって教鞭をとっている。
さて、関空から入国した友人から電話がきてみたら、最初4人だったハズが来日してみたら1人は仕事の都合で来ることができなくなり、3人で来日したという。
彼ら3人は来日直後から精力的に関西方面を観光して廻った。初日には宮島と姫路城、翌日は大阪に投宿、3日間の奈良京都大阪観光をし、暮れの30日に静岡にやってきた。30日の夕方タイ人3人は巨大に膨らんだバックパックと手提げ鞄を持って静岡駅南口に現われた。
今晩は中心街にある懐かしのオデン屋に行き、常連たちと旧交を温めあう予定であるという。社交的な性格のC女史がかつて長期にわたる在留期間中に構築した人間関係は、国籍を問わず数知れず。C女史が4年振りに来日するという情報は既に目的地のおでん屋の常連客に伝わっていたので、タイ人と日本人の夫婦二組と合流する事になったという。みきまつ別館に荷物を降ろして一休みする間もなく、みきまつ4号で件のおでん屋に向かう。ところが、道中通りかかったタイ料理屋がC女史の知り合いの店とわかると、そこに立ち寄って「ちょっと挨拶だけしていく」と言い出した。
金とヒマさえあれば気軽に海外旅行に出かける日本人とは違い、一般のタイ人にとって海外旅行のチャンスはそう多くはない。今回の滞在期間は僅かに一週間。この機会を逃さず、と頭に浮かんだ種々の用事をイッキにこなそうとしている。
当然、このタイ料理屋だって挨拶だけで済むわけはなくて、案の定。椅子に掛けろ、菓子を食え、コーヒーにするかハーブティーにするか、なんか飯喰うか?みたいなことになって、おまけに以前友人がタイ語教室でバイトしていた時の生徒のおじさんが客で来ていて昔の話で盛り上がったりしている。おいおい、オデン屋での待ち合わせはどうしたの?
今日はここまで。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月9日(木曜日)

【なんだか変だぞ、郵便局】

年末にタイから友人Cが仲間3人と共に来日するというので、暮れの30日から新年に掛けて、5日間休業して彼らをもてなすことになった。この人は静岡大学で博士論文を書くため長期に亘って静岡市に滞在した経験がある。博士論文執筆を書きあげて帰国していく留学生は3年くらい日本にいるのが普通だが、諸般の事情によりC女史の日本滞在は8年にも及んだ!なんとかドクター取って、今はバンコック市内の出身校にもどって教鞭をとっている。
さて、関空から入国した友人から電話がきてみたら、最初4人だったハズが来日してみたら1人は仕事の都合で来ることができなくなり、3人で来日したという。
彼ら3人は来日直後から精力的に関西方面を観光して廻った。初日には宮島と姫路城、翌日は大阪に投宿、3日間の奈良京都大阪観光をし、暮れの30日に静岡にやってきた。30日の夕方タイ人3人は巨大に膨らんだバックパックと手提げ鞄を持って静岡駅南口に現われた。
今晩は中心街にある懐かしのオデン屋に行き、常連たちと旧交を温めあう予定であるという。社交的な性格のC女史がかつて長期にわたる在留期間中に構築した人間関係は、国籍を問わず数知れず。C女史が4年振りに来日するという情報は既に目的地のおでん屋の常連客に伝わっていたので、タイ人と日本人の夫婦二組と合流する事になったという。みきまつ別館に荷物を降ろして一休みする間もなく、みきまつ4号で件のおでん屋に向かう。ところが、道中通りかかったタイ料理屋がC女史の知り合いの店とわかると、そこに立ち寄って「ちょっと挨拶だけしていく」と言い出した。
金とヒマさえあれば気軽に海外旅行に出かける日本人とは違い、一般のタイ人にとって海外旅行のチャンスはそう多くはない。今回の滞在期間は僅かに一週間。この機会を逃さず、と頭に浮かんだ種々の用事をイッキにこなそうとしている。
当然、このタイ料理屋だって挨拶だけで済むわけはなくて、案の定。椅子に掛けろ、菓子を食え、コーヒーにするかハーブティーにするか、なんか飯喰うか?みたいなことになって、おまけに以前友人がタイ語教室でバイトしていた時の生徒のおじさんが客で来ていて昔の話で盛り上がったりしている。おいおい、オデン屋での待ち合わせはどうしたの?
今日はここまで。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月9日(木曜日)

【なんだか変だぞ、郵便局】

今年のみきまつの年賀状は写真入りだ。タイのバンコックからカンボジア国境に向かう鉄路の途中の駅舎の鐘を客車の窓から写したもの。Phot○shopを使って駅舎番号を2007に改変してあるのだが、ご覧になった方々お気づきでした?
ま、それより今年の年賀状配達状況って異変があるみたいだ。25日前にちゃんと投函しても元日に配達されなかったり、一月も中旬になった今でも全く配達されないはがきもあると聞く。わたしを含めて複数の知り合いが、郵便局の年末年始の仕事に疑念を持っているようだ。
みきまつの年賀状ははがき全面印刷で、しかも大量に製作する事情から通常の年賀はがきが使えず、年賀切手を貼付して近所の特定郵便局に12月26日に持ち込んだ。日本の人なら年賀はがきのデザインはみんな知っているだろうが、年賀切手はあまり馴染みがない。これってちゃんとした扱いを受ける(元旦に配達される)のだろうか不安になった。法律に則って『年賀』と判り易く、しかも赤字で切手の横に印刷してある。郵便局の職員にも「年賀ですから」と念を押した。
ところが30日になって宛先人不明のスタンプが押された年賀はがきが帰って来ていた。「探しましたが宛先人不明であったのでお返しします」ってものもあった。っつうことは・・・去年のうちに配達しようとしたってことじゃん!年末年始の郵便配達の臨時職員、あまり待遇も良くないみたいで、いつだったか田舎町の川原で昼間からキャンプファイアーやってる奴が居て、燃え残りを見に行ったら未配達の郵便物を処分していたのがバレちゃったニュースを見た。
郵便物が盗まれたりして、まともに届かなくても驚かないのが世界の郵便事情の趨勢である。そんな中にあって、日本の郵便システムは信用のおける部類に入っていると思っていたが、そろそろヤバいかも?
若い衆に聞くと、携帯のメールやインターネットメールでのグリーティングが増えていて、年賀はがきを使わない傾向が出てきている。あと10年も経てば長年続いた年賀はがきを見る機会が激減するかもしれない。

それでは皆さんまた明日。

▼2007年1月9日(木曜日)

【なんだか変だぞ、郵便局】

今年のみきまつの年賀状は写真入りだ。タイのバンコックからカンボジア国境に向かう鉄路の途中の駅舎の鐘を客車の窓から写したもの。Phot○shopを使って駅舎番号を2007に改変してあるのだが、ご覧になった方々お気づきでした?
ま、それより今年の年賀状配達状況って異変があるみたいだ。25日前にちゃんと投函しても元日に配達されなかったり、一月も中旬になった今でも全く配達されないはがきもあると聞く。わたしを含めて複数の知り合いが、郵便局の年末年始の仕事に疑念を持っているようだ。
みきまつの年賀状ははがき全面印刷で、しかも大量に製作する事情から通常の年賀はがきが使えず、年賀切手を貼付して近所の特定郵便局に12月26日に持ち込んだ。日本の人なら年賀はがきのデザインはみんな知っているだろうが、年賀切手はあまり馴染みがない。これってちゃんとした扱いを受ける(元旦に配達される)のだろうか不安になった。法律に則って『年賀』と判り易く、しかも赤字で切手の横に印刷してある。郵便局の職員にも「年賀ですから」と念を押した。
ところが30日になって宛先人不明のスタンプが押された年賀はがきが帰って来ていた。「探しましたが宛先人不明であったのでお返しします」ってものもあった。っつうことは・・・去年のうちに配達しようとしたってことじゃん!年末年始の郵便配達の臨時職員、あまり待遇も良くないみたいで、いつだったか田舎町の川原で昼間からキャンプファイアーやってる奴が居て、燃え残りを見に行ったら未配達の郵便物を処分していたのがバレちゃったニュースを見た。
郵便物が盗まれたりして、まともに届かなくても驚かないのが世界の郵便事情の趨勢である。そんな中にあって、日本の郵便システムは信用のおける部類に入っていると思っていたが、そろそろヤバいかも?
若い衆に聞くと、携帯のメールやインターネットメールでのグリーティングが増えていて、年賀はがきを使わない傾向が出てきている。あと10年も経てば長年続いた年賀はがきを見る機会が激減するかもしれない。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年12月15日(木曜日)

【道草出勤シリーズ(?)水路探索】

昨晩仕事が終わる頃に、明日の降水確率80%という予報を聞き、急遽みきまつ1号(自転車)で帰宅した。みきまつ1号は、今ではもう廃業した製造会社が作り、今はもう亡くなった知り合いの自転車屋から、今から25年以上も前に父親が購入し、今では亡くなった母が愛用した自転車である。もともと殆どのパーツがステンレス製だったし、2年前にかなりお金を掛けて整備したから、毎日のように雨曝しにしていてもピカピカだ。街中のこまごました用事をこなす際には最適の乗り物だ。
海辺から1kmほどのところにある住まいから、みきまつ1号に乗って出勤となった。みきまつ3号(鈴鹿でも遊んだオートバイ)で行けば7分足らずで到着する4kmほどの道程だが、せっかく自転車を使うのだし時間の余裕もあるから、のんびり道草しながら行ってみようと決めた。
この土地は扇状地で、海から5kmほどゆったりとした上り坂を進んだところに市街地の中心部がある。そのゆる~~い坂を山の方に向かえば市街地の中心部にある職場に到着だ。レトロみきまつ1号は、車の往来が激しいいつもの通勤路から逸れて排水路に沿った狭い道に入る。
「排水路に沿った狭い道」と書いたが、昔は小川の土手だったはずだ。川は底面と側面をコンクリートで固められて正に排水路然としており、昔日の面影は無い。が、水面の底に水草が群生しているのが見える。思いのほか綺麗な水が流れていた。雨水と下水の区別が上手くいっているのだろう。なかなかいい仕事してますね、静岡市役所水道局。昨日降った雨を集めて水量が多いが、陽がでていないためか魚影は確認できない。職場まで昔の小川を辿ってみようと思った。
なんと、未舗装の道に入った! 40年前なら市街地であっても裏通りは未舗装だったから、雨が降ると必ず水溜りができていたし、冬になればそんな水溜りが凍っていて通学途上でちょっと靴で氷を割ったりして遊んだ覚えがある。だけど、田舎のあぜ道でさえ舗装されてきている現在、こんな市街地にちかいところで舗装がないなんてオドロキだ。昨日の雨でできた水溜りの真ん中を自転車で進む。水路が二股に分かれた。右を進んだ方が職場の方向に近いと判断して進むと大きな道路を渡らなければならなかった。ここまでで新興住宅地の並ぶ隙間に水田や畑地があるといった風景は終わる。
川筋だったはずの道路は広い通りに遮られ、横断歩道さえ設けられていない。朝の混雑した車列の間を縫って道路を渡りきると、住宅地の裏通りに入る。ここで水路には無粋なコンクリート製の蓋が被せられて暗渠になってしまい、なんとなく寂しい風景になる。
水路の上には道路や歩道以外の建築物は無いので、昔の川筋に沿って直線的に見通しが良くなっている。暗渠の蓋にはところどころに窓があって鉄格子が嵌っており、耳を澄ませば水の流れる音が聞こえている。直線的な水路の脇に、これまた直線的に配置された緑地帯がレイアウトされており、ブランコや滑り台などの遊具を囲んで近所の人たちが手を入れているらしい植物が並ぶ。
衛生上の観点から川岸を整備するのはしかたが無いし、急な増水に備える必要もあるだろう。子供が落ちて流される危険があるとか、ゴミを川に捨てる馬鹿者がいるとか、色々問題もあろう。だけど冴えない色のコンクリートの蓋が無ければ植物も活き活きと見え、なによりこの住宅地の景観が和やかなものに変わり、土地の「品格」が上がるだろうに、と思う。
蓋を取り外して「排水路」から「小川」に戻しませんか? ま、一旦できてしまったものは壊すのにもお金が掛かるし、そもそも昔からこの土地に住んでいるのでなければ、この道の地下に川筋があることに全く気付かない人も多かろうから、有意義な提案とは認められないだろうけど。
3番目の信号機のある交差点を越えたところから水路の幅が狭くなり、暗渠に空いた点検用の穴を塞ぐ鉄格子も小さなものになっている。周りは古くからある完全な住宅地となっている。4番目の信号機をわたると暗渠は車道の真ん中に移動されており、大きめの排水溝に取り付けられた格子が水路を暗示するだけだ。道に面した土地の幅がだんだん狭くなり、周りの様子も、城下町然とした趣に変わってくるが、直線的な見通しの良さは相変わらずだ。右手の空き地の隙間にかなり大きな木が見えた。このあたりは大小の神社が点在するが、この神社は馴染みが無い。神社の横の小さい川筋を歩く昔の道を想像する。
駅に近い町内を通過すると、歩道の舗装が色とりどりのブロックを美しく並べたものになっている。もう足元の川筋は側溝の水を集めるだけの小さなトンネルになっているのだろう。
碁盤の目のように四角に配置された街路に突然に斜めに入る道が出現する。排水溝の格子をみると、どうやらここで川筋が二手に分かれているようだった。右に斜めに入った道を辿ると駅の南口方面に向かう。区画整理をしたときに昔の川筋がそのまま残されてできた道だろう。ここから先、駅周辺と国道一号線を跨いでどこまで遡れるものか不明であるが、今日は最初の予約に間に合わないからこの辺で探索終了。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年12月10日(日曜日)

【鈴鹿サーキット走行顛末(2)】

一塊20名ほどの「最速(自称)グループ」に紛れ込んでピットロードから第一第二コーナーに向かう。一般道ではタイヤがもったいないので加速は控えめ、減速は早めにするのが常だが、サーキットで「もったいない」なんてこと言っている奴は誰もいない。急加速急減速が基本になる。
この走行会はレーシングライダーを先導者にしてその後をついて走ることになっていて、所謂フリー走行とは違うのだが、なにしろ先導するのは月間に幾度と無くあちこちのコースを走り回っているライダーだから走り慣れたもので、早い早い!
彼らが片手でアクセルを持ち、後を振り返りながら走るその後を、距離を離されないように追いすがるだけで精一杯だ。しかしここが用心のしどころで、操作ミスをして速度が落ち引き離されるとアセってしう。コーナーの出口がまだ先にあり、依然バイクが強く傾いているのにスロットルを不用意に開ければ、はい、転倒だ。雨の降り出しから暫くは路面とタイヤとの摩擦が急激に落ちるから更に危険が大きい。今回も雨が降り出した3回目の走行で転倒者が続出した。
爆音仕様のバイクに混じると途端に紳士的に感じられるわたしのバイク。早くもS字コーナーを通過中だ。
もう一生分吸ったから、という理由で27歳で禁煙したわたしは喉が弱点。直前を走るバイクの排気ガスが咽頭を直撃する。周回を重ねるとタイヤの溶けた匂いも加わるので結構なダメージを受けることになる。ああ、臭い臭いなどと言いつつ左右にバイクを寝かせていると、通称ダンロップと呼ばれる大きな左カーブに近づいた。左側の路面がありえないほどバイクに迫ってくる。うわ!大丈夫なのか・・・。
一昨年乗っていたみきまつ号は車体が重かったので、バイクが限界まで傾くと足を載せるステップがアスファルトに接地し続けて削れてしまったけれど、新みきまつ号では地面を擦るのはブーツの爪先の外側くらい。バイクが際限なく傾いていくような気がする。スロットル全開でギアを入れ替え、加速しながらデグナーと呼ばれる次の複合カーブ(曲率の違う二つのカーブが組み合わされているところ)のクリッピングポイントを探す。
サーキットという所は道幅がかなり広くて、ちょっと見では何処を走っても良さそうに思えるが、最速で走り抜けることが目的なら、辿るべきラインはとても狭い幅になる。クリッピングポイントとは、車体を反対側に傾斜させるのに適した位置のことだ。といってもそこに表示はないから、縁石の塗装とか舗装の継ぎ目などを目印にする。そこを見据えつつバイクを減速させ、速度に適したギアを選択する。
クリッピングポイントを過ぎたら直ちにスロットル全開。ギアを高速用のものに素早く入れ替えつつ次のヘアピンカーブに向かう。クリッピングポイントが近づいたらまた速度に適したギアに入れ替えつつ急減速・・・。ここは低速にならざるを得ないため速度の落差があり意外に難しい左コーナー。ここを抜けて200R(直径200mの曲率のこと)に向かう緩い登り。昨年は夕日が濡れた路面に反射して前が全く見えない状態で走っていたのを思い出す。
鈴鹿は3回目だが、エンジン回転計や速度計を見る余裕は今年も無かった。最適なラインを外れないように路面に集中しながら耳でエンジンの回転数の見当をつける。アテにするのはお尻がシートと触れる感覚と、視力及び平衡感覚のコンビネーションだ。
右のシケインに入るためにコース左側に寄り、クリッピングポイントを探す。シケインというのは、んー、例えば田舎の一本道で工事中の個所があって、そこを廻って臨時の道をまわって元の道に戻るみたいな個所だ。といってもサーキットでは別に工事しているわけではなくてシケインの前後で速度を落とさせる目的で設けられているものだ。
さて、興味の無い人がそろそろ読み飽きた頃、わたしは右への200Rから左への複合カーブ通称スプーンを通過して緩やかな登りのストレート通所バックストレッチに差し掛かったところだ。時速200km以上で移動していると全身に空気の質量が感じられるようになる。柔らかで強靭な空気の壁の中をもがきながら進んでいるということを実感する。だからウインドシールドの中に上半身を隠して空気抵抗を少なくするよう試みる。
前を走るバイクが空気の壁を切り裂いているから、その直後に位置していれば空気の壁の抵抗が少ないので楽にバイクを走らせることができるスリップストリームという現象、有効に使うためには前車との距離をつめなければならない。そういう訳でまたもや前車の排気ガスの攻撃を喰らう。フルフェイスヘルメットの中でげほげほ咽せながら左の130Rを全開で通過すると再び右のシケインがあるので急制動。狭いシケインを抜けたらメインスタンド前だ。再びウインドシールドの中に隠れてスロットル全開だ。
メインスタンド前の道幅はとても広いが、これはレースをする際にスタートする車両を並べるためと、ピットから出てきた車両と衝突しないために広いのである。左端にあるクリッピングポイント手前で急減速して、右に続く第一第二コーナーに備える・・・とまあ、以下繰り返しで6周くらいグルグル回り、20分の走行時間が終了。ああ~、疲れました。次のグループが20分走る間に休憩。
サーキットを走るとバイクのタイヤの耳に近い部分(ショルダーと呼ぶらしい)まで使えるのでなんとなく溜飲が下がる。一般道ではここまでバイクを傾けることはありえないので、真ん中だけ磨耗してしまいショルダーが残ったタイヤを見ると、何故かもったいない感じがするのだ。冷静に考えるとショルダーまで使えたって「オトク」って訳でもないのだが・・・。天気が怪しい中、2回目の走行も転倒することなく終わり、さあ3回目だと思ったら、いよいよ雨が落ちてきた。よくしたもので、転ばぬ先にサクサク撤収する参加者達が多い。一年に一度しか参加しないこの走行会、今回もワザワザ選んだように雨模様に祟られたわけだが、クヤシイので試しに一周走ってみる。だが、今年履いてきたみきまつ号のタイヤは雨に弱くてズル滑りする。こりゃ駄目だと撤収を決心した。
去年は行きも帰りも自走したので、雨の中鈴鹿から地元に帰るのは難儀なことだったけれど、今日はバイクを積んできたトランポ(積載車)に便乗してきたので楽チンだ。団体行動が超苦手なわたしだが、皆に付き合って高速のサービスエリアで食事をし、皆と共同作業で雨の中トランポからバイクを下ろし、地元のバイク屋を後にした。今回の話、別にオチがないのは非常に良かったと思う。骨折治療記などを入院先で書くことにならずに済んだから。来年はどうであろうか・・・。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年12月9日(土曜日)

【鈴鹿サーキット走行顛末(1)】

ダサい行為だと自覚したのか、それとも警察の取締りの成果か、街宣車やクルマの著しい爆音はあまり聞かれなくなった。と思ったら後継者が現われた。
掛けている本人も歌詞の内容なんか全く解っていないと思しきラップミュージック(とか”ブラザー”の、ですか?)を街行く人々に大音量で「聞かせてあげてる」連中のクルマ。
「カッコイイ音楽ってものを知らない、この辺のイケてない皆の衆にこの特大アンプとウーファーのセットからニューヨークのブラザーの最新のノリを分けてあげよう。」ってことだろう。ついでに道行く女の子に「こんなイケてる俺らと付き合ってみる?」てなsecret intentionもあるかに思われる。
仕事場は江戸時代からあるという道筋だ。街中だから、周辺の地域からこのあたりのデパート街に買い物に来た人たちのクルマが駐車場待ちの長い列を作る。土日の午後から夕方に掛けてはもちろん平日も、天気次第でしばしばクルマの行列がみきまつ前の車道にずらりと並ぶことになる。そこに、今日も聞こえてまいりましたあの音。
どすんどすんという低周波サウンドと手拍子と掛け声だ。「ひとりお祭り」状態のまま渋滞の列の中をのろのろとみきまつ前を通過していく。賑やかなのは結構だが、彼らの馬鹿さ加減にはいささかゲンナリだ。
バイクの爆音は健在だ。無免許のコゾーが二人で乗り廻している盗んだスクーターの2ストチャンバーから出る「ミーミー」いう音は、ここ静岡ではあまり聞かれなくなった。その代わり、最近はアメリカ製の二気筒の大型パイクが排気管を改造して「だぼどん、どぼどん」と、でたらめに叩いた和太鼓のような爆音を出すのが流行だ。あと、駆け出しの若い衆が乗り回す単気筒のスクーターなどもケタタマシイ音を出して通過する・・・おーのー。
クルマの低周波もバイクの大音量も、聞かされている方から否定的な感想を持たれるだろう。そこんとこに思い当たる回路が彼らの頭に元々無いのか、自らの出す「イカすサウンド」に酔い痴れている様子だ。
わたしが専制君主に就任した暁には、このような車両は見つけ次第没収、即時廃車とし運転者には独房で自身の出していた音を最大ボリュームで昼夜問わず一ヶ月ほど聞かせてあげる刑罰を与えることだろう。
しかーし、今日、ここ鈴鹿サーキットのコース内での優先課題は排気効率やエンジン出力の向上であって、騒音に関する心遣いなどは顧慮されない。出走を待つわたしの周りに並ぶ何台かのバイクは恐るべき爆音をあげている。魔王の取り巻きの地獄の番犬どもが咆えまくっている、という趣のサウンドだ。もっとも、まあ、慣れの問題である。それにこの排気音はライダーの人格を表現しきっているというわけでもないし。
それより、サーキットにいるライダーの人格や経験を語るのはレーシングスーツだ。二輪用は皮革製で、股から首まで一筋のファスナーで閉じる着ぐるみ構造となっており、背中と肩、肘と膝と臀部横に保護パッドを内蔵しているゴツイつくりだ。このレーシングスーツの臀部、肩部などにアスファルトで擦れた瑕はサーキットでの転倒経験の記録というわけだ。一般の道路上でレーシングスーツにこのような瑕がついたとしたら、当然大怪我は免れないの。でも対向車も歩行者もいないサーキットコースは一般の人々が考えるよりもずっと安全な場所である。競争モードでなければという但し書き付きだけど。
さて、あちこちにザックリと擦り瑕の付いたレーシングスーツに身を固めたライダー諸君に囲まれてわたしもピットロードにバイクを並べた。今日はバイク販売店主催の「走行会」というヤツに参加しているのだ。いくら走ったって、その先に目的地があるわけでもなし、興味のない人が見たらさぞ馬鹿げた催しだろう。折の中のウマの如く、ただコースをぐるぐると廻るだけだ。ここにいるのは単にバイクを走らせることそのものが楽しい、という人間だ。
今にも泣き出しそうな天候だが、昨年の同じイベントでは走り出す前から雨が降っていたのに比べれば、良し。とせねばならないだろう。3回目の走行まで天気がもつかな?

それでは皆さんまた明日。

▼2006年11月17日(金曜日)

【見えるもの見えないもの】

仕事場の入り口は大きなガラスを嵌めこんだサッシ構造になっている。ウチが入居いるビルの壁面は茶色、一階の専有部分は白とオレンジが基調の、全体が暖色に傾いた配色である。この入り口右側のガラスのど真ん中に、あざやかな紺色のタイ文字のカッティングシートが出現した。
実は、このカッティングシート(=粘着剤のついた薄い樹脂シートに切り文字をしたもの)は、先月タイに行った際、中華街の近くにある専門店で製作したもの。
先週の日曜日にタイ式マッサージ講座の生徒さんに手伝ってもらって貼り付けたものだ。このタイ文字、かなり目立つはずなのだが今日に至るまで、何人もの患者さんが来院しているのに殆ど気づく人がいないのが面白い。
この切り文字、何が書いてあるか、ということは置いとくが、とにかくアルファベットやハングルなどと違って馴染みの薄いタイ文字は、たいていの日本人にとっては単なる模様にしか見えないのであろう、と考えられる。
ところが昨日中足指を捻挫した患者さんに超音波治療をしていたら、突然入ってきた東洋人に
「do you speak Thai?」と尋ねられた。ん?なんだなんだ?
(↓以下“”はタイ語)
“ああ、ちょっとだけど・・・わかるよ”
“表にタイ語が書いてあったから入ってきたんですよ。ちょっと聞きたい事があって。”
“いいですよ。何?”
すると、もう一人のタイ人が、地元のスピードでがんがん喋る。
“ちょっと待て。もっとゆっくり話しなよ。早いと判り難いし、まだ知らない単語も多いんだよ。で今、何て言ったの、もう一辺話して。”
“この辺りに鐘突き堂のある仏教寺院はありますか?”
お寺なら仕事場の周囲にいくらでもある。でも殆どの寺の入り口は静かな裏通りに面しているから、地図無しには説明できない。それに、そもそもタイ人は地図を読む能力が欠けている。学校で地図の書き方読み方を教えてないのだそうだ。案内してやりたいけど予約が立て込んで時間がない。
そこで急遽大雑把な地図を書きなぐり、2ブロック裏にある大きな寺を紹介した。
仕事場の外の歩道に残っていた人と合わせて6人のタイ人男性は、お寺でお勤めがしたかったというわけだ。日本に比べてお寺に行く事が日常生活動作に組み込まれているタイの人々。彼らは静岡にある有名なプラモデルメーカーに研修に来ているのだという。プラスチック成型に関する研修のため滞在しているタイ人は結構多い。M電気の大きな工場や、その衛星企業に研修に来るのだ。
“またいつでも遊びに来てよ、気をつけてね。” “どうもありがとう。”と、互いにワイ(タイ式の挨拶=合掌)をしてわかれた。日本の秋は彼らには寒い事だろう、皆、肩を竦めて立ち去った。
それにしても件の切り文字、言語としての役割は果たしたわけで、思わぬ文化交流が発生したということ。で先ずはめでたしめでたし。
彼らはこの辺りの街路をあるいていていたら偶然に風景の中から、母国の言語だけが浮き上がって見えたのだろう。そこが人間の視覚の面白いところだ。例えばわれわれが一人で心細くバグダッドの町を歩いている時に、その辺のレストランのガラス窓に「かき氷あります」なんて日本語で書いた紙が貼ってあったら、驚きまた喜んじゃうだろう。思わず中に入って日本語を使ってみたくなるってものだ。
みきまつ接骨院の面している通りには入国管理局の事務所があるのでこの辺を通過する外国人が多い。特に英語圏ではないところから来て、苦労している人々に対しては、励ましの言葉でも書いて貼っておこうかとも思うが、その前に各国語で挨拶くらいできるようにしないとね。突然入ってきた外国の人とチンプンカンプンな遣り取りをするのは楽しいけど本業がパンクしちゃうだろう。文化交流の実現は難しそうだ。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年11月14日(火曜日)

【「左脚」と「信・義・中」】

朝起き抜けに豆を挽き一杯飲んで、昼はカルテ書きながらコーヒー屋に配達してもらったのを飲んで、夜帰宅して洗濯機廻しながらまた飲んで、この茶色の飲み物に依存しているが如きのわたしだが、仕事の都合で早く出勤したら隣のコーヒー屋さんが開いていない。最初の予約20分近く余裕があった。まあ、何かコーヒーに似たものが飲めればよい、ということで向かいのコンビニでインスタントコーヒーの小さい瓶を購入した。
同じコンビニで同じブランドの同じ大きさの瓶を何回も買っているのはムダが多いと思う。だったらスーパーに行って大きな徳用瓶を購入した方がよいのだが、わたしは徳用のものを上手に使うのが苦手だ。たくさん同じモノがあると思うと扱いがザツになってしまうのである。財布の中に千円札一枚しかない時の買い物は熟慮の上でせねばならないが、カードで支払いする時は、ついつい必要性の薄い買い物をしてしまうのと似ているかも。
もうひとつ小瓶を好んでもとめる理由がある。インスタントコーヒーのプラスチック製の蓋を取ると、瓶の口に紙がピンッと貼ってある。これを破くのが楽しいわけ。子供の時分、障子紙を破いて遊んだことを思い出す。きっちりと整ったものに風穴を開ける喜びを強く感じるようだ。
砂浜は波の満ち干によって真平らに整地されている。ここに足跡をつけながら歩くのが快感だ。その感じともよく似ているこの快感。わかる人にはわかるこの気持ち、どう説明したらいいだろうか?
破壊衝動のガス抜きであるといったらわかり易いか?砂浜や雪面やインスタントコーヒーの紙蓋や障子紙のようにまっさらな部分に、どうしようもない、取り繕う余地の無い痕跡を残すことに快感があるのだ。「ああ、ここに生きている!」という実感を味わえるから。次の満ち潮、次の降雪があったらまた真っさらの新品に生まれ変わるわけである。破壊衝動などという物騒な代物を、誰にも迷惑かけずに、きわめて平和裏に処理できる。
話は変わるがタトゥーの彫師に破壊衝動で仕事をされては堪らない。カンバスたるお客様の肌はまっさらさらの新品。最近はレーザーで消すことも可能というが、まあ、いったん書いたら一生モノだ。超繊細で責任重大な技術である。
16年前に開業した頃は、「うわこの患者さんの肌、絵が描いてある!」などと内心ビックリしたものだが、最近流行っているものなのか、だんだん見慣れてきた。これまででわたしが一番評価したいのは、足首の周りを緑色の葡萄のツルが一周しているというお洒落な図柄だ。
問答無用に痛いのは嫌いなので、わたしが彫師の世話になることはないと思うが、絵柄を考えてみたことはある。最近妄想中の絵柄は、肩峰の部分(肩先のワッペンの位置)に小さいオバQが、反対側の肩峰にはパーマンが飛んでいるというもの。
ミッキーマウスとかも気持が和んで良いかもしれない。それも大まかなパーツは一緒なのになにかバランスが偽物っぽいやつ。ワザワザ情けない絵柄をモチーフにして一生の友とする。なかなかできないことであるが故に偉大である。やも。
タトゥーの専門誌を覗いてみたことあるけどトンでもない柄や文字を平気で入れているから驚く。公衆の面前で肌の露出を嫌う仏教国タイの南の島のビーチリゾートでわざわざトップレスになり、きゃーきゃー騒いでいた欧米人の女がいたが、この人の背中の一番下の部分に大きい字で「信 義 忠」と彫ってあったのにはたまげた。ふくらはぎの部分に大きく「左脚」と彫ってあるのを目撃した知り合いもいる。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年10月25日(水曜日)

【ブログミステリー】

このページも、公開日記という点ではブログと似たようなものだが、ホームページの賑やかしという主旨に反しない内容にまとるよう心掛けているつもりだ。見てくれた人の気分を害したり、喧嘩を売ったりするのが目的じゃないから当然だ。ところでこうしたページにプライバシーに関する内容を記述することが超危険であるのは言うまでもない。今回は、ちょい考えればあたりまえと判りそうなことに意識が向かない人の話と、不幸な偶然が出合って凄いことになっちゃった人の話です。
某区の会社に勤めるA子(33歳)は一昨年からブログを開設している。内容は、文字通りの公開日記であり、私生活のあれこれを書き記したもの。最初は勤め先の同僚とのやりとりや近所のレストランの紹介、好きなお洋服の話題など身辺雑記の体裁だったが、ブログを更新する度に内容がエスカレート、いまでは不倫中の恋人との秘密にまで及ぶコアな内容となっている。所謂「告白ブログ」と化しているのだ。ここまでは最近よく耳にする話。
さて、ある会社員が職場のパソコンから自社の取扱い商品を検索中に変なブログに行き当たった。この会社はヨーロッパに広く販売網を持つ商社で、わりと特殊な商品を扱っている。ん?会社の固有商品名がこんなブログなんぞに出ている・・・なんだろう、と内容を見てみたところ、ブログの著者の勤め先に関する記述が、何から何まで自分の会社のものと同じであることに気付いて愕然とした。更に読み進めた結果、他の記述内容もことごとく、本ブログの著者はウチの課のA子である、と示していたのであった。
ブログの存在はたちまち社内の同僚達に広まり、「お気に入り」に登録されてチェックされるようになっていた。A子は会社に溶け込めない存在で、同僚の皆さんからは少し距離を置かれている。打ち明け話をするような友だち付き合いが無いというのは本人もブログに書いている。まあ、だからこその「告白ブログ」なんだが、問題は会社の人間に正体がバレていることを本人が知らないことだ。
アクセス解析などの知識もなく、社内の同僚達が毎日チェックしていることなど知らないA子は、上司や同僚との日頃のやりとりや、一昨年別の支社から出向してきたB氏と不倫の仲になっていることなど仔細に書いている。匿名であるとはいえディティールがことごとく一致しているから、両人を知っている社内の人間が見たらえらく生々しい話だ。日記を遡れば、B氏との出会いから初デート、付き合いが濃くなっていく様子、そして現在に至る2人のプライベートがペロンと剥きだしになっちゃっているのである。
同僚達が固唾を飲んで毎日のようにブログの更新を見守る中、その内容はどんどん濃くなっていく。最近では、避妊に失敗して彼とのすったもんだの末「手術」を決心した経緯、病院に出向いた時の気持ちなどを几帳面に、切々と書き綴っている。こうなるとB氏の行動も逐一チェックされずにはいられない(あ、もちろんB氏もA子のブログの存在を知らない)。
例えばブログによると「手術」の当日、B氏は会社の重要な用事があるといってA子のもとに顔を出さなかったとあるが、当日B氏が他の女性とプールバーで遊んでいるところを目撃した、等の情報がメールで社内を飛び交っており、あまり健康的でない雰囲気になっているのだという。
A子の身元が社内にバレてから半年、こんなに暴露話をみてしまった後で今更A子に事実を教えるわけにもいかない。もし本人がそれと気付いたらどんな成り行きになるのか? 不倫中のB氏の運命は?先行き空恐ろしく思う気持ちもあり、だが「お気に入り」をクリックしてしまうのを皆やめられないのだという。 
これ、現在進行中の実話です。念のため。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年10月23日(月曜日)

【スワーンナプーム:3】

さて、復路のスワーンナプーム空港はどんなであろうか?わたしの乗る飛行機は午前7時ちょっと前の出発だから、まだ暗い内からチャーターしたタクシーに乗り込んだ。
さすがに早朝の町は交通渋滞が無い。朝日が射すまではだいぶ時間があり、細かいところが闇に沈んで見えないから、東京の道路の風景とよく似ている。タイは左側通行でもあるし。飲み屋街には昨晩からの飲み客目当てのタクシーが行列しているのは日本と同じ。
空港に近づくにつれて右手に建設途中の橋脚が連続して林立している。橋もぼちぼちかけられているようだ。前々回に紹介した空港内の「train」の表示は“将来完成予定の高架鉄道がこの空港に乗り入れ予定”という意味だから、この橋脚が工事中だってことはあと2,3年は実現しないだろう。空港に入る道は片側片側5車線あるし各レーンの幅が広く取ってあるから無闇に広い。空港ビルの巨大な屋根が見えてきた。
超大袈裟な立体交差からエントランスに入る。この時間帯は帰りの客が拾えないので嫌がるタクシーの運転手もいるようだが、そりゃ考えが浅い。なにしろ渋滞がない時間帯だからさっさと市内に帰ることができるのである。
さて、なにしろ巨大な建造物ではあるが、基本的に必要な施設はたかが知れている。頭上はるかに見える天井の梁を見上げると、恐ろしく大きな空間が広がっていることをシミジミ感じる。現在午前6時であるから空港ビルの空気は涼しく気持ちが良いが、太陽が昇ってくると途端に熱くなるタイの気候。これだけの容積の空気を冷やし続けるためには壮大な冷房設備と大きな電力が必要だろう。
深夜着で早朝出発という便を、最低な使い勝手などと呪っていたが、案外に良い便だったのかも。
急いで開港はしたものの、あちこちに間に合わなかった部分が残っていて、通路のすぐ頭上にあるブースでは何の工事なのか数人の職人が大きな音を響かせて仕事に余念が無い。段取りがデザインはオシャレだが仕上げに綻びがあるのはタイのお約束である。搭乗手続きのカウンターに向かうと入り口奥にいきなり巨大な金ぴかのモニュメント。ヴィシュヌを中心に左右に20m、高さ5mほどの創世記の物語を表すらしい。絶好の撮影ポイントなのであろう。
航空会社の搭乗手続きカウンターまでの長~い通路には入国の時と違って、動く歩道がない。オシャレにデザインされた通路の左右に展開する多数の免税店やレストラン、土産物屋など。旅行者から外貨を稼ぐ最後のチャンスを逃がすまいと、食虫植物のようにギラギラしたショウウインドウを広げている。
これらの店の物品価格は高級ホテルと同じであるのは明白だから、貧乏旅行者の場合は、ここはオール無視して通過し、隅っこにある搭乗手続きカウンターを目指してテクテク歩く。
あまりに長い距離を歩くので途中で便意も起きる。で、トイレを探しながら歩いてゆくと、空港ビルの内装の仕上げについて綻びがあちこちに見えた。さて、Dゲートの7番搭乗口というのは、この大きな空港ビルの東はずれにあった。動く歩道は見当たらない。今も無いしこれからも設置されることはなかろう。さて、大空間を使いたい放題使った長大なスロープを使って3階から2階に降りると、階段の最後の踊り場の隅っこで機内持ち込みの手荷物検査が待っていた。イギリスで起こりやがった大迷惑な液体爆弾テロ未遂事件以来おこなわれている検査である。
何度も書いたように空港ビルは巨大であり、その伸びやかな空間を使いたい放題。出発ロビーから一階下の登場口にいたる通路には長大なスロープを設けていて、オシャレ。しかし、手荷物検査はそのスロープの終点に折りたたみ式の会議用テーブルを4ばかり並べて置いただけの狭い場所でおこなわれていた。場所の使い方間違ってないか?ひとつのテーブルに3人の係員がついて、手荷物のチェックをしている。
試みに手提げのビニールの中に宿でもらったヨーグルトと牛乳のプラスチックパックを入れておいたが、さすがにこれらは発見されて「捨てるか、ここで飲んでしまうか」の選択を迫られた。もちろん両方イッキ飲みで片付けた。観察していると男性は検査が軽いのに比べ、おおかたの女性は化粧品水の入った瓶などを必ず持っているから入念に手荷物を検査されているようだった。
漸く開放された一人の女性に様子を尋ねてみると、最初はこれも駄目、これも駄目という感じで日本製の化粧品類を取りあげられ、係員がこれらを廃棄用のビニールの袋に入れていったのだという。これで液体類とはお別れ、と覚悟を決めた矢先に、こんどは鞄の中からタイ製の歯磨きのチューブが発見された。
で、ここからがタイらしいところだが、歯磨きチューブは液体か否かで係員同士がもめもめと話し合っていたのだという。マニュアルに記載されていない出来事だったのだろう。係りの一人が上司に尋ねに行っている(多分、判断が面倒だからその場から逃げた)間に、係官は押収した液体類を入れたビニール袋を、黙ってバッグに戻してしまった!
もう一人の若い係官はこの様子を唖然として見ていたというが、若者よ、これがタイ・スタイルだぞよ。タイでは「気分が乗らないから・・・」「面倒だから・・・」程度の理由で、仕事の根幹に係わる部分があっさり切り捨てられることがあるのだ。
結局、いったんは取り上げられた品々はビニール袋に入れて他のバッグに入れ替えられただけで通過しちゃったとわけだ。メデタシメデタシ。さすが、施設は新しくなってもタイ人の気性は変わらない。まったく、興味の尽きない国である。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年10月7日(土曜日)

【スワーンナプーム:2】

新しい空港になっても全く変わらない入国審査官の無愛想な事務手続きを経て税関のカウンターを出ると・・・・
その先の荷物受け取り場所はドーンムアングの時と殆ど変わらない配置であった。これだけ広くて天井が高い建物なのに使っている場所は狭いのに驚く。わたしは機内持ち込みの手荷物のみだ。
話は変わるが、巨大な回転寿司みたいな機械に載った荷物の列をニラんで自分の荷物を捜し、手違いの無い事を祈るというのは本当にイヤなものだ。わたしはVIPだから手荷物のみで旅行する。むふふ。という気持ちで先に進む。
話を戻して、ヤル気の全く感じられない税関のカウンターを通って仕切り壁の向こうに出た。
ドーンムアングの時は左右を柵で仕切られた広い場所があり、エクスチェンジのカウンターが銀行別に設置されており、中央にはリムジンタクシーの手続きカウンターや案内所があった。
その広場の左右は柵で仕切られていて、出迎えの人が入ることができないよう規制されていた。その向こうに、客の名前を書いた紙を持った出迎えの人垣ができており、その向こうにタクシーの客引きなどがたむろしてごった返していた。友人に出迎えを頼むときには左右どちらの柵で待っていてくれるのかを確認していたものである。
新しい空港ではこのようなゴタゴタした空間がきちんと整理されて・・・いなかった。それどころか以前より狭くなっている!
仕切り壁の向こうに出た途端、モーゼが海の水を左右に避けて海底を進んだように出迎えの人垣が左右に広がっており、その先はすぐに空港ビルの出口なのである。もう少し場所の使い方を考えて設計して欲しいものだ。この場所は吹き抜けになっていて例のステキなブルーの照明に照らし出された高い天井が見える。使い勝手の悪さと、オシャレな内装との対比がツライ。
さて、出迎えの人垣を無理やり突き抜けて進むとタクシーの客引きが盛んに声を掛けてくる。以前と同じことであり、ぜんぜん進歩が無い。最近は日本人の女性が空港から拾ったタクシーでホテルに向かう途中で運転手に乱暴されたという事件も聞いており、こいつ等に身を任せるつもりはないので、そこらにいる空港勤務のガードマンにバス停の場所を問い合わせる事にした。
そこで判明したのは空港職員に空港施設の位置や旅客の交通手段についての教育が徹底していなかったことである。ま、ここはタイだし、開港初日だし混乱もあったのだろう。しかし、1階にある駐車場への出口には長~い長~いスロープの動く歩道がオシャレに設置されている。そこの看板には「bus turminal / parking lot / TRAIN」とある。
TRAIN ?
参考までに書くと、鉄道は現在建設中であり、スワーンナムプームの湿地帯に橋脚がぽつぽつ立ち並びはじめたばかりであり、その橋脚に空港ビルから2kmくらいのところまで橋が架かっている状態であった。つまり例の看板は将来の鉄道乗り入れを見越した看板だったのである。ちなみに今のところバンコク側には橋脚さえ建設されていなかった。
市内までのバスは空港に直接乗り入れておらず、先ずバスターミナルまでのシャトルバス(無料)に乗る必要があるのだった。広い広い空港ビルの一階広場の照明は暗い。ひたすら暗い広場に漫然と配置されているように見える案内係だか車の誘導係だかに尋ねて漸くシャトルバスに乗り込んだ。このバスはバンコク市内を走っているのと同じ、床が高~い位置にある年寄りにはキツいタイプ。でも滑走路で走り回っている台湾製のポンコツに比べれば数段静かなものである。
ただ、このシャトルバスがね・・・バスターミナルは3,4km先にあったのだが、寄り道する場所が妙に沢山あって、あちこちぐるぐると走り回り、なかなか到着しない。どうやら空港で働く人たちのためのものらしい。そういえばわたしの他に旅行鞄なんかを抱えた乗客は一人もいない。後でターミナルに着いたら「express」と書いたバスもあった。これにはちらほら旅行客も乗っていた。じゃ、みんなどうやって市内に入ったのだろうか?多分、空港ビルから直接出発するリムジンバスがあったのだ・・・と気付いた頃に労働者向けのバスターミナルに到着。
スワーンナムプームは湿地帯だから蚊が多い。ちくりと刺して直に退散する逃げ足の速い小型の蚊がわたしの脚に群がる。タイ人の労働者達も皆しきりに脚を掻いている。蚊に食われて30分も待った頃到着したバスは満員であった。荷物を床に置いて、40分近く立ったまま着いた人気の無い真っ暗なバス停で降りたが、更にバスを待つ気力も湧かず、その辺に流していたタクシーを拾って目的地の宿泊場所に向かった。ドーンムアングからであれば30分以内で到着できるハズが、合計2時間の小旅行となってしまったのである。
さすが自称VIPはやる事が違うのであった・・・。コレに懲りて帰りは宿泊場所から直にタクシーを使う決心をしたのは言うまでも無い・・・。
この先スワーンナムプーム:3に続く・・・かも。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年10月6日(金曜日)

【スワーンナプーム:1】

開港第一日目のスワーンナプーム空港の誘導路を進む飛行機の窓越しに空港ビルが見えてきた。乗客も乗務員も一斉に機体右側の小さな窓の列越しに外の景色に注目している。巨大な筒を幾つも横に並べたようにも見える空港ビルの壁面は総ガラス張りで、天井を支える図太い金属製の柱にブルーの照明が当たって美しい。時間は夜11時過ぎ。
このビルが巨大な構造体なのだというのは、傍に駐機している旅客機が小さな玩具のように見えることからも窺い知れる。近づくに従ってビルがどんどん大きくなっていくようにも感じる。
素晴らしい・・・さすがはアジア第二の規模といわれる空港である。米国での会議から自国に戻る事ができなくなった前首相タクシンも、色々あったけど地下鉄といい、空港といい、威勢の良い事業をたっくさん実現したんだナー・・・
などと考えているうちに、わたしの乗った飛行機は空港ビルの南西の端に停止した。ん?ビル横付けじゃない?
嫌な予感が外れるよう祈りつつ、タラップを使って地上に降りる。膝が悪い人は大変だ。相変わらず年寄りに厳しい国だナー・・・。
でもドーンムアングと違い、果物の腐敗臭と排気ガスの混じったような独特のニオイが感じられないナー・・・などと考えつつ、飛行機の牽引車とバスを無理やり合体させたような低床式のシャトルバスに乗った。立ち席に手荷物を持った乗客がびっしり乗り込むまで待って出発だ。
がぐわあああああああああああああうあうあうあうわああああああうあうあう車輪の横にあるギアボックスから物凄い歯車の唸りがして頭蓋骨に共鳴する。隣の人の話し声は全く聞こえない。このシャトルバスどうなっているんだ?ギアーが故障してずっとLOで走り続けているのだろうか?客室と透明なアクリル板で仕切られた運転席で当たり前のような顔をしている運転手の顔を見ているうちに、あまりに酷いギアーの唸りに頭痛がしてきた。シャトルバスの天井近くに貼り付けられている名盤を見ると台湾製であった。製造年は今年。なんと、これ新品のバスであった・・・。誰が幾ら袖の下をもらってこんなポンコツの導入をきめたのだろうか?
空港ビルの地上部分は以前のドーンムアングと同様、手の指を大きく広げたような形であるらしく、シャトルバスはその形にピッタリ沿った通路を、多分ギアをLOに保ったまま、いつまでも走り続けた。UAはよほど空港使用料の安い昇降場所を借りているのだろうか?先に降りたfirstやbuisinessの連中はこんなイカれたバスには乗らず、もっと快適な車で移動したハズだ。でなりゃ、カネを返せと怒り出すことだろう。頭が騒音で爆発しそうになった頃、漸く空港ビルの1階に到着した。こりゃドーンムアングの時より悪いじゃん!
長い長い通路にはしかし動く歩道が設置されており、以前のようにガクガク引っ掛かることも無く動いていて快適だった。入国審査のカウンターに向かって幅の広い通路を右に曲がると両側に巨大な鬼のモニュメントが左右に聳えている。高い天井はオシャレな網目になっていてステキな仕上がり。照明はその網目の更に上に設置されている。更にその上に高い高い天井があり、先ほど機内から見えたブルーの照明が天井を支える無数の柱を壮麗に照らし出しているのが見える。
イミグレのカウンターは何故かひとつ置きに凸凹の配置とされており、どうもお待たせ感が少なく見えるデザイン、のつもりのようだ。ん?よく見るとせっかくのオシャレな天井の網目と照明の間にびっしりと蜘蛛の巣が張っている・・・熱帯に生息する昆虫の生命力の前にはハイテクデザインもカタ無しである。新しい空港になっても全く変わらない入国審査官の無愛想な事務手続きを経て税関のカウンターを出ると・・・・
以下スワンナプーム:2に続く・・・・

それでは皆さんまた明日。

▼2006年9月28日(木曜日)

【行ってきま~す】

7月から一日の休日も無く過ごしてきたが、今回ガボと休みをとった。
月末の経理処理などは、来月廻しにしてあたふたと準備しているところだ。
毎度のことだが、出発間際に限って負傷してしまう患者さんが多く来院されるのはナゼであろうか。二塁へ走塁の途中でハムストリングの肉離れが再発したIさん。寝違えと思しき頸部疼痛を発症したoさんaさんtさん。患者さんからの紹介でご相談に見えたsさんtさんIさん・・・。昨晩までの治療で概ね症状が落ち着いてくれたのでホッとするわけだが、今日の午後から見える新規の患者さんや、現在通院中の患者さんの症状が悪くなった場合などいろいろ想像していたらキリがない。悪いけどブッ千切って出発だ。
今回は例によってタイマッサージ関連の視察が主な予定となっている。
心配なのが新しい空港での入国手続きだ。バンコックの空港は長年親しんだドーンムアングからスワンナムプーに機能の殆どを移す事になった。
ここ一ヶ月ほど少数の航空会社が徐々に乗り入れを開始しているがわたしが今日利用する便は今日から新空港に乗り入れることになるようだ・・・不安である。
タイの入国管理管は「微笑みの国・・・」という旅行会社のコピーを思い出して苦笑いしたいほど無愛想な連中だ。たま~に女性の管理間と和やかな雰囲気で短く言葉を交わした経験もあるが、そんなことは滅多にあるものじゃない。
日本と違って驚くのは公共交通機関の故障・遅延などに対してタイの国民や役人、末端の公務員などがいずれも無頓着にみえることだ。例えばこんな体験・・・23時に出発した夜行バスが午前2時に停車して起こされた。何かと思ったらエンジン故障でこれ以上走れないから、代替のバスに乗り換えだ、降りてくれという。
ま、故障は整備の不備だか能力不足だかで、運転手などに個人的責任があるかないか脇に置くとして、さも故障だから仕方ないという乗組員の態度。このときも一言だって謝罪する言葉が無かったが、タイではこれがあったりまえのことらしい。
日本人があまり行かない田舎の町で午前4時にとある田舎の市場のまえでバスを降りたときの経験。
タイの際東端にある島のリゾートホテルに予約していたのに、迎えと思しきソンテウの運転手に声を掛けたら、わたしと同行者の名前がリストに無いという。
そんなハズは無いだろう、調べてみてくれと要求して、運ちゃんが携帯でホテルに確認とっている。その間、他のソンテウの乗客は40分以上待ちぼうけを食っていた。すったもんだの末に何とかボートに乗って島についたが、このときもホテル側からの謝罪の言葉はまったく無かった。
たまに行く旅行者ならとんだハプニングだったね・・・で済むかもしれないが、こんなことがしょっちゅう起こるのがこの国である。聞くところによるとスワンナムプー新空港は成田空港並みの大所帯らしい。初日からトラブル続出したって何の不思議も無いのがタイである・・・

それでは皆さんまた明日。

▼2006年9月8日(金曜日)

【鈴虫発見】

昨日の日記で院内に潜伏している鈴虫の話を書いたが、今夜帰りがけになって、とうとう奴を発見した。きっちり24時間経過してからの遭遇で、患者さんが使うプラスチック製の脱衣籠の中でもぞもぞしていたのを見つけたのだ。何処に潜んでいたのだろう。気力体力失せている様子で、もう鳴かない。
昨日の日記を書いてから、外に出てバイクのモーターを始動する前にちょっと耳をすましてみたら、こんな街中なのにも係わらず、鈴虫他たくさんの秋の虫が鳴き声を競っている様子がわかって驚いた。近所には飲食店も多いので大きなゴキブリが舞っていることもあり、イヤだけどこれは納得できる。
念のために書くと、わたしの仕事場には食い物の不足のためか、それとも身を潜める場所が少ないためか、連中が長期に亘って滞在するということはこれまでは無かった。
昆虫は光に集まる性質があるものが多いと聞く。でも鈴虫は暗いところを好むイメージがある。こんな明る過ぎる場所にどうしてコイツが迷い込んできたのが不思議だ。近くの公園の茂みが最有力出身地だけど、詳細は不明。
それはそうと、今日昼頃お弁当に持ってきた鰈のソテーをぱくついていたら男の人が「済みません・・・」とカーテンの向こうから声を掛けてきた。新規の患者さんかと思って出てみるとサラリーマンらしい痩せた男性が、「オートバイの鍵が挿しっ放しですよ」と教えてくれた。なるほど朝からずっと挿しっぱなしだったようだ。
「何時挿したんだろう・・・?」などとほざいている私の方を哀れむように振り返りつつ遠ざかる彼に礼を言い、鍵を抜いてアラームをセットした。彼は多分朝出勤するときにここの前を通過し、昼食を誂えに再び通過して、あまりに気になったので教えてくれたのだろう。ありがとうございました。
なんともボケた話で、朝一の患者さんを9時に拝見してから、1時近くまで鍵指しっ放し。当然アラーム機能セズ。しかも昼食前には向かいのクロネコにメール便を出しに行き、帰りに3軒隣の自転車屋の店主と話しこんでいたのだ。バイクの盗難に付いては前科があるのに、まったく由々しき問題だ。よほど疲れていたのに違いない。もう帰ろう・・・。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年9月7日(木曜日)

【秋は共食いの季節】

みきまつは健康保険の取扱い施術所だ。で、毎月保険会社に請求書を出さなけりゃならない。各保険会社(公共機関や会社の健保組合など)には毎月10日までに書類を届けなければならないことになっているらしい。今月は10日が日曜日なので、ナンとしても明日までに封筒に入れて送ってしまわないと間に合わない日程となっている。
夜になるまで仕事して、診療記録をつけ、日計表と現金を比較し、診療室床面の拭き掃除をし、シーツが汚れていれば交換し、超音波治療に使うオイルを補充し、トイレットペーパーの残量を確認し、便器を掃除し、入り口のガラス窓を拭き、今日使ったフェイスタオルを洗濯するために袋に入れ、機械類の電源を落とす。
普段でもこんな調子で、やらなければならないことがてんこ盛りだと感じてる。それ故、月末の経理処理が加わるときは一層気が重い。翌月まで伸ばし伸ばしにしておいて切羽詰ったところでイッキまとめする習慣がついてしまった。
今日サボると先月分の提出期限に間に合わないので、ヤルしかない。全て印刷し終わったらもう23時になってしまった。
この時点で眠くてヤル気も失せたので、封筒に入れるのは明日の朝にして帰宅することにした。バイクにタンクバッグを取り付けていると、虫が院内で鳴いているのに気付いた。鈴虫だった。どこから迷い込んだのだろう?誰か近所で飼っている好事家でも居て、そこから逃げてきたのか?近くの小学校校庭と隣接している公園にでもいるのか?
昔、仕事場の隣に住んでいた自衛官のU氏が、自宅のガレージで大量に飼育していた鈴虫の飼育箱を一つプレゼントしてくれたことがあった。
エサはペットショップで買ってきた。ご飯に掛けて食べてみたかったが、崖っぷちで思い留まった。カツオ味のフリカケとそっくりの匂いと色だったためだ。
鈴虫は連日りーりーりーりー鳴きまくった。隣の自衛官のガレージからも聞こえてくるので夜は大変賑やかだった思い出がある。
連中は一週間ほど元気に涼しげな合唱を聞かせていたが、餌の管理が悪かったのか虫同士が互いの喰い合いを始めたようで、気がついてみると虫の破片が飼育箱の底に残っているのみであった・・・。
懐かしい秋の思い出である・・・
もう今日は疲れた。さっさと帰ってビール飲むとしよう。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年9月4日(月曜日)

【中国地方の謎】

日本全国で市町村の統合が流行である。当地も例外ではなく、近隣の清水市と合併して政令指定都市になっちゃった。
何かイイことがあるらしく、どうしても政令指定都市になりたかったので、その資格要件を満たすために役所でイロイロ無理な取り組みをした結果・・・南アルプスの頂も葵区に含まれることになった。
「そりゃザックリ分け過ぎだよ」学生時代に静岡市に住んでいたことのある友人があきれていた。高い山といえば富士山の山頂は富士宮と富士吉田の両「市」に跨っているし、次に高い北岳は南アルプス市にあるわけだし、標高の高い山々の地番?が「市」に属するのは受け入れられているように思われる。
これまで使われてきた「区」という呼称のイメージは都市圏あるいは住宅密集地だろう。例えば東京都の場合、山間部には「奥多摩町」や「檜原村」や「青梅市」という呼び名を使っていて、練馬、杉並、世田谷から東の市街地には「区」がつく。
静岡市葵区のように駅前の繁華街から、隣の家まで500mみたいなところまで一緒に「区」と付けるのは、どうですか?まして赤石岳(標高3120m)を含むか?
ところでかねがね、というか小学生の頃から不思議に思っていたのが「町」っていう名称だ。行政単位の階層構造の中で「町」は2つある。町内会というレベルの「町」と市町村のなかの「○○郡××町」というのがね。紛らわしいですね?コレは。慣習を引き摺ってきたからこうなった、というのもわかるけれど、パソコンの中のファイルだって、違う階層にあるフォルダーが同じ名前なのはすごく困るでしょう?何とかならんモンでしょうか・・・。
同じような例となるが、中国四国地方というのは日本の中の大きな地方名を指すが、アジア大陸の大きな国のことも「中国」というらしい。度々の小学生ネタで恐縮だが、何せ同じ名前だからなんとなくイメージがダブってしまって困惑したのを覚えている。「山口や広島には中国人がさぞ多く住んでいるのだろう・・・」といった雰囲気のな勘違いだが、コレわたしが悪いんですか?
話は逸れるが、「中国」をという国を「中国」と呼ぶのは日本語だけのようだ。他の国は「china」或いは類似の発音で呼んでいるし、奇妙だと思われませんか?なにより当の支那自体が英語ではchinaと表記発音することに全く異存無い様子なのが不思議。日本には島根・鳥取・山口・広島・岡山を中国地方と呼び慣らしてきた歴史もあるのにね・・・。
ま、色々濃い歴史的な事情があるらしいのだが、それはそれとして最近涼しくなりました。この間も書いたけれど首周りの保温に充分注意してください。寝違えの季節ですよ。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年9月2日(土曜日)

【英語放送の怪】

Iさんの自宅は両親との二世帯住宅だ。先日の夕方仕事から戻ったIさんが、両親の部屋の前を通りかかると、部屋から英語のテレビ番組の音が聞こえる。字幕のある映画を見ているわけでもなさそうだ。ご両親は戦中世代であり、外国語とは縁が無いハズだし、Iさんは不思議に思ったという。
Iさん宅では夕食は皆で揃って食堂で食べる。夕食をとりながら英語放送のことをさりげなく両親に尋ねてみると、「最近ニュースを英語で放送するようになった。最近の世の中は困った事をする」というのである。
最初、両親が何を言っているのかワケが判らず、高校生の娘と顔を見合わせフリーズしたIさんだったが、娘が「それって多重音声の設定になっているのじゃない?」と気付いて合点がいった。早速部屋に行き、テレビのリモコンを操作して多重音声の設定を元に戻し、めでたくご両親はふたたび日本語のニュースを聞く事ができるようになったという。
さらに聞くと、ニュース番組が「英語で放送」されるので内容がちんぷんかんぷんになってから、3ヶ月以上も経っていたそうだ。ご両親2人して意味のわからないテレビのニュースを呆然と眺めているところを想像すると心配になるが、Iさんと娘は、『不思議に思っていたのにも係わらず、何の対策も無いまま放置していた』ところが“カワイイ”、と大いにウケたそうだ。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年8月30日(水曜日)

【交差点で重量挙げ】

予約の電話は9時過ぎに掛かってくるから、普段は9時前に職場に出ている。しかーし、本日は8時までに出勤する予定だった。というのは、水泳部所属のA高校2年の男子、陸上部所属のB高校1年女子の2人が部活の自主練習前に治療を希望し予約してくれていたからだ。
それなのに、このところの無休営業が響いたのであろうか、起床したらもう7時半であった。
パジャマを脱いで着替え、洗顔し、物干しから取り入れて乾燥機へ放り込み、治療に使うフェイスタオルを30枚ほどタンクバッグに詰めて玄関先のバイクに取り付け、メットとグラブを装着、などを僅か7分ほどで済ませ、あまつさえ途中実家に挨拶に寄ったりもし、ダッシュでみきまつに向かった。
このところの原油高の影響からハイオクは140円を軽~く越え、自前のバイクでの通勤は、バス通勤と比較して経済的メリットがあるんだか無いんだか判然としない。それにみきまつ号のタイヤは前後交換すると4万円は掛かる。
釘を踏んだり、キャッツアイに高速で乗り上げたり、という事情もあったが、この1年でタイヤ交換は4回も行った。レースやってるわけでもないのに!
タイヤがもったいない、とはじめて思うようになって、このところ気合走りで通勤しないように心がけている。タイヤの極端な磨耗を減らすため、自ずと加速も超控えめになり、エンジン回転も常時3000rpm以下で使っている。電子制御燃料噴射が低回転での運転を一生懸命助けてくれるが、なにせ今回のみきまつ号はこれまでと違い高回転高出力のエンジンである。1速で走りだしても低回転域ではエンジンが急に停止することがあるわけだ。今朝は朝の交差点でやらかしてくれた。
静岡市の葵区(区だって!)の街のど真ん中の二車線の道路どうしの交わる交差点の右折待ちの最前列にユルユルと出た時、良いタイミングで直進のクルマの列が切れた・・・と、2速のまま発進しようとしたら、フッとエンジンが止まっちゃった。遠心力が途端にゼロとなり、バイクは右側に倒れていく。立ちゴケだ!
カッコ付けたバイクの立ちゴケの光景は限りなくイカサナイものである。まして交差点で信号待ちをしている大勢の目の前で御開帳に及ぶとなると、もうおまえはマンホールの蓋を開いて飛び込め!と言いたくなるほどの間抜け光景であろう。事態を亜光速で処理し、頓馬な光景を短時間で収束させるようにするのがライダーの努めであるのは言うまでもない。
わたしはバイクの右ハンドルバーがアスファルトに接触する一瞬前に右手に飛び降りた。両手でハンドルバーを握り、バイクの車体をえええいっいいいっ一気に引き揚げた。
わたしの第四腰椎と第五腰椎の間の椎間板は年齢なりに水気を失って平べったくなっている。交差点の真ん中で横倒しになったバイクの傍らでギックリ腰で動けなくなるという素晴らしい出来事を避けるため、腹筋背筋に渾身の力を込めて馬鹿力を出す。
で、再びバイクに跨り、「何事も無かったことにして」交差点を立ち去った・・・ふー。
このように立ちゴケとゆーものは、倒れっぱなしでも速攻でリカバーしても哀愁漂うものなのである。
みきまつに到着してから点検したが、キズは以前駐車場で立ちゴケこいた時以来あるものだけだった。経済的損失はなかった模様である。そりゃ勿論、詳しく点検しなけりゃはっきりとは判らんが。
身体的損失は、無かった。多少腰周りに疲労感が残るのみ。
精神的には・・・もう回復しました。もうあんまり覚えていないなー。はっははは。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年8月18日(金曜日)

【「夏の冷え」対策】

ウチの職場は空調完備だから、個人的には快適に過ごしている。でも外から入ってくる患者さんは「暑い!」を連発している今日この頃ですが、皆さんお元気でお過ごしですか。
こんな時には何とか体を冷やして快適に過ごそうとするものです。エアコンを使ったり、冷たい飲み物を摂ったりしたいものだが、その一方で「冷え過ぎ」の害に悩んでいる人も多いのではなだろうか。
普段でも長時間に亘るデスクワークで項から肩、肩甲骨の間がコリ易くなっている人には、夏の日の効き過ぎの空調はキビシイ試練となっているハズだ。
外回りを終えた肥満体の営業マンが部屋に戻るやいなやクーラーの設定温度をばんばん下げていくあおりを食って身体が辛い、という内勤の女性社員の訴えをよく耳にする。
特に影響を受けるのが足元と首周りで、循環不全から妙な体の痛みに発展することも少なくないように思える。毎年春と夏になると、天候の浮き沈みが激しくなるためか、こんな症状を訴える方が多くなる。
ところで液体窒素は-196℃。でもって、太陽表面が6000℃くらいだ。一方、人間が特別の装備無しに快適に過ごせる範囲はせいぜい下が25℃から上は35℃くらいのものだ。細かく言えば、快適湿度も50%程度らしく、人間とはまったく脆弱な存在ですね。

《特別ふろく》
①首の保温対策法
タオルを巻き、首周りに冷気が直接あたるのを防ぐ。タオルが許されない場合はスカーフなどを用いる。温かい飲み物を摂取。
②足元の保温対策法
膝近くまでの厚めの靴下を着用。電話帳程度の厚みの足置きを床に置き、その上に足を載せる。
循環不全対策として、足の指を握ったり開いたりを繰り返しおこなう。
上に挙げた二つの方法は首の寝違えや脚の浮腫みの抑制効果がじゅうぶんに期待できるもので、みきまつでも患者さんに紹介しています。皆さんもぜひお試しください。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年8月4日(金曜日)

【聞き耳を「立てる」方法】

下っ端の構成員は、儲かる夢と在庫を抱えてチョンだが、子供、孫、曾孫(ひまご)、玄孫(やしゃご)・・・と際限なく増え続ける構成員から上納されるカスリが集積して巨万の富を手にするのが上級の構成員である。
ネットワーク販売のシステムは構成員の周囲の人間関係をお金に変えていくようになっているから、まともな人間はそんな人々から距離を置くようになっていく。
このマクラで何の話かと思えば、E・H・エリックだが、マクラとの関係は各自調べていただくとして、今から40年前にはエリック氏は“ひょうきんなガイジン”キャラでコマーシャルなどに盛んに露出していた。パタパタと耳介(=耳朶)を動かして見せるのがウリであった。コマーシャル用のトリックとも思われたが、小学生であったわたしは、あのように耳介を動かしてみたいものだ、と思った。
その頃、自在に操れるようになっていた口笛も、練習開始から半年掛かって始めて唇から澄んだ音を出す事ができたのだから、シツコク頑張っていれば耳もパタパタ動かす事ができるようになるハズと思った。顔の筋肉関係では、既に小鼻を恣意的にヒクヒク動かすテクはマスターしていた。舌を口の中で縦にするのと、舌先で鼻の頭を舐めることはできなかったが・・・因みに、この動作の可否はなんと遺伝的に決まっている(!)ので、できない人が努力しても無駄だとか・・・。
さて、人間が運動するときは沢山の筋肉が協力して動く必要があるので、イチイチこことあそこの筋肉を動かして歩く、などと考えなくても一連の動作ができるシステムがある。
それとは別に、脳の司令室には、体中に分布した筋肉の大半を独自に動かす事ができるシクミもあるのだ。こっちの紐を引くと大腿四頭筋が、あっちの紐を引いたら上腕二頭筋が、と言う具合に単独でも動かすことができるシクミがある。
話は逸れるが、小学生時代のみ、わたしは天才だった(!)ので、授業なんぞは耳の隅っこで聞いておれば、テストは満点が取れた。だから、わたしのトレーニングは授業中、気が向いたとき耳介に意識を集中して行った。
耳介を動かすには耳介の後にある“耳介筋”を収縮させる必要がある。どうやら、頭の中の司令室にある、耳介筋と繋がっている「紐」は、眉を動かす前頭筋に繋がっている「紐」と近くにあるらしくて、耳介を動かすつもりで「紐」を引っ張ったつもりが間違えて前頭筋の紐を引っ張っちゃう。結果、眉が吊り上がっちゃって、傍目から見たらそれこそ“逝っちゃってる”表情になってしまうのだ。
・・・またあの小僧か・・・妙な顔をしてリキんでいるな。ホントに馬鹿だが、今日は変な顔しているだけで授業の邪魔をしていないだけマシかも・・・。そんなのを毎日見ていた担任教員のうんざりした気持ちが、今なら解る。
で、ともかく最終的に耳介は動くようになった!猫のように自由に色んな方角に向けるのは、そもそも筋肉が存在しないので不可能だが、例の“耳介筋”の収縮に成功し、象が耳を団扇にするような動きが可能となったのである。
世間では初老と言われるこの年齢になって特技が「耳や小鼻が動かせること」・・・いささか問題もありそうだが、でも誰でもができるってものじゃない。
「ピアノは弾けても耳は動くまい?ふふふふ・・・。」
ご覧になりたい方は当院にてお気軽に声をお掛けください・・・ってこれ、宣伝になってます?

《特別ふろく》
【耳ぱたぱた講座】・・・ボクも耳介を動かしてみたい、という方は参考にして下さい。・・・難易度★★★
上で述べたように、耳介筋という筋を収縮させます。この筋は耳の穴の真後ろよりチョイ上にあります。
し易いです。
【小鼻ヒクヒク講座】・・・こちらは比較的簡単です。・・・難易度★
小鼻をヒクつかせるというのは、鼻腔(=鼻の孔)を拡げる/閉じるの繰り返しの結果です。
先ず小鼻の両脇にある“上唇挙筋”を収縮させて「拡げ」、「閉じる」には、うわくちびるの“口輪筋”を収縮させます。口を閉じたまま深呼吸をしながら練習するのがコツ。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年7月26日(水曜日)

【水銀の話】

瀬戸物は幼児には向かない。土間に落として幾つも割ってしまったらしく、割れない茶碗を買ってもらった。薄くて軽くて綺麗な水色に薄っすらとたなびくラインで富士山が書いてあるちいさな茶碗である。子供心にも気に入って使っていた。
茶碗や箸で遊んでいるうちに、テーブルから土間に山盛りのご飯を茶碗ごと落としてしまったことがある。「パコッ」と音がして、なるほどこの茶碗は割れないや、たいしたものだ、と感心していたら、祖母がそれを見ていて、「拾って食え」という。「汚れているから嫌だ」と抵抗すると、「洗って食え」という。祖母は戦争中の食糧難を潜ってきているので食べ物を粗末にすることを許さなかった。
出された食べ物を残す事にわたしは今でも抵抗があるが、幼い頃の躾はナルホドよく覚えているものである。床に落とした食べ物も拾いあげて埃を払いそのまま喰ってしまう。
その10年くらい後、中学生の時の話し。午前中の最後に理科の授業があった。たしか大気圧の実験のために用意されていたのだったと思うが、大きめの試薬瓶に入っていた水銀をおもちゃにして、クラスでも取り分け馬鹿な生徒(わたしを含む)達が遊び始めた。
流動的でありながらも表面張力が高い水銀は、それでいて金属特有の重みがずっしりとあり、たのしい玩具だった。最初は試薬瓶の中に指を入れたりして遊んでいたが、そのうち掌に載せてみる奴もあらわれた。で、色々なものに入れてみたり、細かく分けてからまたひと塊にしてみたりと、しきり遊んでいる内に誰かが床に水銀をひと塊、落としてしまった。
「ぼと・・・」と重い音をたてて床に着いた水銀は、次の瞬間微小な粒になって放射状に広がっていった。こうなったらもう回収のしようがない。まあ、忘れる事にして、そのままお昼の時間になった。
思い返せば、素手で水銀を触ったわたしは、そのとき食事前に手を洗ったろうか?覚えていない・・・表面張力が大きいから、指に残る事は無いだろう?しまった、たしか水銀は室温で蒸気化する。呼吸器から体内に吸収されるはずだから吸い込んだ可能性は高い・・・。
そのうえ床に食い物を落としても、埃を払って喰ってしまうわたしだから、もしかして消化器からも吸収しているかもしれない。覚えちゃいないが・・・。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年7月20日(木曜日)

【朝の修行】

ちょっと前まで、降っても照ってもバイクで通勤してきたわたしだが、梅雨入りしてからは、やはり雨のスリッピーな舗装路は楽しくも何とも無い!と結論し、朝から雨が降っちゃっているときは、バスで出てくるようにしている。
わたしが利用しているバス路線は、町の中心部を貫いて長い距離を走るので、街中が朝の渋滞で混雑している時間帯にはもんのすごく遅れることがある。
田舎町ではあっても、出勤時間帯の時刻表をみると10分に1本はバスが来ることになっている。でもこの時刻表、「このくらいになったらバスが来るかもね・・・」くらいの認識で作られているらしく、30分以上待っても来ないこともしばしば。やっと来た!と思ったら二台のバスが前後繋がって現れたりする面妖な運行状況だ。遅刻しないで会社に出勤するためには、時刻表はあてにならないことをキモに命じておかなければならない。
遅れてきたバスに漸く乗り込んだら今度は渋滞でのろのろ運転。「時間に遅れちゃう・・・」と焦りだした乗客の精神を更に追い詰めてゆくのが、車内放送だ。
次のバス停を案内する放送に前後して、ダッサい広告放送をのべつ幕無しに流す。短いもので5秒、長いもので15秒くらいの広告内容を、それこそ矢継ぎ早にタレ流し続ける。いつ聞いても耳障りな放送だ。
長期の契約になっているらしく、耳新しいものに切り替わる事は無いから、慣れてしまいそうものだが、わたしには常に疳に障る放送だ。電車の釣り広告で雑誌の見出しでも見ていれば暇潰しになるが、年がら年中同じバス停の前後で同じ放送をされると、ウンザリだ。内容も店名連呼と悪い冗談のような一口キャプションの繰り返しであり、面白みに欠ける。「ウルサイ!誰がそんなところへ行くモンか。」と思う。
更に腹立たしいのは、目の見えない人が始めて乗ったとしたら、次のバス停はいったい何処なのか判らなくなるほど広告ばっかり放送しているのに、それらの広告と次のバス停案内の間に「携帯電話の御使用は他のお客様のご迷惑になりますからご遠慮ください。」と乗客に説教垂れることだ。直後からまた延々と広告を放送するから呆れかえるしかない。
“電話なんか使わずに広告を聞け“ってことか?喧嘩売ってるとしか思えない。
そこへもってきて、今日は“ちっちきしゃーちき、ちっちきしゃーちき”、アリエネエような音漏れイヤホンが後の席に乗り込んできた!ああ、レクター博士の「記憶の宮殿」の回廊がわたしにもあったらと思う・・・。
バスが駅前のバス停に到着して、さあくだらない放送と“ちっちきしゃーちき”から開放される!と思い、バス出口の機械にプリペイドカードを挿入すると・・・機械の調子が悪くてカードが認識されない。
このプリペイドカード、アルミ製の薄くて柔らか~い磁気カードで、財布から読み取り機械へと、出し入れの往復の際に細かい折れシワがついてしまう。それが読み取りのセンサーに引っ掛かるらしい。わたしの持っているのは1万円のカードである。これからもっと折れシワが増えるだろうから、先行きが不安である。わたしの後には降りたい乗客が5,6人列になって待たされているが、運転手が何度か挿入を試してみて、漸く5回目で認識された。
このようにバス通勤は騒音面、遅刻面、不手際面と多岐にわたる負の要素があるものの、それを理由に利用しないのも癪に障る。当地でバス通勤をされている会社員の方々、毎朝大変ですね、頭が下がります。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年6月28日(水曜日)

【ご予約ですか?】

最近みきまつ日記の更新が出来ないのは仕事が忙しかったということと対応している。昨年10月からは受付を予約制にしているからいいようなものの、仕事の予定がたてこんでくると休憩しているヒマが殆ど無くなる。当院は「昼休み」というものを設けていないので、昼ごはんが午後4時なんてことも珍しくない。
さて、わたしの仕事場は、施術台が事務机を挟んで左右に1台ずつある構成になっている。パソコンや周辺機器、電話などは中央の事務机の周囲に配置してあるから、一人で仕事をするにはうってつけである。というか最初からそのつもりで配置を決めてあったのだ。
以前借りていた場所は細長い形だったから、仕事の進行に合わせて手前から奥へと行ったり来たりしていた。迅速な対応が必要になると自然と小走りしてしまう。高価な機械モノがそこらじゅうにある中を縫って走り回るのは危険だし、みっともない。どうせ移転するなら狭くても良いから正方形のスペースが欲しいと常々思っていたので、現在借りている場所は誠に居心地がいい。
机の両側の施術台を交互に使って患者さんの治療をしている。左右の施術台を行ったり来たりして治療し、パソコンでカルテを読み書きし、治療し、レジを打ち、お金を受け取り、おつりを渡し、治療し、予約の電話を受けと、朝から晩までミッチリ用事が詰まっている毎日だ。
こんなときに限って掛かってくるのが売り込みの電話の数々だ。
いろんな人がわたしに儲け話を持ちかけてくる。先物投資や未公開株で儲けるように勧めてくれる。
いろいろな人がわたしに新規事業を持ちかけてくる。岩盤浴や補助栄養食品の販売を勧めてくれる。
他には、電話料金が安くなる方法とか、電気料金を節約する器械とかを紹介してくれる。「NTTでお世話になっています○○○○電話設備でございます。電話料金担当の方はおいでになりますでしょうか。」
もう気分はバクハツ寸前だが、このような場合「今忙しいんだよ、おめえの与太話を拝聴しているヒマはねえんだ、バッキャロウ」などと返事をしてはならない。患者さんが横で聞いている。患者さんには相手の用件は聞こえていないし、それにビックリしちゃうといけないからね。
曖昧な返事で「困ったナ、早く切りたいけどどうやろうか・・・」などと考えていても駄目だ。そんな返答にはガブリと喰いついてきて、「院長様に是非今回お勧めしたいのはですね・・・」と、必死で会話の接ぎ穂を作ろうとしてくるからだ。甚だ迷惑なので困っていたが、最近素晴らしい撃退法を思いついて実行している。
相手が話し始めたらとにかく我慢強く黙って1フレーズ喋らせておく。そこで、
「申し訳ありませんが、この番号は予約専用の回線となっております。診療のご予約ですか?」
これは効く。「あ。申し訳ありませんでした・・・」で、終わり。
先日この撃退法を実行していたら、黙って電話を切りやがった先物商品取引のセールス、ふぉっふぉっふぉ、何処にも無礼きわまる手合いがいるものよ。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年6月18日(日曜日)

【ウナギ供養】

「針供養」とか言って、使い古した針をトーフだとかコンニャクに挿し「楽をさせ」てやって神社に奉るという行事がある。トーフを刺したら針が楽になるなんて、寝る間際のうわ言のような話だ。でも針のように命の無いものを象徴的に“供養”するのは、お針子さんをねぎらうための行事で、歴史のある行事なのだ。
「ウナギ供養」ってのも耳にしたことがある。感心した。日頃からウナギの首をひっ捕まえてまな板に乗せ、頭に釘をぶちこんで体を捌いて炙り焼き、更には内臓でキモスイなんかあつらえて、サンザン客に供しておきながら、供養だって。わっはっは。
「供養」の語義を調べると、仏教用語としての「供養」というのは(仏、法、僧)の三宝に対して衣食などの品物を施すことをいう。古代インドにあった習慣が仏教に取り入れられたもので、仏像に合掌し、花や水・灯明・香を供え、仏の名を唱えることで仏に対する尊敬をあらわすという。
「針供養」に於いて、針を挿された側のトーフも災難で、いったい誰が供養してくれるのか?という疑問は置いといて、「ウナギ供養」は、さて実際にどんな式次第で行われたのか知らないが、ここはひとつ、この日くらいは鰻たちのウラミをちょっとでもはらすために、日頃の残虐行為の反省を込め、職人自らが蒲焼になって見せるということでどうだろうか?
そうしないと、ホントにウナギを慰める気があるのかよくわからない。見物人には山椒と箸を配る。
「針」も「ウナギ」も供養とは名乗っているものの、仏教用語としての供養じゃなさそうだ。ふだん顧みられることが少ない物事に目を向け、それを慰めて不満を宥めてやる形式を整える事で、得体の知れない力?による「タタリ」を避けよう。で、ついでに業界の発展に繋がるような賑やかな行事にしちゃいたい・・・というような企みだろう。
ま、“供養”がこの程度のものであるなら、他にも供養するべきものはある。
「年次有給休暇供養」。勤め人の殆どが年度末に無駄に権利を放棄させられている。供養が必要だ。
「国民年金供養」。支給年齢が勝手に引き上げられたせいで、支給されないうちに亡くなってしまう人も多くなるだろう。供養する必要がある。
「雨天決行された打ち上げ花火供養」。幾多の商品が折角つくられたのに使われる事なく処分されている。本や衣服の断裁処分品も鎮魂対象物だろう。無駄使いされた労力と資源。この供養を忘れてはならない。
「二千円札供養」。馬鹿な誰かの思いつきで多額の税金を使い大量に印刷したのに殆ど使われない不思議な紙幣。税金を納めた人の心を慰めるため、是非とも供養が必要だ。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年6月2日(金曜日)

【ヅラ疑惑】

久々に見えた患者さんが突然、「先生、カツラだっていう噂を聴きましたよ。」だって。
なんでも、その患者さんが通っている某スポーツクラブで広まった話しらしい。昼間のスポーツクラブには、わりと年配で、尚且つわりと暇のある女性がたくさん集まっており、プールで泳がずに歩いたり、アクアビクスと称する水中健康体操のようなことをやっていると聞く。
人というものは、大人数になると自然にいくつかのグループを作り、結果、ちいさな社会が形成されるものらしい。そんな中に何人かみきまつの患者さんがいて、どうもそのあたりがこの屁のような噂の出処らしい。
「寝耳にヅラ」の話しだったが、疑惑の発端が何処にあるのか暫く思い浮かばなかった・・・。
そのうち思い出したのが、約2年ほどになるか、或る男性患者とヅラの話で盛り上がったことだ。その男性患者は身の丈190cmにもなろうという大男で、和食の職人さんだ。その日、何年か振りに腰痛の治療のために来院したのだが、記憶にあるそのひとはアフロヘアだったのに、その時はスキンヘッドになっていた。
「イメチェンを図ったんですか?」
「イヤ・・実はね、今までカツラを被っていたんです。」
なんでも30代から急に髪が薄くなってきてしまい、客商売でもあるからマズイかな・・・と考えてヅラを被るようになったのだという。和食の職人がアフロだからねェ、スキンヘッドでもどっちみち同じじゃないの?
客商売とヘアースタイル。関係があるといえばある、ないと言えばない、場合によって変わるだろう。
教員や国会議員、裁判官など、社会の権威を代表する職種に就いている人は、スキンヘッドやモヒカン(って懐かしい)、アフロやパンクやドレッドは向いていないと考えられる。型に嵌った髪型とか服装が、りの人に安心感を与えるからということだろう。
外面の良さ=安心感 斬新な外見=不安感 
てなものだ。
ま、そんな状況も、今のところ、と言うだけで、今後はどうなっていくのかわからない。
だって、髪が茶色に染まった日本人は今でこそぜんぜん珍しくないけれど、一昔前、と言ったって30年くらい前までは、女の人が髪の毛を黒以外の色に染めるなんてのはよほど思い切った選択だったのだ。
今の人には信じ難いことかも知れないが、本当の事だ。現に保守の権化である皇室じゃ関係者を含め茶髪は誰一人いないでしょう?
話をガタイの良いスキンヘッドの所に巻き戻しますね。
「へえぇあのアフロはカツラだったの?」
「そう。」
「暑かったでしょう?」
「夏は暑かった。7年使い続けたけど、面倒になったから今年からやめた。」
「7年も!大変だったんですね・・・」
「長さの違うものを三つ用意するんだけど、アフロ以外にも4種類持っていたんですよ。」
「・・・・。」
つまりこの7年というもの、彼は外出に先立って毎度、超面倒な手間を掛けていたのだった。鏡の他にカレンダーもチェックしないといけない。2週間毎に長いものに替えていくそうだ。4種類で3っつの長さだから、12個も買わなけりゃならないので、経済的負担も大きいだろう。それに汚れたら手入れも欠かせない。
わたしのように鏡も見ないで、手探りで髭を剃るような無精者にはとても真似できない芸当だ。
そういえば更に思い出した事がある。
1年くらい前に、ある患者さんと受付で向かい合わせになった時、「先生、髪を切ったの?」と問われて、カツラをこまめに取り替える例の話を思い出し、「カツラを短い物に載せ替えたんですよ。」と答えた。
ここだけの話、わたしには、ついついくだらない事を喋ってしまうクセがある。よせばいいのに両手の指を頭にあてて「ほら。ヅラがチョビッとずれた。」とか言いながら自前の頭皮を動かして見せた。勿論大ウケしてしまい、患者さんの気分も解れて和やかに治療が進んだのだが・・・。
そんな遣り取りをカーテンの中で横になって聴いていた別の患者さんに、「大変だ、みきまつ先生はカツラ着用だ!皆に知らせよう。」なんて決心させてしまったのかも知れない。
スポーツクラブでの超くだらない噂話を教えてくれた患者さんには、「ヅラ疑惑を解明したい希望者は一回500円で髪の毛を引っ張る権利をあげますから、是非御来院ください。」とお伝えいただいたが、まだ誰も確かめに来ていない。もっとも最近はスゴイ接着剤で一本一本頭皮にくっつけるタイプの製品もあるらしいし、これじゃなかなか疑惑が晴れないことだろう。
それもこれも「身から出たヅラ」ってか?

それでは皆さんまた明日。

▼2006年5月30日(火曜日)

【哀愁手帳】

スリムで姿勢も良いし、表情も溌剌としているから、とてもそうとは見えない50代のPさん。昔は市内のあちこちで、喫茶店の雇われ店長していた。
むかしスタバとかドトールなんてのが無い頃、日本中に小さな喫茶店がたくさんあった。そんな喫茶店ブームが去った今、Pさんはハウスキーパー(邸宅内の掃除)の仕事を中心に収入を得ている。
知り合いの紹介で仕事を繋いでいくので、新規顧客の開拓とか臨時の要請に応えるため、携帯電話があったほうが便利だと思うが、自称アナログ世代のPさんは携帯電話が嫌いで持たない。家の電話機も留守電装置をつけていない。そもそもプッシュホンじゃなくてダイヤル式電話である。
自己スケジュールの管理は手帳一冊で全て賄っているPさん。2年前、とてーもとてーも素敵な手帳を街角で見つけ、すぐさま購入したそうだ。ページには罫線だけが引いてあるシンプルな仕様で、皮表紙にメーカー名が横文字で型押しされており、実にシックな佇まいをみせていた。システム手帳とは違い、すべてのページが本のように綴じ込みになっている。
美しい手帳を時々手に取っては眺め、使える日を楽しみにしていたが、愛用していた手帳に書くスペースがなくなったのを機会に、いよいよ手帳を取り替えることにした。
まず、友人の住所録を作成した。最初の頁に出来るだけのきれいな字で、ていねいに、ていねいに書き留めた。この住所録の作成であまりに集中したため疲れてしまい、残りは明日、ということにして眠りについた。
次の日、今度は備忘録を書き込もうと手帳を開いたとき、Pさんは驚愕の事実に直面した。昨日書き込んだ住所録は、なんと手帳を逆さにして書いてあったのである・・・。
手帳は皮の表紙にアルファベットで製造会社名が大きく型押しがしてある。だから、上下逆さなのはすぐわかる。バインダー仕様じゃないから、間違ったページだけ入れ替えることも出来ない。最初に住所録を書く時にちょっと注意すればよかったのだ。「迂闊だったよねぇ・・・」
この失敗で、その手帳に2年間思い入れてきた気持ちがすっかり醒めてしまった。
もう綺麗に使おうと汚そうとどうだっていいやっていう感じだったが、捨てるのももったいないということで、今はもう、適当に、雑に使い倒しているそうだ。
そのPさん、昔は旅行マニアだった。
「もう一度ゴアの海岸で夕日を眺めたいものだねえ・・」などと、時々思い出したように言う。
今から10年くらい前、旅先のインドだかネパールだかのバザーで手に入れたお気に入りのスリッパ。なんともいえないデザインの模様と不思議な色使いを楽しみながら長いことトイレの個室で愛用していた。
ところがつい先日、いつものようにトイレで何となくにスリッパの模様を眺めていると、またまたPさんは驚愕の事実に気付いた。「あれ?このスリッパ、左右で違う製品だ!」
てっきり左右の統一したデザインであると思い込んでいたが、意匠も色合いも左右で似てはいるものの、よくよく見れば全く違う製品だったのである。裏返してみると、スリッパの底の仕上げ方も違う。
「向こうじゃ左右違うものを売るなんてあたりまえだし、買うときに確かめなかったのが悪いんだから、それはいいんだけど・・・」
「毎日使っていたのに、10年も気付かないでいた自分の粗忽さ加減がナサケナイ」そうだ。真実に気づいてからというもの、スリッパへの愛着は急速に薄れ、綺麗だろうが汚なかろうがどうだっていいやっていう感じになった。でも捨てるのももったいないということで、いまも使っているそうだ。
さて、わたしは不思議なことに2年に1度ほどの割合でバイクを新しいものに買い換えることになって「しまう」。
新しいバイクが手元に届くとピッカピカに磨きたてるのがわたしの習いである。バイクというものは、細かい部品が剥き出しになっているものが多いので、ちょっと出かけてくるだけで、ブレーキパットの滓やら虫の屍骸やらがこびりつき、けっこう汚れてしまうものだ。だから逆に磨き上げると本当に綺麗になる。もう、水洗いからワックス掛けまで念入りにおこなって、普通に見ても判りっこない隅の隅までつるつるに磨き上げる。
そんな蜜月も、ひょんなキッカケでやってしまう「立ちゴケ」の瞬間に突然終わるのだ。バイクは走ってはじめて自立する乗り物だから、ワインディングで転倒することだってあるだろうが、「立ちゴケ」は低速でバイクを動かしていて不安定なときに、不注意から発生するクヤシイ転倒だ。金属やプラスチックでできているから地面に接触すると当然キズが付く。
磨いているとキズの部分が返って目立ち、悲しい気持ちになるので、もう洗うのも嫌になってくる。で、あれほど偏執していた「コンクール・コンディション熱」がイッキに醒めてしまうのだ。こうなると一ヶ月に一度も洗わずに過ごすこともあるから極端なものである。
バイク好きのS氏にこの話をしたら、「わっはっは、よくわかる、同じだよ。で、完璧に治してからまた磨き始めるんだよね」と、ウケまくった。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年5月24日(水曜日)

【『目押し』って何だ?】

視覚障害者に、人の話し声を通常人の何倍もの速さで再生して聞かせ、3倍~5倍の速度(周波数が替わらないようデジタル処理されているからテープの早回しと違い、音は高くならない)でも全く問題なく理解できることが研究の結果わかったそうだ。
この話を紹介していたテレビ番組で、実際にわたしもやってみたが、2~3倍速ならともかく、5倍速では理解不能だった。人によっては10倍速でも完全に聞き取れるそうだ。
パソコンを使うとき、文字情報を読み上げる視覚障害者用のソフトを開発中にわかったのだという。
普通、その多くが使われないまま一生を終えるが、必要に迫られるとドカンと花開く、ヒトの潜在的能力。卑近な例で検証してみたい・・・なんちって。
知人のA子は「趣味の専業主婦」を実践している。長年積み上げた仕事の経験をすべて放っぽり出して年下の夫君と結婚した。
2年目を迎えた今、そも結婚生活にはサマザマな濃ゆい問題が発生しているが、ここだけのはなし、相手が誰であろうとあまり問題ではなかった?ようで、彼女が思い描いていた「奥様稼業」に専念できる喜びに比べれば、そんな困難などチョロいものだそうだ。
「趣味の専業主婦」だから、当然正業に就いてはならないので、たまに単発で入るパート仕事をするのだけが個人的収入だ。あとは決して高額でない夫の収入一本で家計を切り盛りする。料理の買い物に出かける以外は基本的に家に篭って掃除洗濯と料理をする。
こんなA子が最近ハマっているのが韓国のドラマや映画である。なんでも、多チャンネルの有線テレビに加入したら、韓流専門のチャンネルが三つも四つもあって、よさそうな番組があるのをチェックすると、モレ無く予約録画しておくのが日課になったという。
朝から晩まで録画を続けるから、3倍速で録画した120分のビデオテープが溜まる溜まる。時々貸してもらって、わたしも楽しんでいたりするわけだが、多量に録画しても、はたして本人は見る暇があるのか?という素朴な疑問が生まれる。A子に聞いてみたらスゴ過ぎる答えが返ってきた。
「2倍速でみる。」
は?ストーリーは理解できるの?
「最初はキツかったけど、集中するとちゃんと日本語訳が読めるようになるのよ。」
なるほど、画面の下に対訳のテロップがでるし、素直過ぎの展開がウリの韓国の連ドラなら、先を予想するのも簡単だし。
「映画の場合はちょっとわかりにくいものもある。」
・・・だそうだ。
むかし、パチンコ屋のスロットマシーンで、三つの四角い窓の中をそれぞれを流れ落ちてゆく数字や模様を見定めてボタンを押し、揃えて停止させコインを取る、という話を患者さんから聞いた事がある。専門用語(?)で『目押し』と呼称するそうだ。
「目玉を上下に素早く動かすんですよ。」
ははは、ナニいってんだか・・・と笑って聞いていたが、今回A子のはなしを聞いて考えを改めた。
M子の義兄は蝶のコレクター。季節になると捕虫網をもって野山に探索行に出かけるのが習いだ。家族で旅行たとき運転していた義兄が、窓の外をひらひらと舞う蝶をみて、「あ、○×シジミ」「今度は○×チョウだ」などと、ぶつぶつ呟いている。
高速で移動中に通り過ぎたほんの一瞬で種類を特定する特殊能力・・・訊ねてみると、「周りの植生や季節を考慮したうえで全体の色イメージから種類を判断する」能力が長年の修養の結果、いつのまにか身に付いたのだという。
「動機も、熱意の持続も、集中力も、フルに発揮させれば飛び抜けた能力を身に付けることができる。」みたいなことは学校の先生に散々聞かされたけど、でも人に強要されてもだめなんだよ。って、経験でわかったんすけど。
この先、何かズバ抜けたを身に付ける機会がわたしにも訪れるのだろうか。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年5月1日(月)

【鰻屋の因縁】

あるときNさんが鰻屋に行って料理が出てくるのを待っていた。その店は生きているヤツをまな板に釘で打ちつけて捌くところから料理を始めるから、注文してから食べられるまでに時間が掛かる。
丁寧な職人仕事が仕上がるのをゆっくりと待つのも楽しみのひとつだ。
2,30分掛かってようやく店の主人が席まで盆を運んできた。「お待ちどうさま」・・・とそのとき、Nさんの目の前で主人は躓き、鰻重と肝吸を床にぶちまけてしまった。
割り箸を二つに割って待っていたNさんの目の前で発生したこの惨事。
おかげで再び鰻を捌くところから仕切り直しとなり、最初の注文から1時間近く待つことになったという。
それから暫く経ってから、こんどはNさんの夫が、「今日はどうしても自宅で鰻を食べたい」と思いつき、件の店に鰻丼を注文し、頃合を見計らって自宅から空のどんぶりを持って自転車で受け取りに行った。
ビニール袋に入った鰻丼を自転車のハンドルにぶら下げて帰ってきて、自宅の門を通過し、自転車のハンドルから降ろそうとした途端、どうした弾みかビニール袋がコンクリートの地面に落下し、あわれ鰻丼めちゃくちゃ。どんぶりも割れてしまい、もう台無しになってしまった。
で、まあ、悔しいから、もう一度注文して思いを遂げたそうだが、先の事件といい、転倒して料理が台無しになるのが二度までも続くとは、この鰻屋さん、これまでソートー鰻の恨みをかっているとみた。供養が足りないのか?とか言ったりみたりして・・・
この調子ではNさんと鰻の間に三度目の悶着が発生することは間違いないだろうから、期して待ちたい。
おお、う、山脈!
思い出したが、今日はみきまつ接骨院創立14周年であった!
思い出せば大工町で3年、人宿町で9年とちょい、そしてここ伝馬町で10月にスタートしてから、もう8ヶ月目に突入したわけである。やはりここは記念のビールを飲まなくては。それにテキーラも必要かも知れない・・・明日も仕事なのがツライところだ。月末の請求も残っているし。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年4月30日(日)

【クヤシイ話し】

その1:米をこぼした
ご飯を炊こうとして、左腕で米の5キロ袋を抱え、右手で軽量カップを持ち、カップの縁を横から見て、米がちゃんと「すりきり」に入っているのを確かめて手元の電気釜に入れた・・・
と思ったら「ザザーッ、パラパラッ」となんか変わった音がする。
見ると、およそ一合の半分を釜以外の場所にぶちまけてしまったのだった。ナゼこのような事態が起きるのか自分ではわからない。
コーヒーの豆を計量してミルに入れるときにも周囲に豆をこぼしてしまうことがある。これもどうしてこんな事になるのか納得できない。
まあ、このくらいの大きさがあればこぼした豆も拾い易いし、どっちみち後でフィルターを使ってコーヒーを淹れるから飲み物にゴミや埃が侵入することもないから、問題ない。
ご飯を床に落としても大概平気で食べてしまう。ごみは取り除けば問題ない。
だが、塊になっているご飯と違って、台所の隅々までいきおい良く飛び散ってしまった米を、一粒一粒拾って集める気にはならなかった。
米粒を埃と仕分ける作業は、異様に手間が掛かりそうだからだ。また、その作業が上手くいかない公算が大きいとみた。
「埃の炊き込みご飯」は大問題であるので、ザンネンながら掃除機で吸い取ることにした。
こぼした米を金額に換算ればたいしたことないが、これは非常にクヤシイ。
その2:台無しになった料理
アスパラと豚肉の炒め物を作ろうと鍋に湯を沸かす。
アスパラを四等分して一番根っこに近いところは捨て、残りの部分は30秒毎に根っこのほうからお湯にいれてゆく。
1分30秒でアスパラをざるに移して水を切る。
フライパンにオリーブオイルを入れて程よく熱するまで待つ。
その間に換気を整えるべく、部屋の向こうにある窓を開け、台所のレンジの真上の窓も開け、換気扇を動かした。
三枚肉を適当な大きさに切って炒め、程よく焼き目がついたらアスパラをいれ10秒くらい炒めて火を止める。
・・・やっていることは簡単だが書き出してみると長いっすね。
最後に塩コショウで味を調える。旨そうだ・・・というそのとき「フト」思いついてオイスターソースを追加したくなった。
で、後から考えれば、本来最後に追加する食材でもないオイスターソース、ちょっと入れてみることにした。瓶を逆さにしてフライパンの上で軽く振った・・・つもりがドバッとソースが出て大量にフライパンに入っちゃって、はい、ご想像の通りアスパラと豚肉の炒め物は台無しになってしまったのだった。
火の通っていないオイスターソースは変に臭い。材料代は400円近く掛かっているので泣く泣くお弁当に持って行ったが、塩コショウしたとこで止めておけばよかった、という味だった。とても哀しい。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年4月23(日)

【保健室】

文具、包装紙、Tシャツ・・・様々な分野で外国語の文章をデザインのモチーフにした製品が生産されている。
日本を始めとして東南アジアでは横文字が人気だ。一番人気の英語をはじめ、ヨーロッパの言語がオシャレだとされているらしい。新聞・雑誌を適当に切り抜いて配置したものや、創業何年だことの我々のデザインポリシーはこうだことの、どうでもいいような文章をテキトーに書いたものや様々だ。
自国で一般に使われている文字には人気が無いようだ。
子供の頃から使って熟知している言語だと、扱いが難しいのかもしれない。即座にメッセージ性が伝わってしまうのも厄介だ。
そんな思惑から、「ぱっと見」意味不明の外国の文字列がデザインとして使い易いということだろう。それとも憧れの異国で使われる文字、ということによるファンタジーを求めているのだろうか。
○○語を普通に使っている人が、間違った○○語の文字や、珍妙な文章を使ってデザインされたTシャツを着ている「○○語を普通に使っていない人」の顔を見れば、随分と間抜けに見えることだろう。
(○○の中には任意の外国名を入れる。)
それが政治や宗教に関するメッセージだと知らずに着ていて、そのせいで危険な目に遭ったりするなんてシャレにならないだろう。
それほどの危険が無いメッセージも、着ている人の品位を示したり、その人物像を物語ったりするから面倒だ。服メーカーのデザイナーのたわ言が印刷されていただけだとしても、取りあえずあまり利口そうには見えない。間抜けなメッセージをつけて歩き回ることは避けたいところだ。
ところで、患者F氏がニューヨークで見た「昨年最もハズしたTシャツ」は、ヨーロッパ系の白人が着ていた、まっ黄色のTシャツで、胸の部分にしっかりした明朝体で「保健室」と印刷されていたそうだ。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年4月16日(日)

【墓場の怪】

家族の法事があったため夕方まで仕事を休んだ。
わたしは一応仏教徒ということになっているらしい。「らしい」というこの距離感は、つまり自分が好きで選んだ宗教でもないし、また寺の方針も信者の日常生活に口を出すような宗派でもないことに根ざすものだと思う。
そんなわたしだが、ぱらぱら雨の降る中、家族を手伝って墓の周りを清掃したり、花束を墓前にセットしたり、法事で使う荷物の運搬を手伝ったりして、故人の親族としての役割を、ちょちょっとやることになった。
墓石は、2年前に刻んだもので比較的新しい。墓石の土台の前部に取っ手のない石の扉があり、骨壷を収めた小部屋の蓋になっている。試しに動かしてみると、雨が石の下に入って滑りやすくなっているためか重い石の蓋がスッと動く。
雨が入るといけないと思い、もとの位置に戻した。
「墓石の中に薬物を隠して、取引の場所に使っていた人がいるんだって・・・」
妹が住職から聞いた話だと、墓地を見渡せる場所にある本堂の二階の部屋に、刑事が何日も張り込んで見張っていたことがあるという。(・・・この件の顛末は聞き漏らしました。)
『絵になり過ぎ』の隠し場所だ。石で囲まれた空間でもあるから、保温性も良いし、人がしょっちゅう覗いてみる所でもない。
自動販売機のおつり返却口を探って小銭を集めようとする人がいる様に、パチンコ屋で、床に落ちている球を拾い集めて勝負する人がいるように、追い詰められた人間はいろいろなことをするものだ。これからはヤク中の人が、墓場に入り骨壷を覗いて見るようになるかも知れない。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年4月15日(日)

【股関節痛報告】

わけあって、5日前の夜、小雨がぱらつく中、4kmくらいの距離を歩くことになった。
夜12時をまわるとクルマの通り行きも殆ど無くなり、昼間は狭く感じる片側2車線の直線道路もすっきり見通しが良くなり、気分良く歩くことができた。
わたしはいつも時速6kmくらいで歩くので、40分ほどで目的地に着いたのだが、途中で右の股関節に痛みが発生しているのに気付いた。
股関節に痛みを訴えて当院に来院するのは、40代から50代の男性が多い。
生涯に亘って体重を支え、歩行時には運動の軸となる股関節だが、残念ながらこの部分の関節軟骨(関節面のつるつるした部分)は膝関節の軟骨同様、使えば使うほど磨耗する運命だ。
関節軟骨が減り続けるとなれば、時間の経過と共に痛みがどんどん増えそうだが、不思議なことに、ある程度治療を続けるうち、痛みを忘れて歩行することが可能になる。痛みは強弱を繰り返しながら治まってゆく。だいたい2ヶ月くらいで忘れてしまうようだ。
骨盤側も大腿骨側も、軟骨の磨耗は荷重が一番高くなる部分に発生する。股関節の炎症も軽い内は、立ち姿勢のときだけ痛みがあり、歩くことに支障はない。
わたしの場合、関節を屈曲して大転子を叩くと痛みが無くなるので、炎症が軽い証拠といえるだろう。
この程度なら接骨院の治療で充分回復しますよ。
痛みは、他の人が客観的に捉えることが難しい現象だ。からだの痛みを訴えて来院される患者さんの話を、わたし自身がリアルな体験として感じることは出来ないからだ。
今回のように自身に痛みが発生すると、自らを実験台として治療法のあれこれを試したり、経過の観察をしたりする機会に恵まれた、ということになり、まことに喜ばしい。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年4月6日(木)

【患者さんから聞いたはなし:2】

60代の女性。
デパートの中のテナントで長く働き、昨年秋に定年を迎えた。同年代の友だちが一斉に退職し、めでたく自由の身の上となり、会社の都合から開放されて時間ができたこともあり、昨年末に、生まれてはじめて国際線の飛行機に乗り皆とハワイに遊びにいった。
旅行の企画は2年くらい前から皆であたためていたもので、一人50万円を貯めてあった。成田空港に着いたその瞬間から夢のように楽しく、早速免税店に行って化粧品を買いまくったほどだ。
その後の旅行も素晴らしいもので、海も綺麗だしホテルも立派だし、申し分ない6日間を過ごした。
「もう楽しくて楽しくて、こんなに楽しいなら帰りたくないって思いました。」
「今夜のオカズの心配なんかしなくて良いし、後顧の憂い無く遊んでいられるなんて、夢のようでした。」
帰りのホノルル空港。
一行の中で、なぜか彼女だけが金属探知機に引っ掛かった。
靴を脱がされ、衆人環視の中、壁際に連れて行かれ、両手を広げて壁につけるよう命令された。体中触られて検査を受けたが、何が金属探知機を作動させるのかわからなくて、靴を脱がされたまま暫く足止めを喰っていたという。
そんな出来事も、屈託無く話す彼女には些細なエピソードに過ぎない。その後旅行熱冷めやらず、今ではあちこちに出かけてみたくて仕方が無いという。来週から同じデパートで働いていた台湾出身の友人が実家に里帰りするのに便乗し、夫も入れて数人の友人と遊びに行く予定だそうだ。
今週はギックリ腰でみきまつに来院しているが、どんどん快方に向かっている。
長いこと働いてやっと手に入れた自由な時間。存分に楽しんで欲しいと思う。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年4月1日(木)

【患者さんから聞いたはなし:1】

東京の銭湯は設備が充実していて楽しい。でも地方都市静岡では、銭湯に行く人はめっきり少なくなってしまった。夕方6時頃行くと女湯には殆ど人が居ないそうだ。はたしてこの銭湯は将来やっていけるのか心配になるほど、いつ入っても空いているらしい。静岡市葵区の銭湯は次々に廃業し、現在は3軒が残っているだけだそうで、これも現状では存続危うし、という感じらしい。
一方、大きな設備を持つ「○○温泉」などと称する入浴施設は客を集めている。
こうした所は24時間利用できるし、五種類の薬湯はあるわ、岩盤浴はあるわ、サウナがあるわ、マッサージルームがあるわエステもあるわ宿泊はできるわ、酒は飲めるわ、おまけに無料送迎バスもあるわで、もうテンコ盛りのサービスだ。
銭湯が350円くらいなのに対して入湯料1500円くらいと値段が張るのが問題、といえばそうだろうが、内容に見合った料金と考える人は多いらしく連日大盛況ということだ。
70代前半の女性の患者さんから聞いた話。昭和30年頃は、まだ内湯を備えた住宅が少なかったから、子供を連れて毎日のように銭湯に通ったそうだ。
あるとき、女湯で体を洗っていた女性が癲癇の発作を起こし洗い場で痙攣し始めた。
湯船に入ってその光景を見た入湯客は突然の出来事でパニックに陥り、悲鳴をあげながら一斉に湯船から上がって右往左往した。騒ぎを聞きつけた風呂屋の番頭(?)が女性を介抱している間に、皆は番台を抜け、裸のままで脱衣室に戻って行き、そこからがどうしてそうなったのか不明だが、皆で男湯に入ってしまった!
「男の人達はビックリしたでしょうね・・・突然、丸裸の女が何人も男湯に飛び込んできたわけだから・・・そういう時、女は図々しいからね。今でもそのことは忘れられないよ。」
発作を起こしていた女性は10分程経過すると何事も無かったかのように回復し、「もう大丈夫ですから」と聞いて、男湯を占拠していた女達は皆、女湯に戻っていったのだという。
風呂屋の火事で何処隠す?なんて言った(いつの話だ?)もんだが、そのときは皆、何処を隠したのだろう?
入湯中であり、手拭いしか持っていないので、どこか一箇所しか隠せない。この場合、入湯客は女性も男性も近所の住人だから、互いに顔見知りだ。だから顔を隠す必要は無いと考えて、他の部分を隠した人が多かったと思われるが・・・皆さんだったらどうしますか?

それでは皆さんまた明日。

▼2006年3月24日(金)

【骨接ぎをしない接骨院:3】

仕事の根幹を整形外科医院に渡さざるを得なくなった「ほねつぎ」の先生は、今度は筋肉や腱、関節や靭帯など軟部組織を対象に仕事にするようになった、という前回のお話の続き。
そうすると、患者達は肩こりや四十肩、慢性的な腰の痛みに関して、接骨院の先生に相談するようになった。先生達も期待に答えようと治療に取り組んだ。痛みのあるところに電気を流したり、マッサージしたり、湿布をして包帯巻いたりしてくれる。このような手当てに患者もそれなりに満足していた。
患者の体に直接触れる手技療法が中心になっているから、基本的に「気持ちのいい治療」だ。患者の感想を「快・不快」でわければ「快」の治療になっていることが人気の理由だった。
「これじゃ営業的にマズイな。接骨院にお客が流れているみたいだ」と気付いた接骨院近隣の整形外科医院や内科医院は、「じゃ僕たちも同じようにやるもんね」と、営業に関する姿勢を変えた。
マッサージ師を雇用して、按摩のサービスを始めたのである。座布団二枚持ってくる暗い良い考えだと思う。消費者のニーズに応えたわけだ。
こうなると、「骨接ぎをしない接骨院」の存在価値って何処にあるの?ってことになってくるだろう。
お医者もやらない何か目新しいことは無いものか・・・模索しつつ、あれやこれやを始めた接骨院の経営者達。例えばみきまつを例に挙げると、足の痛みの改善策としての足底板製作やら、ウオノメの無痛除去やら、タイ式マッサージ講習会やらいろいろやっている。他のヒトのやっていることにケチをつけるのは本日記の主旨と違うので詳しくは書かないけれど、広告をみれば、あーこんなもんか、とだいたいの傾向がおわかりになると思う。
最近接骨院のセンセイを養成する学校に対する規制が緩和され、学校がスンゴク増えて、卒業生も年間千人単位で国家試験を受けている。業界は過当競争に突入しているといってよい。
接骨院もお気楽に出来る仕事でもなさそうだ。と、皆さんもおわかりでしょう?自分も含めて、みなさんこれからどうやって生き延びていくか、みものだと思う。このシリーズ、今回はこれでおしまい。ちょこっとずつ、あなたが忘れた頃に書きます。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年3月23日(木)

【骨接ぎをしない接骨院:2】

大腿骨を取り出してぽっきり折ってみよう。人間の大腿骨では支障があるので、肉屋さんに頼んで骨付きもも肉を叩き切ってもらえばよい。すると中心に髄腔という空間が見える。
肉屋に並んでいるのは若い個体なので、この髄腔は骨髄で満たされている。血球の生産をしているので赤黒く見えるが、年配の個体では脂肪に置き換わってしまうそうだ。
大腿骨が割れるということは髄腔から血球や脂肪が外に流れ出すということだ。そうすると大量に出血してしまうだの、血管中に脂肪が入り込んで詰まってしまうだの、色々マズイ事が発生する。そのような場合には全身に対して管理・処置が必要であるため、単に「骨を整復する」技術だけ持っていても役に立たない。
同じ理由で、頭部の骨折、骨盤の骨折、各所の病的骨折(怪我によるもので無く骨自身の病変が基で起きる骨折)に接骨院の出る幕は無い。法律的にも改正の度に「できること」の範囲がどんどんと狭まってきて、今では簡単な骨折の処置も、後で医師の承認を得なければならないことになってしまった。
言わばお医者さんに対して「ワタクシメがこのまま治療を続けても宜しゅうございましょうか」みたいなお伺いを立てることが義務付けられたわけだ。
かつて専業として骨折や脱臼の手当てを認められてきた我等の先輩達(柔道整復師=接骨院の先生の正式名)も、事態の進展を鑑みて「もうやっちょれん」って思った。
そこで彼らの大半は、「それならもう骨折や脱臼などの患者はお医者に任せておこ。ワシらは筋肉や腱、関節や靭帯など軟部組織の障害に目を向けて仕事しよ」というふうに考えた。ついでに肩コリや慢性的な腰の痛みにも治療の手を差し伸べることになったが、今度はそこに新たな問題が発生するのであった・・・ このつづきは、また明日。

じゃ皆さんまた明日。

▼2006年3月22日(木)

【骨接ぎをしない接骨院:1】

患者の家族からの呼び出しで往診。70歳代の男性が家の中で転倒し動けない状態という。下肢を末梢に牽引しても痛みが無いが、大転子叩打痛、大腿骨介達痛がある。おそらく大腿骨頸部ではなく骨幹部の斜骨折と判断。市内の病院に転医してもらった。
接骨院が昔「ほねつぎ」と呼ばれていた頃、この種の大きな骨の骨折は接骨院に「入院」してもらい治療するしかなかった。その後整形外科の技術革新により、長い釘を大転子のあたりから差し込んで固定したり、大腿骨を側面から支える金属板をボルトで留めたりする手術が開発され大幅な治療期間短縮と予後の改善が得られるようになった。
この種の大きな骨折に関して、接骨院の役目は殆ど終わったといって良いだろう。昔は「ほねつぎ」にはレントゲン撮影装置があり、骨折線の状態を確かめることができた。医師法、診療放射線技師法が整備される前の整形外科黎明期には「ほねつぎ」のレントゲン撮影を認めるか否かで紆余曲折があった時代の話も聞いている。しかし医業全体が医師万能の方向に流れて行き、接骨院で出来る程度の処置は医師が引き受けるって事になってしまった。つまり、「骨折の手当てがやりたければ、医師免許を取れば?」ってことになっちゃった。
それでも今から20年くらい前までは、伝統的な骨折の無血整復に関して、経験も多く技術的にも優れた治療者が大勢存在した。それが、どうして現在のような「骨接ぎをしないほねつぎ」となってしまったのか、ちょっとシリーズ化して書いてみたい。
> このつづきは、また明日。

▼2006年3月15日(水)

【スジが悪いのですか?】

情報提供は医療の重要な役割のひとつだ。痛みを抱えた人が直面するのは、予後の見通しがつかない不安感である。「どのくらいで治りますか?」という質問も多い。こちらもいい加減な説明をしたくないので相手の知識を探りながら出来るだけ簡単な話に持っていくよう努力する。
「2週間程で骨が繋がります。その後も2週間くらい痛みが続く場合があります」とか、
「打撲による軽い筋肉痛ですから、2,3週間で痛みが引くでしょう」は良い。
しかし、
「回復力には個人差がありますし、負傷の程度もハッキリしませんのでナンともいえませんが、回復力が発揮される前に再負傷するケースもあり、固定に気をつけないと長引く可能性が・・・」などと、混ぜ返してはイケナイ。余計なことを付け加えれば患者の不安が増すばかりである。ここが難しいところである。
「これってスジが悪いのですか?」と、たまに質問されることがある。何を指しての発言なのか、はじめて聞いたときは困惑した。良く聞いてみると、その人の考えでは人間の四肢というものは「ホネ」と「スジ」で出来ているという解釈なのだった。靭帯と腱、筋肉と神経について勉強する機会が無かったのだ。
試しに他の患者さんにも靭帯と腱の区別ができか訊ねてみたが、6,7人に聞いた結果、全く知識が無いことが判明した。
考えてみれば、各分野の職能について隈なく知識をもっている人間はそう多くない。腱だの靭帯だのといった事柄は一般の人にとって特殊な知識にあたる。そういう人に解剖学の基礎知識をクドクド説明しても、耳から鼻に抜けてゆくだけであろう。
だから、患者さんへの説明にあたっては、わたし自身が納得できるかどうかてなことはどうでも良く、皆が聞きたいことだけを簡潔に答えるようにしなければならない。ここがナンとも難しいところだ。
病気や怪我は「患者自身が治す」ものだし、医療はそのアシストをするだけだ。この事実に殆どの患者が気付いていない。
それを良いことに、「ご安心ください。わたしが何とか治しましょう」などと気軽に言い切れるヤツの神経が羨ましい。また、患者さんはそんなわかり易い言い回しが好きだ。が、わたしには真似できない。
そんなわけで、ウチに来た患者さんは今日もクドクド説明を聞かされてウンザリしている。やれやれ。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年2月28日(火)

【フィッシング来た~】

「グッドアフタヌーン、まことに遺憾ながら我々の情報処理過程がハッカーの侵入を受けました。お客様の個人情報を守るため、VISAから新しいソースコードをご紹介しています。お客様に送付されているご利用代金明細書を御点検ください。不審な処理が発見された場合、直ちにカードを決済している口座をご確認ください。現時点で不審な処理が確認されない場合でも、カードの盗難や不正使用が無かったということにはなりません。カード発行会社に最新の利用状況が通知されていないに過ぎないのです。
そこで我々の設置したwebサイトにて、お客様のプロフィールを更新されることを強くお勧めいたします。これ以外の手段では不正使用による支払い分の返還を保障いたしかねます。here(ここ)をクリックし、お客様のプロフィールを更新してください。」
ってのが来ました。
いやー、これだけカードの不正が話題に上っているサナカに、これを見て青ざめてhereをクリックってわざわざフィッシングされちゃう人も少ないとは思う。
世の中にはあまたの詐欺師どもが、今日もざらざら乾いた音を立てて動き回っている。
日本ではリフォームに関する詐欺だことの、オレオレ詐欺だことの、架空請求の脅迫メールだことのが大流行した。当院は開業以来13年目になるがNTTの職業別電話帳に小さな広告をずっと載せている。だから、毎年毎年懲りずにその広告を切り抜いて貼り付けた郵便為替の請求書を送りつけてくるヤツがいる。もちろんNTTとはエンもユカリもないから、請求書に従って振込みをしても、詐欺師を喜ばせるだけっという仕組みになっている。因みに、封筒に書かれたこの詐欺の胴元の名称がふるっている。「職業別広告社」だって。「電々広告社」ってのもあった。
エラそーに書いているわたしも、数年前ヒマな折に「タダで畳のダニの卵まで取れちゃってアレルギー物質まで強力に吸い取る」とかっていう触れ込みの掃除機を、セールスマンの説明に耳を傾けるうち「なるほどナルホド」と納得した気になってマンマと購入し、人に言われて我に返り、慌ててクーリングオフの手続きを取ったという、ニガい思い出がある。後で同様の掃除機がその時の言い値の1/5くらいで売られているのを確認し、ナサケナイ思いを新たにした。
テレビでモザイクや音声変換でSF映画の化け物みたいな演出の「元詐欺会社の社員」が、「自分は詐欺に掛かる様な馬鹿じゃないって思っている人ほど騙すのが簡単」って言っているのは衝いている。ので悔しい。
それはともかく、件のフィッシング詐欺と思しき英文のメールにあるhere(ここ)っていうボタンがなんとなくソソル。アルコールの入り過ぎなどの後押しがあったら、怖いもの見たさでクリックしてしまいそうだ。何を書かされるのだろうか・・・銀行の口座番号とカードの暗証番号と生年月日と預金残高とクレジットカードの有効期限とカード番号だろうか・・・

それでは皆さんまた明日。

▼2006年2月24日(金)

【「何頭さまですか?」】

接骨院の従業員っていうのはしょんぼりして居てはイケナイ。患者さんが訪ねて見えたら、気合を込めてさわやかに挨拶するべきだ、と思っているし耳が遠い人もいらっしゃるだろうと思って、なるべくハッキリした声を使い、「こんにちは」応答が無い場合は「はい何でしょう?」などとゲンキ良くあいさつする。患者さんが出て行くときには必ず「お大事に」「気をつけてお帰りください」と声をかけるのが定番だ。
ところが職場のドアは、患者さんが出入りするだけでなく、郵便配達の人や医療関係の消耗品を扱う業者や飛び込みのセールスの人やら色々な人が開け閉めする。開け閉めの気配を感じる都度「声掛け」するわけだ。郵便配達人には「ありがとう」。セールスの人には「今仕事中なの。ごめんね」とゆうふうに言葉を使い分けるのだが、状況に引き摺られて変な言葉が出てしまうことがある。便配達人にも、出入りの業者にも、日掛けの貯金を取りに来た信用組合の人にも「お大事に」といってしまうのだ。
ラーメン屋さんのマスターから聞いた話だが、従業員達と検便の話で盛り上がっていた直後、入ってきた客の注文を「ギョウチュウ定食大盛り」と大声でオーダー復唱した従業員がいたそうだ。正しくは「餃子定食大盛り」だった・・・。その従業員は他にも同様の言い間違いをする名人で、やはり皆で羊だか兎だかの話で盛り上がっていた直後に複数のお客が店に入ってきたとき、「何頭さまですか?」と声を掛けてしまったことがあるという。
ここまで酷くないにしても、直前の状況に引き摺られて間違えて喋るパターンはよくある。関西人と変な関西弁で喋っていた直後に、普通の言葉で呼びかけられたにも拘らず、関西弁のイントネーションで返事したりするのが私の定番だ。タイ人と電話していた直後に患者さんから声を掛けられて、「なんでしょう?」と答えるべきところ、タイ語の返事が頭に浮かんできてビックリしたこともある。これは言語習得に対する情熱というのとは違うと思う。
さて、何の仕事でもそうだが、特に医業の場合「思い込み」は、すみませんでは済まされない重大な結果を招くことが多い。接骨院の場合、例えば骨折であっても皮膚に傷があったら手当てはできない。資格の問題で感染症の面倒を看れないからだ。例えば膝の痛みを訴えている人の膝に内出血とか腫れがあればそれは一目瞭然だけど、症状が治まってくると外見的には左右同じになってしまう。10年位前の話だが、右膝の治療を一生懸命やり、さて、終わろうか、と患者さんに声を掛けたら、「痛いのは左ですけど・・・」と言われたことがある。ダサいことこの上ないが、実害が無いことがご愛嬌だ。
外科医が手術する側を間違えて、右の乳癌なのに左のお乳を切除してしまったり、看護士が非常に強力な薬を間違えて隣の人に点滴してしまったり、時々報道されているが、あれはつくづく大変な仕事だな、と思う。あるんです、こういう類の間違いって。接骨院と違って結果が超重大だから、看護士の喫煙率が高いのも頷けるというものです。ストレス溜まりますから肩腰の痛みも増悪しますしね。そんなときはゼヒ当院をご利用ください。と宣伝してみました。

それでは皆さんまた明日。

▼2002年2月6日(木)

【みきまつ号故障】

やられた!愛車みきまつ号が故障だ。
昨晩仕事が終わってから、みきまつ号に燃料を入れに行った。セルフスタンドでいつものように満タンにして、「サーデ、ガエルガナ~」とセルボタンをおしたところ「キュ・ル・ル・ルウ・・クウ・ワッ・・クウワッ・・クワ・ア・・ア・・・アア・・・」という情け無いセルモーターの作動音がして、それっきり。
2.4km先のねぐら迄、0℃近い夜の道を押して帰ることになった。装備重量で248kgあるハンドルバーの位置が低いバイクを歩きながら取り回すのは困難をキワめる・・・
サイドスタンドを出しっ放しにしてバイクを左側から支え、左右のハンドルバーを掴んでへえへえ言いながら前に押してゆく。疲れて力尽きた場合は車体を左にそっと傾ければサイドスタンドが車体の左側にあるから、バイクが倒れる心配は無い。しかしバランスを失って車体が右に傾くと大変だ。反対側への立ちゴケには10度も傾けば充分なのだ。
みきまつ号は、立ちゴケ程度でも著しく高い修理費用が必要だから、神経を使う。途中何遍か1~2分の休憩をとり、その度に、革ジャン、グローブ、メット、セーターの順番で服を脱いで行き、40分後に無事到着!したときには寒空にも拘らずTシャツ一枚になっていた。
そんなわけで今日は朝から大切な商売道具の左手首が、痛い。手の関節が特定の角度に曲がったときに非常に痛い。「手首が痛いから、もう今日は仕事はやめたー」とアマエるわけにもいかないので、仕事場に来て、アイスパックと超音波治療器を使って自分で治療した。
アイスパックというのは、早く言えば氷嚢を使って適度に患部を冷やす治療法だ。袋の入り口は魔法瓶のキャップのようになっていて、内容物の漏れを防いでいる。この中に氷と水を入れてキャップを閉め、目的の場所に押し当ててながら袋を揺らす。水は金属などと比べて温度が伝わりにくいので、袋を揺らし続けることで皮膚と接触する面の温度が上がらないようにするわけだ。
低温により神経の興奮を鎮める作用に加え、自律神経の働きで毛細血管の拡張を促し、発痛物質の循環をはかる、という二つの作用がある。
超音波治療器というのは仕組みが面白いのでちょっと書いてみる。
我々が音を聞く、というのは、空気の振動を鼓膜でキャッチし、脳で分析して判断する。だが、人間には音として聞こえない範囲の振動があり、これを超音波と称する。
さて、水晶の板に一定の電圧をかけると振動が発生する。時計の水晶発振(=クウォーツ)の原理だ。腕時計なら一ミリ以下の小さい水晶で充分だが、治療や検査に使う場合にはある程度大きな水晶板が必要だ。超音波治療器の場合は、直径2cmの薄い水晶の板が金属製のコンタクトプレート(=皮膚との接触面)の裏に貼り付けてある。水晶板に掛ける電圧によって周波数が決まるが、今回は3Mhzを使用した。易しく言うと、1秒間に300万回患部を細かく叩くわけだが、これを使うと、新陳代謝の促進と温熱作用という二つの効果が得られる、らしい。
体内の水分子に、このクラスの振動が伝わると、熱を発生する。超音波治療器の使い方を誤ると熱くなりすぎるほどだ。この温熱効果により血流の促進をはかる事で治療に利用するものが一つ。
体を構成している小さい単位に、細胞がある。細胞の外と内の境に細胞膜がある。細胞膜は、外の世界から細胞の維持に必要なものを取り込み、中からは細胞にとって不要となったものを外に出している。超音波の振動はこの細胞膜の働き(=能動輸送)を加速する、らしい。これが治療に使えるもう一つの働きだ。
というわけで、数ある物理療法の中でも、アイスパックと超音波治療は、鎮痛効果がはっきりしている方法だ。専門家の監視の下で行えば安全だし、他の療法との組み合わせでより良い効果を得ることができるだろう、と思ってます。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年2月5日(月)

【特殊な記憶を持つ人々】

ある患者さんが当時中学生だった長男と街を歩いていて、突然見知らぬ女性から声を掛けられたそうだ。「3年前のTVチャンピオンに出ていた男の子じゃない?」
で、その息子さんはTVチャンピオンに出たことがあるのは確かにその通りで、ミニ四駆の選手権だかで上位入賞し、賞金を3万円貰ったことがあるそうだ。だけど、TVに出たのはその一度キリだし、3年も前の話しだし、それ以前にその女性とは知り合いでもなんでもなかったし、見ず知らずの人からいきなりそのようなことを言われて、かなりビックリしたそうだ。
友人の弟は、物覚えの良さが子供の時から尋常ではない。何年も前に起こった身の回りの出来事をつぶさに記憶していて、その出来事に関連する事柄に出会ったときはすらすら記憶が蘇ってしまうらしい。「去年3月の第二金曜日に君とこのファミレスに来たとき、向こう側の席に3人で座っていた、黄色のカーディガンを事務服の上に羽織っていた女性がいたでしょう?その色と似ているね君のマフラー」などとつい言ってしまい、相手から怪訝に思われたりしていたそうだ。
飛び抜けた記憶の才能は、なぜか人々に恐怖を抱かせる。テレビのビックリショーに出ている人のパフォーマンスなら安心して見ていられるが、身近な友人と思って喋っているとき、相手が突然このような異能を発揮したら、ササーっと盛り下がることは間違いないだろう。
忘れたいこと(=過去にやってしまった、どちらかといえば都合の悪い出来事)の記憶が時間の経過と共に、他人の頭の中でも薄くなっていくことを、無意識のうちに望んでいる人が多いと思う。それなのに、相当の時間が経過しているのに、それをしつこく覚えている能力がある人がいる、というのはオソロシイことである。まだ時効じゃないんですか?みたいな気持ちだ。
件の友人の弟は、自分のように今まで起きた物事を覚えている人は少ないってことを知り、覚えていてもわざと黙っていることが多くなったそうで、お陰でガールフレンドに思いっきり引かれることもなくなり、社会に溶け込みやすくなったという。
「たいして意味のある出来事とも思えない事柄までつぶさに記憶していることはある意味辛いものだ」と話しているそうだ。
わたしの場合は小学校の時分から、今日が何曜日かもわからなかったほど注意力散漫だ。鍵など何回複製を作っても失くしてしまうので、今でも鍵屋さんのいいお得意さんだ。つい先頃も10年愛用した腕時計を失くしたし。気付かずに同じ本を購入したこともある。
前頭葉のシナプスは人見知りするし、海馬も気が向かないと仕事をしない走る様子を見せないし。というわけで、わたしの記憶世界は荒野のあちこちに飛び飛びに記憶の断片が散らばっているようなものであろう。
馬鹿自慢は置くとして、特殊な記憶を持つ人は存外いるものらしい。
専門学校に通っていた時分、解剖学を教授してくれた先生を思い出す。現在の解剖学で命名されている部位についてその名称をラテン語英語ドイツ語日本語で記憶しているのは勿論、その立体構造をつぶさに暗記しているそうだ。そうだ、というのは彼の記憶の正確さを、講義を聴きながら確認しようが無いからで、医学生でもない我々に彼の頭に収蔵された古今の解剖学の知識をぶちまけるように披露してくれる、名物教授であった。
余談だが、かつては解剖標本を研究用と称して自宅に持ち帰ることが可能だったため、先生の自宅マンションには、ヒトの脳の標本をはじめ、様々な部位の標本が博物館並みに多数収蔵されている。何も知らない来客は、珍コレクションに目を剥くそうである。当時80歳近い高齢であったから現在もお元気かどうかはわからない。コレクションの行方も気になるところだ・・・。
さて、日曜ではあるが、本日もタイ式マッサージ教室があるので一日仕事場で過ごす予定。現在9時だが、非常に寒くてエアコンの暖房をMAXにしているがなかなか温まらない。これまでの10数年、毎年冬の平均気温が上がり続けていたので油断して、断熱を全く考慮に入れずに内装工事をしてしまったのがウラ目にでたかたちだ。暦じゃあもう春なんだから何とかして欲しいと思う。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年2月3日(金)

【職場での一日】

此処にはだいたい8時40分頃到着する。仕事は予約制だから、自分の裁量でいつでもお休み宣言できるし、逆に、クラブ活動前の高校生にテーピングを貼ったりする場合は必要に応じて7時頃出勤することもある。
仕事の性質上、基本的に終業までは外には出かけない。夜まで職場に貼り付けとなる。
たまに往診があると、外の空気に身を晒すことが新鮮に感じられる。お弁当を用意する時間が無かったときは近所の飲食店に出かけてお昼を食べるが、こんなときもなんだか開放感を味わってウレシイ気分になる。
ときどき、洞穴に篭っているように感じることもある。仕事場は入り口が街路に面していて、歩道にも人通りがありクルマの往来もわりに頻繁だが、来訪者は殆ど患者さんだけである。地域との接点は、患者さんとのやりとりと入り口から見える範囲の外の景色のみ。エアコンで年中温度管理をしているから、外に目を遣らなければ雨が降り出しても気付かないほどだ。
繁華街の西の端から東の端へ仕事場を移してあらためて開業したのが去年の10月。前の仕事場は9月初旬に引き払ったので、約一ヶ月間朝から晩まで自由に過ごすことが出来ていたことがある。最初は「しめしめ旅行に行っちゃおう」なんて漠然と考えていて、タイに行くか、それともバイクで国内旅行か、などと蜂蜜のように甘い計画をたてていたのに、10月の開業までに間に合わせなければならない、様々な契約の更新、機械設備の処分と調達、金策、内装のデザイン検討など、遣らなければならないことがワンサカあって、とても旅行どころではなかった。それでもそれまで職場でしてきたように一定の場所に縛り付けになることが無いし、かなりの「自由感」があって幸せだった。本屋に篭ったり、コーヒー屋で一服したり、夜箱根に走りに行ったり、今となっては良い思い出だ・・・。
この場所はビジネス街だから、8時過ぎになると殆ど人が通らなくなる。患者さんの予約もこの頃にはだいたい無くなるので、帰り支度を始める。掃除を大雑把に済まし、近所用みきまつ号(自転車)を玄関にしまい、電光看板のコンセントを抜いて台座のロックを外し、これも玄関先に収納する。
静まり返った街中で暖気運転をするには割りと太目の神経が必要だ。繊細なわたしは周囲への心遣いから、通勤用みきまつ号には可哀想だが暖機運転無しで走り出すようにしている。こうしてみきまつの一日が終わる。テュリャ・テュリャ・テュリャリャ~・・・・
って、この間、仕事はちゃんとやっているので誤解の無いように。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年1月30日(木曜日)

【定点調査】

街路に出した折り畳み椅子に一日中座り金属製のカウンターをもって辛抱強くカチカチ数える、アレは交通動態調査なのだろう。
前を通り掛ると、小さく『カチ』とカウントされる。通行人の一人としてカウンターに記録がのこる。通行人の一人としてだけ数えられてんだな、と思われるわけで、そう思うと、不思議だがなんとなくイヤな気分になる。
そう話したら連れの女性が『勝手に自分を分類されているようでちょっと悔しい』と言った。
優しそうな人とか髪型がカワイイとか頭の回転が良さげ、とかの肯定イメージなら別として、経済的に余裕がなさそうだとか、性格キツそうとか、ファッションがイケてないとか、ネガなイメージに分類されちゃって、問答無用で『カチ』されたらそれもクヤしいことだろう。
気になるから『今、どうゆう風に私を分類しました?』と聞いても、教えてくれない・・・。『わたしはそんなんじゃナイ』って抗議しても、ぜんぜんとりあってもらえない・・・。
などと想像して、二人でちょと盛り上がったわけだが、考えてみれば勝手に分類されるのが気になるっていうなら、人と道ですれ違うだけでも、あれやこれやイチイチ気疲れして大変だ。カウントされる代わりに、視線が気になったり、通り過ぎてからヒソヒソ話しているんじゃないかとか、あちこちに小さい『カチ』があるような気がしてキリが無い。
それにしても、今日も日本のあちこちでカウンターをカチカチやっていることだろうが、考えてみればなんとローテクな調査であろうか・・・定点観測用のカメラから、ビデオ撮影して、後で分析するとか、もっと人手が掛からない方法があるのに、と思ってしまう。あのような調査はおそらく機械より安手の人材を使っているから可能なのだろう。この冬空に運悪く日陰の場所に一日座らされたりしたら、脚や腹が冷えてしまわないかと他人事ながら心配だ。人件費が高い日本のやることとは到底思えない抜けた調査手法が、緩んだナゴみ感をカモシ出しているので、その点は評価できる。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年1月24日(火)

【自転車で行こう】

職場の近所で用事があるときには自転車を使っています。自転車は、乗り物でありながら歩行者との境界が曖昧ではっきりしないところが便利。あるときは、「ボク歩行者扱いだもんね」と歩道を、またあるときは「自動車と仲間だもんね」と車道を走る、みたいな立場。どちらにも属さない的な乗り物なので、イコール自由な乗り物のような感じがあって、そこも気に入っています。
念のため書いておくと、交通法規上で自転車は「軽車両」と規定されており、牛車や馬車と仲間。ただし押して歩くと歩行者扱いだそうです。
で、自転車は道の右を走っても左を走っても良いし、一方通行の規制も無いし、駐車禁止場所でも警告の紙をハンドルに巻かれる(静岡市の場合)だけ。
クルマや自動二輪にはキビしい交通法規が適用され、酒酔い運転は軽くて百叩き、それで事故でも起こせば遠島間違いなしだし、渋滞している高速道路でも二輪はクルマの間を走るなとかイチイチうるさいのに、自転車で同じように走ってもお咎めは少ない、或いは取締りがユルイというのも良い。エンジンのついた重たい車を、相当の速さで運行するクルマや二輪と罰則に差がある、というのは当然なんですが。
でも、この自転車でヒドイ目にあっている人もいます。寝坊のクセに遅刻したくない高校生に衝突されて負傷したなんてよくある話。誠意のない奴はそのまま逃げていってしまい、転んで怪我をしたおばあさんは泣き寝入りの上、怪我の後遺症で歩けなくなったなんて、接骨院の患者さんからよく耳にする話です。
交通量のある中心街の交差点では、婦人交通指導員(警察官?)が交通指導をおこなっています。不埒な遅刻高校生や交通規則を知らないクセに自転車に乗る非常識なオトナに、呼子(よぶこ)を吹いて警告しています。信号が変わる度に呼子を一生懸命鳴らしている彼らを見ると、バンコックのスーパーやデパート前の道路で、駐車場の出入り口にいる警備員を思い出します。
それはそれとして、とある交差点でわたしが青になった信号機を自転車に乗車して歩道の端っこを走り出したところ、歩道の隅で婦人交通指導員が、ぴりぴりぴりっと吹いて「横断歩道では自転車は降りて押して歩きなさいっ!」と指導してくれました。横断歩道でなければ自転車に乗っていても横断可能ということらしいのですが、自転車を毎日使って夕食の材料買出しにいく生活の足にしているような人の中でどれだけがこの規則知っているのでしょう?規則は社会的な通念に照らして運用したいものです。
ためしに「そんな規則始めて聞いた」と言うと、怒って「とっくに決まっています」と言いました。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年1月16日(月)

【接骨院の舞台裏】

その一

接骨院は、健康保険を使って治療を受けられるようになっているところがほとんどです。
患者さんが来院すると、本来の業務(その症状の見極めやら治療の段取りなど)の他に、保険の適用に関係する一連の手続きもしなければなりません。
まずは、療養費支給請求書とよばれる書類に署名(病院や歯科医とは違う制度で運用:なんとレセプトが白紙委任状になっている!)をもらい、提示された健康保険証の、保険者番号から記号・番号、住所、郵便番号、電話番号、保険証の本人・家族の確認、家族の場合は保険証本人の住所氏名電話番号、老人健康保険の場合はその保険証番号と保険者番号・・・ふー、すべてを入力しなければなりません。当院のような弱小ひとり接骨院の場合は、ぜんぶ、ひとりで、いちどきに、おこないます。
10月から現在の場所に移ってきたのを機に予約制で仕事をしているので保険証の入力などでもたついて時間を失うことは許されません。
初診の場合や、途中で症状が変化した場合など、患者さんとコミュニケーションする時間を多く使うときなど、焦って入力しがちです。が、ここで項目の確認を怠ったり、ミスがあると後日保険会社からの支払いをうけられないので、気合を入れて処理をおこないます。
保険証の確認に際して、色々工夫するわけですが、以前はスキャナーで読み取って、パソコンに格納していました。手の空いたときにその画像ファイルを見ながらレセコンと呼ばれる医療費請求のためのパソコンソフトウェアを開き、必要な項目を全部入力します。
あいてー(=information technology)の普及は目覚しいものがあり、いまやパソコンやらインターネットの普及率が全世帯の80%に届こうか、という情報化社会、だそうですが、その割に便利さから取り残された部分も多くあるのは困ったものです。例えば規格の不統一。18年1月現在、健康保険証は、保険証書の材質、枚数、折り方、項目が各保険者により見事にばらばらです。例外だらけの保険の取扱に無駄に時間をとられてしまいます。簡単に内容がスキャンできるため悪評高かった磁気カードや、特殊なI/O機器を買わにゃ対応できなそうなICチップカードにしてくれとか全然言っていませんが、せめて保険証の規格は一緒にしてくれ、紙製でいいから。ふー。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年1月14日(土)

【サポータの話】

膝サポータを購入する方へのアドバイス:ちょっと大き目の薬店でさがせばたくさんの種類を目にすることができるでしょう。保温能力や固定機能の高さやを売り物にしている特殊素材の製品も数多く出回っているはずです。
購入に当たって重要なチェックポイントは、サイズ合わせです。
「保温用」膝サポーターはサイズの調整がきかない筒型タイプがほとんどです。また、S・M・Lといった大雑把なサイズ表示は当てにならないので、購入前に必ず試着をします。
サポーターがユル過ぎれば歩いているうちに足首に向かって落ちようとするので煩わしいし、キツ過ぎれば膝から末梢側の血行を阻害しますので、痛みを減らすつもりが逆に悪化することも考えられます。サイズ違いなどで余計な買い物をしないよう注意したいですね。
価格については、片方で2,500円くらいまでで充分よいものが買えるハズです。
膝のサポーターには「固定用」のものもあります。
膝の靭帯損傷などの保護と再発防止には、ホントはテーピング固定がベストです。ただ、テーピング固定は「肌荒れ」という最大にして決定的な弱点をもっています。「肌荒れ」を起こす人はサポーターの利用をするしかありません。
固定用の膝サポーターは、膝関節付近の外科手術のリハビリに用いる、一丁あつらえのサイボーグじみたゴツイ物から、保温用サポーターより薄く仕上がっているエレガントな外観をもつものまで様々な製品があります。作りが凝っているだけあり、値段も高めになります。一丁あつらえの製品ですと30,000円超、既製品では3,000円くらいから揃っています。
保温用と違って、必要な固定の度合いによってチョイス、ということになりますので、専門家の意見を参考にするのが賢明でしょう。病院での処方を始めとして、簡単なものでは薬店やスポーツ用品店、接骨院などでも扱っています。
1月もあと半分となりました。昨日の日曜日はカルチャーセンターの講師として、新年初の仕事です。
今回の受講生はお一人(!!・・・一昨年夏の講習会には11人もいたのに?)です。テレビで見た過疎地の分校みたいですが、三年に亘って続いているこの教室の、過去の受講生諸氏がお手伝いついでに顔見せに来てくれるおかげで、毎度そこそこ賑やかな講義風景になっています。生徒が少なければ内容も濃厚になるわけですし、それを受講者もメリットと考えるハズ、という風に考えることにして、とりあえず全力投球しています。

それでは皆さんまた明日。

▼2006年1月12日(木)

【膝の天気予報】

慢性の膝痛を訴える患者さんが、雨が降るのを予測できるということをよく耳にします。雨が降り出す前に膝の違和感や痛みが増すのでわかる、というのです。
湿度が高く、気温が低く、気圧が低いという条件が揃うと雨が降りますが、この三条件が膝痛にどのように関係するのか、結論は難しいようです。
痛みにとって都合の悪い気象条件をクリアするには転居が一番でしょうが、そうもいかない方は、湿度と気圧は難しいにしても、低温対策は保温用サポータの装着という手段で解決可能です。
お勧めするのはあくまでも「保温」で、携帯カイロなどによる「加温」ではありません。
膝関節付近への携帯カイロ貼付は、低温やけどを負う可能性が高いのでお勧めできません。
因みに携帯貼り付けカイロは紙の包みの中に金属の粉が入っていて、それが徐々に酸化することで発熱します。酸化が急激に進んでしまうと高温になり、人体の暖めには適さないため、比較的低温で長時間発熱するよう、酸化を抑制する薬品を混ぜてあります。このタイプの携帯カイロはこれまで、さんざん低温やけどの原因となってきたため、メーカーも酸化を抑制する薬品の工夫に力を入れているようです。それでも貼り付ける場所や、個人の体質によって完全に低温やけどを防ぐことは難しい、というのがお勧めできない理由です。
低温やけどの治療はホントに長引きますよ。最初のサインは貼り付けた部位の肌の色が赤紫色に変色します。痒みもでてきます。貼付部位の奥にある蛋白質に先に「火が通って」しまうところが温泉たまごみたいです。強い症状になれば化膿して、皮膚にも穴が開きます。こうなると医院での処置が必要となりますのでご注意ください。

それでは皆さんまた明日。

▼ちょっと詳しい周辺事情

【 柔道整復師とは? 】


なじみのない名称かも知れませんが、柔道整復師は公的な資格です。柔道整復師の資格を持つ人は、「接骨院」あるいは「ほねつぎ」という名称の施術所を開設することができ、骨折と脱臼の応急処置と、捻挫、打撲、挫傷の治療をおこないます。これら5つの傷病で接骨院に受診する場合は健康保険を使った受診が可能です。
看護士や理学療法士、作業療法士などは公的資格ですが、医師の指示で仕事をします。ヒトの治療をする事業を開設できるのは、医師、歯科医師、マッサージ師、鍼灸師、そして柔道整復師のいずれかの資格を持つ場合です。
日本には「整体師」「カイロドクター」「エステシャン」「トレーナー」という業務に関しての公的資格(例えば国家試験をパスしてはじめて付与される資格など)は存在しないので、彼らは“自称している”わけです。

【 健康保険が使える施術 】
柔道整復師の施術所(=以下接骨院と表記)で健康保険を提示して受診する場合は、病院や歯科医院などとは違って「療養費の受領委任払い」という制度が適用されます。患者さんは療養費の保健者負担分(つまり医療費から保険証に記載のある自己負担分を除いた部分)を健康保険の運営者に対して自ら請求することになっています。
ではありますが、それでは余りに利便性が悪いので、実際には請求の委任状を接骨院に託し、柔道整復師が患者さんの代わりに保険の運営者に請求書を送り、運営者はそれを受けて柔道整復師に支払いをする、というシステムになっています。そんなわけで、接骨院で健康保険を使うときには請求書の署名欄に保険証の持ち主のサインが必要です。話が面倒で恐縮です。 ⇒詳細

【 早い話が・・・ 】
基本的に急性の傷病、上に挙げた骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷について保険が使えます。急性疾患と慢性疾患の区別は柔道整復師自身がおこなうため、厳正な運用が難しい面もあります。そもそも慢性疾患と急性疾患、どうやって区別すりゃいいのか・・・そんなグレーゾーンを、体が痛くて接骨院に来る人に対して、事前に判断しろって言うほうが無理でしょう。その上、患者さんはこれらの事情をまったくご存知ありません。
付け加えますと、接骨院を「保険の効くマッサージショップ」と勘違いしておられる向きもあるようですが、制度的には上記のような事情があって健康保険が適用されているわけでなので、制度の趣旨に沿った利用を心がけたいものです。

♣ クイズの答えはこちら (^_^)v

クイズの答え 】

⇒問題で挙げた選択肢は全て当院の患者さんから実際に聞き取ったもので、どれを選んでも正解! (^_^)v

設問を見ているうちに、溶けた脳みそが耳から流れ落ちるように感じたなら、大丈夫。まだまだあなたは正気です。

▼dark side of 健保組合

【 信じられないような実話 】
残念ながら一部の健康保険組合が接骨院の保険適用診療に対して敵対的な立場をとっています。彼等の目には接骨院が組合の資産を蝕む穀倉虫のように映るようです。
そのような健康保険組合は、組合員が接骨院で受診後、数が月経過して患者本人も記憶が曖昧になった頃、『調査票』なる書類を患者さんに送りつけてきます。
『調査票』の内容は、「何時何分何処でどのように負傷したか?」「患者が訴えた場所と治療を受けた場所は同じか?」「その接骨院で幾ら支払ったか、何回受診したか」と、患者本人も時間経過と共に記憶から消えているような瑣末なことを問う内容です。覚えていないものは書きようが無いと思われますが、逐一詳細な回答を強い調子で求めています。このような調査の意味はなんでしょう?
更には『接骨院のかかり方』との紙っぺらを患者に送りつけてくる陰湿な保険組合もあります。これがまた、接骨院で保険診療を受けることが、あたかも後ろめたい犯罪の要素を含むものであるかのような暗喩を込めた文章で、早い話が組合員の接骨院にたいする信用をなんとか傷付けようと陰湿な努力しているのがありありと読み取れる代物です。
いったい何処の馬鹿者がこんなことを考え付くのでしょう?やな感じです。見当はつきますけど、可哀想な組合員の皆さんには関係ないことなので此処には書きません。

【 接骨院に敵対的な健保組合リスト 】
何人かの患者さんからこのような“質の悪い嫌がらせ”と解釈される話を伝え聞き、『調査票』なる書類も実際にいく度となく目にし、いい加減腹に据えかねるので、悪質な保険組合を以下にリストアップすることにしました。
このような接骨院の扱いが一部の健保組合でブームになっているようで、リストは更に増えていくでしょう。
※国民健康保険や社会保険は現実的な対応をしており、接骨院での保険診療について何の問題もありません。
当院では、以下の健保組合の保険取り扱いを基本的にお断りしています。特に明確な受傷機転が判然としない場合、これらの健保組合は治療費の支払いを渋るか、組合員へ自己負担を求めてきます。皆さんが接骨院をご利用になると仔細を忘れた頃を見計らってこのような『嫌がらせ』を仕掛けてきます。ナニが何でも組合員を接骨院で受診させたくないということでしょう。
組合員の健康維持を支援するのが本来の存在意義であろうと思われる健保組合が、それを末端で支えてきた医療機関に対して、信用を失墜せしめる行為を延々と継続して行なっています。
ナニを考えてんだお前ら!
※尚、これらの健保組合の中には支払い業務全体を代行会社に一括して丸投げしているところも多くなっています。その場合でも統括責任は個々の保険組合にあると考えます。つまり発注元の健保組合も承知の上で続けている行為です。

静岡放送健康保険組合 ★★★
静岡銀行健康保険組合 ★★★
三菱電機静岡工場健康保険組合 ★★★
ヤマト健康保険組合 ★★★
ユアサ健康保険組合 ★
東京金属健康保険組合 ★★
大塚製薬健康保険組合 ★★

・・・順不同。わたしが実際に見聞きした根拠に基づき表示しています。