雲取山は暑かった
棲家の掃除をしていたら、暫く使われる機会が無いまま埃を被っていた登山靴を発見。久々に日帰りの登山をしてみようと思い立った。仕事のほうは先週に引き続いて日曜日の予約を受け付けないように手配し、土曜日の夕方レンタカーを調達し、夜はザックを準備した。
翌朝7時から登山口へ向かう未舗装の進入路を歩き始める。前日は2時間しか睡眠を取れていないのだが身体の調子はまずまず良好。苔の写真を撮影する趣味があるので道々立ち止まりつつもぼちぼち登山道を進む。木立が緑の天井となるつづら折れの細い道を進むと、蛇、カミキリムシ、ミツバチ、蜘蛛、蛙、鹿など多くの生き物が目の前にあらわれる。日差しが強く湿度が高いため、運動量以上に消耗が激しいようで大量の発汗で着衣が重い。このように暑い時期にここを訪れたのは今回が初めてだ。途上ですれ違った人達の半分は短パンとTシャツのいでたちだったし、この天候に相応しい格好だと思うけど、わたしは長袖シャツと長ズボンを着けている。この時期発生している羽虫、蝿、蜂などから手足の皮膚を守るためだ。それに一昨年タイのプールで酷い日焼けを被ってから、皮膚の保護には常に気を使っている。
頂上手前までは穏やかな道程が続くこのルートだが、昇るに連れて勾配が強くなり、頂上前の斜度の強い尾根では脚の諸筋が痙攣を起こす。5分昇っては1分休むといった感じで30分ほど進むと山頂に出た。到着は昼過ぎだったが、山頂に居る登山客は7,8人で、閑散としている。そういえば今回、三上小屋アクセスするコースですれ違ったの人間は7人だけ。以前のアクセスの良さが進入路のゲートで遮られ、6kmものかったるい林道の道行きが加わって、このルートの人気が失なわれているのかも知れない。
一息ついたら、速攻で下山だ。目的地に長居しないのがわたしの流儀、とか言ってみる。へへ。ホントは運動不足解消を目論んで山に来たのだ。
今日の話はここからが本題。ここ5年ほど、登山の復路でわたしの両膝が音を上げるのがお約束だ。膝の軟骨が減っているせいだと理解している。今回も山頂から急勾配を20mも降りないうちに激しい両膝の痛みが始まった。やれやれ。
で、今回も、きびすを返して斜面を昇ってみると不思議なことに全く痛みが無い。これは運動解剖学で説明できよう。斜面を昇っているときには体重の5倍も6倍もの力が関節に作用するといわれる。斜面を上に向かって歩行する際には、関節面は常に回転しており、一箇所だけに加重が掛かり続けることはない。一方、斜面を下に向かって進むときは膝を伸ばして足を地面に着く。だから膝関節を伸ばした位置でのみ加重を支えなければならない。この部分の軟骨は磨耗し易く、また既に磨耗があるなら強い痛みの原因になっていても無理は無いわけだ。
今回の登山では2年のブランクにより膝周りの筋力の衰えのためか、もう一歩も進めないというような膝痛に発展し、急坂の途中で立ち往生。そこでやむなく斜面を後ろ向きに下りる非常手段を繰り出した。危険ではあるけれどこのまま下山できないのでは話にならない。
両手に握ったストックを斜面の高いほう(体の前方=進行方向の逆)につきながら、頭だけ後に向けて進路を確かめつつ大股で進む。この後ろ向きの下山方法では痛みが全く無いのだ。
スピードは速く、膝の痛みも全く感じないすばらしい歩き方だが、最大の欠点は安全性の確保がムツカシイことだ。狭くて急な坂道でしかも道の片方は急な崖。だというのに良好な視界が望めない。
膝の痛みを訴えてみきまつにみえる患者さんの中で、関節の中の構造物の磨耗が疑わしい方には、階段を後ろ向きに降りるように勧めている。このアドバイスはわたしのこの山での経験から思いついたものだ。家の中の階段なら手摺をつければ良いし、たまさか落ちたって階下までだ。
だけど急な山道ではお勧めできない。今も無事この日記を書いているのだから今回は崖から落ちずに済んだわけだが、途中何度かバランスを崩して非常に危ない局面もあったことは、ちゃんと書いておかなくては。
登山道に下りたら、ふたたび平坦な林道を都知事と東京都水道局に向かって悪態をつきながら6km歩く。今回は途中の山小屋でビール休憩しただけだから、正味10時間歩きっぱなしだった。ふ~。
ところで、わたしの膝は確かに困った状態だが斜度がキツくなければ問題なく直進できるのだ。だから下肢の使い過ぎで筋肉痛にはなってはいるけれど、仕事場で後ろ向きに歩いたりしてないですよ、モチロン。
それではみなさんまた明日。
生きるってムツカシイ:席を譲る編
電車の乗客になったとき“労わるべき対象”となるのはどんな人だろう?
松葉杖を使うなどして明らかに脚を怪我している人、妊婦、幼児を連れたお母さんといった場合はまあ、当然の思い遣りということになるだろうが、年齢の想定による選別をするとなると問題発生だ。
ちょっと前に観た韓国映画で、年若い登場人物が電車内で席を譲る場面が思い出される。男が、如何にも年寄りといった格好の女に「どうぞ」と声を掛けて席をたつ。女は若者の礼儀正しい振る舞いを当然のこととして受け入れ、着席する。
登場人物の若い男はためらうことなく相手を“労わるべき対象”と判定、一方判定された側でも自らを“席を譲られて当然”の立場だと認めている様子だった。
これってどうか?僕の周りにいる女性達はこのような扱われ方を素直に受けとめるだろうか。
「わたしはそんなに弱って見える?」と悲しくなったり、「年寄りに見えるってこと?」と自信を傷つけられたり、「隣の女よりあたしが老けて見えるの?」とムカついたり、「嫌がらせ?」と怒ったり、てな反応も珍しくなかろうと思われる。
人間社会で生きるってことはいちいちムツカシイもので、自分より弱いものに楽をさせる積りの、ちょっとした親切心発揮の場面でさえ面倒なスッタモンダがある。「空気を読み」まくっていろいろ考えているうちにチャンスを逸してしまうこともありそうだ。
この話しで盛り上がっていたら、友人はある時、幼児を連れた妊婦に席を譲ったつもりで立ち上がったら、母親が幼児の方を掛けさせた例を挙げ、何か釈然としない感じを受けたと述べた。
今年はチュニックなる、ぼってりとしたシェイプの女性の服装が流行っていて、これを着て電車に乗ったところ妊婦に間違われて席を譲られてしまった友人が続出したという。
それではみなさんまた明日。
半年振りに日記を書いてみました~。この半年、何をしていやがった?と御叱りの声もありませんでしたのでホッとしています。というか殆ど見てる人がいない事実があるかも。実は当サイトは5月に全面改装しまして、皆さん、お気づきになりましたか?以前からコンテンツは自家製でしたが、今度から構成からレイアウトまで自前で管理することになりまして。
今回からウィンドウの幅を変えてもレイアウト崩れを起こさないよう各ページを構成しており、この作業にべらぼうに時間が掛かったため、日記の記述どころじゃなかったというわけ。友人は僕がこのサイトの更新作業を夢中になってやっているのを見て、「また伸び縮みやってるの?」と笑っています。
これからこの半年シカとしていた分もちょくちょく書いていきますのでどうぞよろしくお願いします。
朝10時。一時間前に中学生の距腿関節捻挫処置を終えてから、暫くサイトの更新準備(最近こればっかりやっていて日記の更新していない・・・)していたら、外で拡声器の声。
「朝早くから恐れ入りますが、ご町内の皆さんに、たいへん、重要なお知らせがありますのでお聞きください。」
ふむふむ。と耳をそばだてる。
「伝馬町通りに○○円ショップというコンビニエンスストアーがありますが、そこでは、毒物が流れ出す危険のある商品を売っていますので、十分気をつけてください(繰り返しもう一度)。」
ん?異様な内容に耳をそばだてガラス越しに外をみると、痩せ型の神経質そうな初老の男が自転車をとめて、拡声器で話している。彼と目が合わないよう、そおっと観察していると、ちょっと先に再び自転車を停めて、同じ内容を呼びかけている。彼が問題にしているコンビニは200mくらい先にあるのだが、この人はこの通り沿いにずっと先まで“お知らせ”をして廻るつもり、とみた。
何だよ、“毒物が流れ出す商品”って?
これって、あからさまな営業妨害なのだけど、手法がなんとも奇妙だ。わざわざ拡声器を用意してきて自転車で走り回りながらそこまでやるってのは相当な覚悟があるのだろう。
そもそもきっかけになった商品とは何だろう?いろいろ考えてしまう。
店の人とどのような遣り取りがあったのか、奇妙なアッピールに火がついた経緯は?もっと詳しいことを言ってくれ、と耳をそばだてるが、この人、それ以上は何も言わないのだ。聞いている人を途中で放り出さないで欲しいと思う。先を聞きたいけど、やっぱり聞かなくて良かったような・・・
・2007年10月6日 第二弾をアップしました。
今回は第2章の文章を全部と、修正中あるいは製作中のイメージ数点を除いたUPとなりました。関連の全てのページにも変更を加えました。今回はサイトの骨組み自体も変わりました。「棟上式」が済んでから間取りを変える、という、困った施主ですが、自分で作っているのだから迷惑でもない・・・か。
で、開通にはまだちょっと時間が掛かりますが、限度は心得ております。ちょいちょいお寄り戴ける方にはお分かりと思いますが、ちょこまかした修正などの場合はイチイチ載せてません。次回は第3章です。お楽しみに。
あ、アクセス方法は9/11と同じ方法でどうぞ。
なんか、体調不良です・・・とは書けないのが健康産業の辛いところ。歯医者の虫歯、内科医の風邪、皮膚科のニキビなど、シマラナイこと夥しいが、接骨院のセンセイも弱っちいイメージはそぐわないことになっていて、今みたいに睡眠時間少なかろうが、喉が多少痛かろうが、お金が無かろうが、弱音は禁物なのだ。世間を亘って行くってキビシイですよね・・・明日もがんばります。
それでは皆さんまた明日。
※注:この後、テスト版で使ったレイアウトは全廃し、2008年5月に現在のレイアウトに変更しました。現在では、firefox ie6/7 safari 完全対応となっています。)
苦節3ヶ月(サイトにはなんて書いたかな・・・一年とか?)とうとうタイマッサージWEB講座がテスト版として公開できる運びとなった!
このページのアドレスバーの右側、nikki/nikki.cgiのところにtest/web-content/を代入すると、ジャーン!テスト版をご覧いただけます。
今のところ、IE7で多少レイアウト崩れの発生を確認済み。IE6ならたぶん正常に表示されるハズなのだが、どうですか?
ズブの素人がどうしてズブなのか、ズブの意味は何なのかわからないが、ゼロからはじめたサイトづくり、これまで何冊も本を買いました。患者さんのF社のMさんに戴いた一冊のハンドブックに目を通していたのは5月頃だったからあれから随分時間が経過したものです。Mさんありがとう。足の痛みはおとなしくしていますか?あと、同じく患者さんのI社のHさん、3段組cssレイアウトを教えてくれ、tableを使ったページ構成をやめるきっかけを与えていただき、ありがとうございました。
テスト版は全体の1/7くらいの分量で、日々更新しています。あと暫く充分な睡眠時間が確保できなくなりそうだが、不思議とツラくないんですね。久々にモノを作る喜びてんですか?マンキツしています。
日記にかけている時間が極端に少なくなったため、月一更新となってしまいました。ファンのみなさん(?)済みません。その代わりといっちゃあナンですが、「タイマッサージWEB講座」どうぞ宜しくお願いいたします。
それでは皆さんまた明日。
※注:この後、テスト版で使ったレイアウトは全廃し、2008年5月に現在のレイアウトに変更しました。現在では、firefox ie6/7 safari 完全対応となっています。)
東向きの玄関先にバイクを停めているが、出勤の頃ちょうど日差しがバイクを直撃して来る。黒いビニールのシートが燃え燃えに熱くなり、フライパンの上に尻を乗せたのかと思うほどである。今朝はバイクに跨る前、玄関のロックを廻してヘルメットを被りグラブを装着した時点で、もう汗が噴き出すのがわかった。普通はこのあとバイクが動き出せば体が風を切ってちょっと涼しくなるのだが、今朝のように空気自体の温度と湿度が共に高いのでは駄目である。ヘルメットの中はパン生地の発酵にもってこいの蒸れ具合だった。
「颯爽と風を切って涼しそう」というのはバイクを知らない人々が持つイメージで、はっきり言うと間違っている。「バイクは夏の乗り物」というのもやっぱり間違いだ。上記のような安全装備をぴっちりと纏い、サーキットや峠道を走る遊びが快適なのは、春先や秋口の気候の良いとき、しかも午前中の爽やかな時間に限る。
サーキットコースを借り切っておこなわれる「走行会」では、安全第一の観点からフルフェイスタイプのメットと皮製のライディングジャケット(俗にいうツナギで、胴体に水平のつなぎ目が無いもの)と、グラブおよびブーツの着用が義務付けられている。真夏に走った後では、汗で皮製のツナギが皮膚に張り付いてしまい、脱ぐのが困難になるほどだ。
このような重装備は必要ない街中のライダーにとって一番辛いのは夏場の信号待ちである。風は無いし陽は照り付けるしメットの中は蒸し器だし、脳みそが溶ける。
わたしはどのような気候環境に於いても安全装備を身につけたバイク乗りを気取っている。耳から上しか帽体がない超薄っぺらなヘルメット(転倒して頭が路面に着地すれば結構な割合で脳に損傷が及ぶと思われる。若い連中を中心にスクーター乗りが好んで着用しているようだが)は選ばないし、服装だってアロハに短パンでは転んだとき皮膚が酷いことになる。だからどんなに暑い日差しの下でも長袖を身につけている。それに老化の進んだ皮膚は日焼けに弱いし。
そういえば、亜熱帯にあるタイでもビルの冷房の排熱のせいでとりわけ暑いバンコック市で、数年前からバイク乗車時のヘルメット着用が義務付けられている。常に渋滞しているバンコックの道路だが、かつては渋滞の先頭に不自然な形でころがり、人生にさようならをしているライダーが毎日のように見られたものだ。事故の多さに驚いていたものだが、ヘルメットの着用は果たして死亡事故減少に役立ったのだろうか・・・わたしはイヤですね。あそこでメットを被ってバイクに乗るのは。だって気温が40度以上なんて珍しくない国なんですから。暑さのため脳の機能が著しく衰えて、交通安全に関する注意力も損なわれてしまうのは確実だ。
しかし、なんと最近はこのメット着用がすっかり定着しており、バイク便のお兄さんなどは空気汚染や日焼けを避ける目的もあるのか、長袖長ズボンにフルフェイス(それもシールドをきちっと閉めている!)とブーツ、手袋とフル装備の人をいくらでも見かけることができる。
それにしてもこのまま蒸し暑い日が続くと半袖シャツの誘惑に耐えられるか自信が無い。ここ一ヶ月はブーツの着用は諦めて革靴を履いている。オシャレ要素だけでなく安全機能を求められるところがバイクの不自由なところだ。ま、転倒しなけりゃ問題ないのだが、ホレ、先ほど書いた交差点の美学、みたいなものがある。もっともらしく恰好つけるというのは難しいものだ。
夜になって少し空が曇ってきた。ちょいと涼しくなってほしいものだ。それでは皆さんまた明日。
2ヶ月も何も書かずに何をしていたのか?“消息筋”によると近々発表予定のタイマッサージサイトを“立ち上げる”ため、“水面下で”準備していたのです。3年越しで作る作ると言っていたサイトですが、完成しないうちに飽きてきた(まだ出来てもいないのに・・・)ので、これは如何せんマズイということで“急ピッチ”で“局長級会談”を実施し、事態の“解決に向け”努力していた、ということです。・・・以上、NHK語の数々を無理やり使ってみました。
内閣の仕事なのか宮内庁の行事なのか詳しいシクミは知らないが、「叙勲」という制度がある。「社会活動で功績のあった人に勲等を授け勲章をあたえること」だ。ニュースで時々聞く言葉だが、日常生活にはぜんぜん登場しない特別な行事である。授与するのは天皇なのか総理大臣なのか良くわからない。
Y氏がこの5月に叙勲された。長年に亘って地方都市の役所に勤め、退職後はあちこちの公的施設に顧問として招かれたが、最終的に特定の地位に登りつめ、退職後一定の年齢になると勲章がもらえることになっているのだという。
おめでとうございます。
「面白いのはさ、前もって通知が来るんだよ。あなたは叙勲を受ける意思がありますか、と打診してくるわけだ。」
へー、断る人もいるのですかね?
「どうかな・・ま、そんな人もいるのかな。色々と物入りだしな。皇居までの交通費やらカミさんの美容院代やら、モーニングを新調したり、それに叙勲パーティーを主催しなくては恰好つかないし。でも誰でも貰えるってモノじゃない。」長年の役所勤めで昇進を繰り返して来た人だから、名誉とか地位といったキーワードにはことさら関心が高い。
そんなY氏が足腰の手当てを希望して来院した。叙勲を受けたあと2ヶ月以上が過ぎて、健康状態がちょと悪くなり入院していたという。
おめでとうございます。どうでした?
「これで人生の大きな節目を乗り越えた感じだな。」
なるほど。
「叙勲から帰ってきた翌日から実にたくさんの連中がいろいろな売込みに来るので驚いた。DMや電話だけでなくイキナリ自宅に押しかけてくる奴までいたよ。町の中心部にあるパーティー会場から、叙勲の記念パーティーをウチでやってくださいませ、と売り込みに来るわけだ。10軒近くあったかな・・・中にはワインとかの手土産を携えてきたのもいたよ。あと全国から額縁屋がDMをよこしたな。勲章を額に入れて賑々しく壁に掛けましょうってことだ。」
銅像作りましょう、なんての無かったですか?商魂逞しいですね、連中は叙勲した人達の情報をいち早くキャッチしている・・・でもどうやってわかるのかな?叙勲っていえば新聞にも個人名が載りますから、公人ってことですかね。それにYさん、○◇社の人名録に名が載っちゃってるんじゃないですか。もう秘密は何も無い状態ですね・・・。
「業者の殆どは新聞を見ているのだろうな。もっと面白いのは、知り合いでもない代議士が、新聞発表より前に祝電をよこすことだよ。叙勲が閣議決定されると情報が公示されるんだが、それより前の時点で情報が漏れているってことだろうな。こういった代議士あたりに情報を貰っている業者もあるかも知れん。」
「これからが更に物入りなんだよ。かつての部下が祝ってくれるって申し出を病気を理由に断っていたから、体調が良くなったからには、もう逃げられない。パーティーをやらなくちゃならないんだ。来てくれた人には記念品を渡さねばならない。○×叙勲記念と熨斗紙を付けてな。」
いろいろご苦労がありますね。ところで、額縁はどうなさったんですか?
「いろいろ種類があって、ピンは200万円超えだと。キリは3万円だったからそれに決めた。だが、カミさんは額縁なんて要らない、ってこうゆー言い草だ。君、どう思う?」
そう言われてもコメントのしようがないんですがね・・・。紙筒に入っているのでしょう?
「そうだよ。卒業式にくれるのと一緒だ。叙勲の表彰状は大きくて厚い紙でな、最後に内閣総理大臣の署名がある。ところで君、この次カミさんと話す機会があったら、もうちょっと亭主を大事にするように言っておいてくれ。」
はい、他にはなにか面白いことありました?
「叙勲の後で皇居内の食堂で食事をしたが、旨くないんだ。天○屋の安い弁当の方がよほど上だな。それから記念に土産を持たせてくれるのだけれど何だと思う?“銅鑼焼き”なんだ。食ってみるとこれがまた、なんともマズい銅鑼焼きでな。」
なるほど、宮内庁主催でも宮中晩餐会ってのとは違うんですかね。で、銅鑼焼きの皮には勿論?
「16枚菊の紋章が捺してあったさ。」
なるほど。喰わずに干して記念品にすれば良かったかも知れませんね・・・。
いずれにせよ皇居でおこなわれる行事に招かれるということは、戦中に旧制高校の学生であった反骨のY氏にも大変な重みのある名誉な出来事であったろう。新品のモーニングに身を包み、細君と共に朝早い新幹線に乗って皇居に行ったのだから。
軍事教練をする下級将校の命令で軍人勅語を声が枯れるまで復唱させられる話や、目上の者たちの話が「畏れ多くも・・・」で始まった場合は、それは天皇に関する話題と決まっているからスグサマ直立不動になって聞かなければならなかったという疲れる話、軍国主義の勇になりきって瞳孔全開で教室で喚きまくっていた教師共が敗戦と共に180度転向し、こんどは民主主義の申し子みたいに振舞い始めたというムカつく話など、Y氏から多数聞いている。
それでも「お国からの叙勲」を大きな誉れとして素直に受け止めている氏を見て、若き日の脳みそに半ば暴力的に刷り込まれた価値観が無条件で息づいていることが、恐ろしくも興味深く感じられたのであった。
それでは皆さんまた明日。
こうやってしつこく日記が更新されるとき。それは本業のヒマさ加減とシンクロするのは隠れた事実であるが、この際気にしないで書き進んでみます。
K姐さんの店の常連で小唄の会の参加者であるJ氏が自慢の喉を聞かせ、和食飲み屋の女将が恥ずかしそうに持ち唄を披露(彼女も長年に亘って小唄の会に通っている)、そのあと本格的なプロの技が披露された。いよいよK姐さんが踊り始めたのだ。やっぱりプロ、艶やかな身のこなし。六段に引き続いて都都逸二曲を披露し、その度ヤンヤの拍手を浴びる。
携帯のカメラを向けるとこちらに向かって決めのポーズ(見栄を切るっていうのか?こういうの)を取ってくれた。お話をする機会はあったから色々聞いてはいたが、実際の芸事を拝見するのははじめてである。
Kは小柄で身が軽い。40代の頃、他の芸妓が踊りだか曲芸だかの稽古をしているとき、「こうやるのよ。」とやってみせたら、ひょいと逆立ちができてしまったそうだ。
「逆立ち?その時、生まれてはじめて逆立ちしたのよ。他の人も簡単にできると思っていたら、違うんだってね?わたしの場合は練習したわけでもなく、普通にひょいとできるのがわかったという感じ。」
逆立ち芸はたちまち有名になり、宴席が盛り上がると必ず披露される十八番となったそうだ。「着物の裾はどう始末するの?」「脚で挟んでおくのよ。」
で、請われれば、都都逸一曲分くらいは逆立ちしたままで平気なのだそうだ。かなり特殊な才能だ。道を間違えたな、K姐さん。サーカスか新体操で食えたかもしれないね。もう年だから、怪我をしてもつまらないとして、一昨年の座敷を最後に打ち止めの技となってしまった由である。
舟のともには調理場があって、そこで天麩羅を揚げている。エビにアナゴにキス、ナスにサツマイモにアスパラガス。唄や踊りで盛り上がる宴席を縫って、茶髪のお姉ちゃんが次々に揚がる天麩羅の大皿をささげもって各テーブルに運んでくる。このひと、背が高くて低い天井の屋形船の中を移動するのに首を左に90度曲げ、右手に天麩羅の皿をささげ持って器用に歩く。頭が天井すれすれのところを移動していくありさまが尋常でないように思えてなんだか笑える。だいぶ酔いが回ってきたようだ・・・。
サッシの無い船尾部分に行き、外の風にあたりながらお台場の夜景を眺める。
部屋の中には煌々と明かりが付き、満席の人々が飲んで食って踊って盛り上がっている。そんな座敷が暗い海にぽっかり浮かんでいる。考えようでは、なかなかの非日常空間だ。
性格上、このような非日常にある時にわたしの頭にめぐるキーワードは転覆・衝突・津波などであるが、酒が回っていて邪念が抑制されているようだ。船着場付近はだめ過ぎたが、この辺の水なら落っこちて泳ぐことになっても健康上の被害は無いだろうとぼんやり考える。
友人に呼び戻されて座敷に戻ると芸者衆がゲームの時間だと宣言している。お座敷界(ってあるのだ)では伝統的なゲームだ・・・
【特別付録:お座敷ゲーム】
準備:座布団を4,5枚重ねたその上に、平たい刳り物でできた徳利のはかまを置く。対戦するのは座布団を挟んで対面した二人。謡と三味線が傍に付いて囃す。囃子に調子を合わせて対戦する二人が交互に座布団の上に手を置く。
ルール:徳利の袴に手を載せたとき、徳利の袴を掴んで持ち上げてもよいし、そのまま置きっ放しにしてもよい。鉢を掴んでいない人は握り拳を作って座布団の上に置かなければならない。鉢がないのに手の指が広がっていたら負けだ。
進行:最初は練習用に囃子がゆっくりと演奏される。「ちゃんかちゃんか・・・金毘羅舟々追い手に帆掛けてしゅらしゅしゅしゅ・・・」てなもんだ。囃子は対戦者が徳利の袴を握ったり握らなかったりして交互に座布団に手を当てているうちに徐々にテンポが速くなっていき、間違いを誘うというシクミだ。
さて、2時間が過ぎて、宴はお開きだ。食いきれない天麩羅をプラスチックの折に詰め、残りの酒を片付けるべく喉に流し込む。幸いすれ違う舟も少なくローリングもたいしたこと無いレベルだ。尤もそれでなけりゃ舟で酒盛りなんかできないわけだ。
帰り着いた船着場の臭いは、潮が変わったのか酔いが回ったのか、あまり気にならない。
わざわざ静岡から連れて行った芸者衆の“盛り上げの技”により、期待を大幅に上回る面白さだった舟遊び、と高く評価しつつ上陸した・・・。
「コラッ、寝てるんじゃねえよ!」だいぶ酔いが回った様子のK姐さんに揺すり起こされた。バスの窓に頭を付けて意識を失っていたらしい。
「はじめてあたしの本業をみせたね。どうだった?」うんうん、よかったよかった、来年もやろうよ。
見回すと、帰りのバスの車中は大盛りあがりで、とことん酒に強いメンバーがしぶとく生き残って自慢の喉を聞かせる聞かせる、懲りずにまだまだ酒を呑む呑む・・・朦朧としながら拍手拍手、K姐さんとかんぱ~い、かんぱ~い、・・・再び意識が遠のく・・・
それではみなさんまた明日。
日曜日の午後7時頃、飲み屋の親方の挨拶が30秒で終わるとお店の常連中の古株、N氏が音頭を取ってカンパーイ!刺身の大皿に箸を伸ばす。
ドブ臭い桟橋から離れた舟が水路から隅田川本流へと向かう。どこへ行くのか屋形船、大きく弧を描くレインボーブリッジを見上げつつ、期待以上に旨い刺身に箸を伸ばしつつ、ウイスキーやら本酒やらビールやらを盛んに煽りつつ、偶然同じテーブルについた見知らぬ方とお話しつつ、舟は進んでいく。
わたしの座ったテーブルの反対側には3人の芸者衆がきちんと身支度し、ピシッと行儀よく正座をしたうえで、がぶがぶ酒を飲んでいる。このうちの一人が面識のあるK姐さんで、たしか鼓と太鼓、踊りが専門だ。時々記憶が飛ぶほどの量のお酒を召し上がり、本人気づかぬ内に転んだり階段を踏み外したりで、ひどい怪我を負うことがある。当院が彼女の自宅に近いところにあった時分には、半年に一辺くらいの割合で打撲の治療に来ていた。Kには子孫はいないからお婆ちゃんと呼ばれることはないが、この道四十と数年になるはずだ。隣の2人も彼女の先輩だから皆さん揃って豊島。にも拘らず流石に背筋はピシッと伸びており粋な座り姿だ。
この世にカラオケなる装置が誕生して、夜飲食する店に配備が整う前、芸者という職業はそれほど世間に珍しい職種ではなかった。座敷で宴会が掛かると検番と呼ばれた芸者専門の派遣事務所から芸者が派遣され小唄や三味線、太鼓に都都逸と芸能を披露して席を盛り上げるのが仕事である。熱海なんかだったら未だ数多くの芸者がいるらしいが、ここ静岡市では数がどんどん少なくなり、未だ現役で仕事ができるのは、いま目の前にいる3人くらいのもので、絶滅が危ぶまれる。
芸者が活躍できる宴席の場が限られるようになってきたから、その道一本ではなかなか食べていくのがむつかしい。プロとしてやっていくには楽器や唄のお稽古は必須だし、日本髪の手入れをはじめ、身仕舞いにも出費がかさむ。そこでK姐さんの場合は3年ほど前、裏通りに小さな店を借り、一見小料理屋に見える店をはじめた。
傑作なのは、彼女全くといっていいほど料理ができない。だから一見手作りに見える2,3品の酒肴はオール外注。最近ようやく包丁でトマトや胡瓜を切ることができるようになったと言っていた。あとは乾きものだけの品揃え。過去2度ほどお店に伺ったが、ビールサーバーが見えないのに「生ビールもあるよ」っていうので訝しく思って待っていたら、店の上にある別の店から“出前”が来たのにはたまげた。ボードに書いてある僅かな種類のつまみを選んでも「いま、品切れなの。干物がいいよ。干物にしなさい。」とか言われちゃう。
わたしの隣に掛けていた客などは「その魚、ひっくり返さないで食べて。反対側は焦がしちゃったから。」と言われていた。
店は居抜きのものをそのまま使っているから、背丈のちいさなK姐さんには一升瓶を並べてある棚に手が届かない(!)。客がそれらの焼酎を飲みたい場合はどうするか?
答え:注文した客が責任を持って“自分で”棚から壜を降ろします。
彼女は非力なので、酒瓶にたくさん入っていると重くて壜がうまく持ち上がらない。正確に杯に注ぐなど困難であるという。このような場合どうするか?
答え:注文した客が責任を持って“自分で”酒瓶から自分の杯に注ぎます。
そろそろ勘定、ということになると姐さんはカウンターの隅で筆算を始めるが、その時分には客が消費した分と同じくらいの量を飲んでいて、つまり客が帰る頃には姐さんもすっかり出来上がっている。何回足し算しても結果が違う。おまけに最近老眼が進んで近い字が見えないし、電卓にいたっては使い方も知らない。どうするか?
答え:帰ろうとする客が責任を持って“自分で”飲み代を計算します。
「あたしは昔はすんごくモテたんだから。」ま、確かにKには人を惹きつける不思議な魅力がある。でなきゃ怒るよね普通こんな店。
Kが初々しかった頃の座敷を見ていた当時働き盛りだった人たち。ヒラのサラリーマンだった人もそれなりに昇進してエラくなり、ある者は楽隠居となり、彼らが今でもKの顔を見に来ているのだ。彼女の元気な様子を肴に酒を飲む。勘定が6千円くらいなのに「それじゃー、これで。」と、一万円札を置いて帰っていく客も複数目撃した。かつての花代の支払いみたいな雰囲気のノリなのだろう。シロートに真似できることではない・・・。
話が脱線(この場合転覆?それは困るが・・)しているうち、屋形船のエンジン音が低くなり、錨がおろされた。他の屋形船も近隣の海域に停船している様子。場所が決まっているのだろう。遠くをみれば、おおあれはフジテレビのへんてこな建物、してみると此処は、お台場だ。
船内ではいよいよ芸の披露が始まったようだ。三味線と唄いにあわせてK姐さんが踊り始めたところで、本日も長くなりました。「屋形船でgo その三」に続きます。お楽しみに。
それでは皆さんまた明日。
前回の続きを書かずに、いきなり川遊び体験記になっちゃった。はっはは、そんなこともあるんです。
タイから帰ってきてから一月休診せずに仕事を続けたのだが、旧知の和食飲み屋で企画した隅田川の屋形船遊びにずっと前から誘われていて、出かけることになった。
舟遊びは出発が夕方の6時半だという。だが静岡市から出かけるわけだから出発は午前10時半!その和食飲み屋の客や女将の知人など総勢40人弱の物好きがバスに乗り込んで出発した。
わたしはこの日の朝も、仕事をしたため、出発時間ぎりぎりに乗車した。乗車口で昼食の弁当と、バターピーナッツやら柿の種やらの小袋を手渡される。地元なので乗客の何人かはみきまつにカルテ番号がある人だ。挨拶しながら席に着く。
バスが出発するのと同時にビールやらワインやら日本酒などが配られる。本も音楽も持ってこなかったので、バスから外を見るより他にやることもない。早速ピーナッツなどをぼりぼり食いつつビールを飲む。まだ朝11時だというのに。
高速道路の防音壁のむこうに雨に濡れた緑の山々が見え隠れして目に鮮やかだ。ほかにやることもないので二缶目のビールを飲む。飲み屋で企画したツアーだけあって酒類が不足することはないようだ。昼過ぎになると乗客の酔っ払い度も少しずつ上がってくる。周りの皆さん、会話のボリュームがだんだんと大きくなり、話に抑制が効かなくなってきているのがわかる。
渋滞がなかったので2時頃都内に入ることができた。時間が余ってしまったので一行は柴又やら浅草やらで時間をつぶす予定だ。わたしは柴又で一旦失礼して6時半に浅草橋で合流することにした。
予定の時刻になり、都内に住む友人と連れ立って浅草橋に出向く。橋から船着場を見下ろすが、なんだかこの辺り強烈に臭い。通行人も顔をしかめている。硫黄臭が漂う川面にはなかなか沢山のゴミが浮かんでいる。バンコックの街中で見かける真っ黒い運河の水ほどではないが、あれを汚染度評価10として、ここの水は臭いも色合いも評価6くらいであろうか。ここの水面に落ちることは避けたいものだ。
バスも到着し、最前別れたときより更にいい気持ちに出来上がってしまった様子の皆さんと一緒に屋形船に乗り込む。口々に臭い臭い言うが、今更どうしようもない。こんなところで天麩羅食うのかよ、とネガなノリになりそうだったが、屋形船の客席はガラスのサッシが周囲に張り巡らしてあり、幸いなことに入り口の扉を閉めたら臭いが遮断された。
畳敷きの舟は40人座ると満杯である。折りたたみ脚のテーブルが窓際に片方4卓づつ並べられていて、既に壜ビールと漬物、各自の箸と刺身の大皿が乗せられている。ひとつについて5人座るわけだが後ろのテーブルの人との距離は全くなく、ユナイテッド航空のエコノミー席とどっこいの狭さ。料理を作るひとや船頭などを合わせると50人以上乗っているこの船、今思えば救命胴衣なんてどこに設置してあったのかと思う。もちろん緊急時の非難に関する案内など皆無だった。どうせ乗船する前から酔っ払っているので説明したって無駄といえばそれまでだが・・・。
さて、いよいよエンジン音が高まり、舟が桟橋から動き出すな、というところで、「屋形船でgo その二」に続きます。はい、こんどはホント。
それでは皆さんまた明日。
初めて日本語を読むことが出来るようになったころ、たまたま「世界少年少女文学全集」が親戚から廻ってきた。その家の子が成長してもう読まなくなった?かなにかの理由で全100巻の大きな編成の中から誰かが適当に選んだ80巻ほどが私の手元に舞い込んだのである。
世界の児童文学ということなので、たしかに世界中からお話しが集められているのだが、巻末の目録をみると他の巻にどのような国のはなしを集めたものがあるかわかる。そこで判明したのだが、わたしの手元には近代の中国編、日本編と朝鮮編の全て、東南アジア編が無かった。それでも、子供にとっては一二週間では読みきれないほどの物量であったから本当に嬉しかったのを覚えている。
当時、わたしにとって読書ほど面白いものはなかった。テレビはあったが本に肩を並べるほどの刺激はなかった。本さえ読んでいれば一生楽しめるぞ!生まれてきてヨカッター!と思っていた。
あまり日の射さない部屋で照明も付けず、暇さえあれば本に向かっている子供。夏休みともなれば朝から晩まで読書三昧だ。ただし、机に向かって行儀良く読んでいたわけではない。成長期の体がストレッチを要求していたのか、寝転がって脚を組み片方の踵を椅子の座面に引っ掛けつつ胴体を捻りながら、などのアクロバット的姿勢を取りながらの読書である。それも、オヤツ(=お昼と夕食の間に食べる菓子類)の蜜柑や林檎などを食いながら、である。
親に見つかる度に、もっと紙面から目を離せ、物を食いながら本を読むな、とやかましく言われていた。「はい」と元気良く返事するが、親の目がなくなれば元通りの中国雑技団である。体が痛くなるまで本を読んだら、その後は近所の公園に行って暗くなるまで友達と遊んで過ごす。
そんなふうに齧り付いて読んだ「世界少年少女文学全集」は、本の綴じ代にダニが回ったためか、大切に取り扱わなかった報いなのか10年ほど経つうちにあちこちのページが抜け落ち、扉が剥がれ、ぼろぼろになっていった。
17歳の頃、両親が建てた新居に家族みんなで引っ越すドサクサにまぎれて、これらのくたびれ果てた本の大半を親が処分していたことが判明した。
「もう!馬鹿じゃねえか?本を捨てて良いわけないだろう。二度と手に入らないかもしれないじゃねえか。傍から見りゃクダラねえものでも本人にとっちゃスゲエ価値がある可能性っつうことにどうして想像がいかねえ?隠してあったエロ本ならともかくあれは児童文学だぞ!焚書(政治的などの意図があって本を焼却処分とすること)ってえならまだ理由として納得できるけど、散らかっているからって理由で捨てちゃうなんてどうかしてる!」(口述ママ。不適切な表現含む。)
「大事にしていなかったくせに捨てたからと言っていまさら怒るのはおかしい」、というのが母の言い分。息子がサンザン部屋中に散らかしたままの本を掃除の度に書庫にしまっていた母の、それなりに説得力がありそうな言辞である。
だが始終愛読し続けたからこそぼろぼろになったわけだ。当時徐々に始まっていた「言葉狩り」や「弱者への気遣い」とやらで昔ながらの児童文学を手に入れることが難しくなっていたため、失望と怒りで頭に血が上ったというわけ。実際その後古書店で探しても、一度も目にすることがないのである。新書では翻訳者が違っており、そうすると物語のフンイキがまるで違う。現代社会にとって都合の悪い表現は言い換えられているのはもちろん、出版物として取りあげられることのない沢山の話の数々を再び目にする機会はなくなってしまった。
本と過ごす夏:その2 に続く。
五月はタイに出かけたのみならず、本業も多忙を極めたうえに、タイマッサージのサイトを準備に忙殺されて日記の更新がいっぺんもできませんでした。と言い訳して、それではみなさんまた明日。
最終回としてこの「ホームステイ型リゾート」の現在の姿を報告せねばならない。結果から言うと、駄目なことになっていた。わたしが紹介したこの村が気に入ったと、3回も訪れたというN氏に聞いたところでは、本年2月この村を訪れた日は、偶然にも村に初のカラオケマシーンが設置された当日で、村長サンはそのテストで自慢の喉を披露していたという。蛍のほうはN氏がここを訪れる度に徐々に姿が見えなくなり、今回の訪問ではせっかく夜中にボートを出しても、蛍は見えず、かわりにあちこち蚊に食われるだけで風情も何もあったものじゃなかったそうだ。
蛍は環境汚染に弱い。わたしが最初にこの村を訪れた時も運河のあちこちがドブ臭くなっており、浄化槽を経由して生活廃水を処分することなど、まったく頭に思い浮かばない愚かな村民の所業が積み重なってあわれな虫共は減少の一途を辿ったようである。蛍がなくなった、観光資源がなくなった、次はカラオケだ、っていうタワット村長のお考えらしい。マイクを嬉しげに握りしめた村長の写真もN氏にみせてもらった。「招待所」の隅の売店内に置かれたカラオケマシーン。マシーンの周りには色の付いた蛍光灯が扇形に並べられ、ケバイ光を放っている。
自然環境を売り物にする滞在型リゾート構想は、なんか勘違いした方向に進んでいるようである。わたしはもう、ここには行かないな・・・。
さて、観光地嫌いのわたしも、タイに来る度にあちこちのリゾートに一応は出かけてはみた。どこもそれなりに気持ちが良い土地ではあるのだが、やっぱりひとが集まれば水も汚れるし、空気も臭くなるものだ。観光による外貨収入が経済におおきな比重をしめるタイが、資源保護に努めるのは当然と思う。が、なにごとにも周知徹底を欠くキライがある南国だ。みなさん浄化槽無しで生活廃水を観光地の海に流すは、列車の窓からポンポンごみを捨てるはで、どういう教育受けたらこんなことできるのか?
さてビロウな話で恐縮だが、環境問題に軽く関連がある話をひとつ。タイのトイレの使用法についてずっと気になっていることがある。経済大国などと偉そうに言っても日本のトイレの殆どが汲み取り式からおさらばして水洗化されたのは最近のこと。比べるわけじゃないがタイのトイレは昔から水洗だ。ちょっと前は水槽に常に水を張り続け、そこから手桶で水を汲んではお尻を指で洗うのがタイスタイルだった。現在では強力なシャワーのノズルが便器の横に付属しており、これをお尻にあてて指を使って洗浄する。これ、結構気持ちよいものだ。後で指の衛生が気になる人は指も手桶で入念に洗えばよろしい。
さて、濡れたお尻はどうするか?
基本は放っておけば乾くから問題ないのだが、トイレットペーパーが置いてある場合は濡れた尻をこれで拭く。だから紙は濡れはするが、汚物が付くことはないシクミだ。つかったトイレットペーパーは籠にいれるようになっていて、あとでまとめて燃やして処分する。つまり、用便のあとで直接紙でお尻を拭く習慣が無いし、使った紙を便器に捨てることもしない習慣だ。
外国から来た人間は最初このスタイルに戸惑う。観光地のトイレには「使った紙はこのバスケットに入れてください」と書いてある。なぜか英語表記のみだが。で、知らない人はたぶん桶の中の水の使用法が想像できないから、紙で直接ブツを拭いてしまう。で、拭いちゃって茶色に色づいた紙を持って張り紙を見る。「そうか、この籠にいれるのか・・・でも、次の人がこのトイレを使うとき臭くてヤバくない?」
タイ人にとっては説明の必要は無い自然な習慣も、海外からやってきた人たちには教えなければならない、っていうこと、殆どのタイ人がわかってないようだ。旅行ガイドなどにはタイ人の子供の頭を撫でることは禁忌だとか書いてあるが、それと同じようにトイレの使い方を説明したらどうかと思う。それに、一緒に流してしまえば紙が分解するのに時間が掛かっちゃうでしょう?
で、最終回となったプライポンパン村滞在記だから書くが、5年前わたしがここを訪れた際に、トイレに数ヶ国語で使用説明書を書くように、とタワット村長に強く勧めておいたが、N氏に聞くと、わたしのアイデアはまったく生かされなかったようで、現にN氏自身がトイレの使い方を知らず、紙でお尻を拭いて流してしまっていることが判明した。もう10回以上タイに旅行しているのに!
それでは皆さん、良い連休をお楽しみください。わたしは仕事ですが・・・
この、暑い暑いタイ内陸部の田舎で、午後の最も暑い時間帯に、庭に生い茂った樹木を見ながら「今日もやることがない」という状況にあるというのは慣れるとけっこう快適だった。
昼間もそうだが、夜もやる事が無い。蚊帳を吊ってもらい、ソム・オー(ダイダイに似た柑橘類。さっぱりした味だ。)やスイカを食い、ビールを飲んで本を読むだけ。椰子の森では虫が盛大に鳴いている。ヒマだから、水辺の樹木に群れる無数の蛍を見にボートで夜の水路を巡るツアーに参加してみた。
周りに光源がないから、曇った日の夜は本当に真っ暗だ。濁った水面から背の高い葦のような草が水路の両側に生い茂り、ボートの船首に取り付けたライトに丸く浮かび上がる。
迷路の中を進む気分。昼間通ったルートとちょっと違う水路に入り、蛍が群れる地区に向かう。村に水路が張り巡らされている、というか元からあったこのような地形を利用して人が住み着いたということだろう。
蛍が光るのは生殖の相手探しのためである。産卵するのに都合の良い水辺の特定の種類の木の枝に停まって群れが一斉に揃って光を点滅させる。そんな蛍の集まる木(船頭が教えてくれたが名前は失念した)のそばではボートのエンジンをアイドリングに保ち、船首のライトを消して進む。すると、目が徐々に慣れてきたのか、曇りの夜空であるにも拘らず運河の周りの様子がぼんやりと窺えるようになってきた。椰子やバナナの樹の輪郭が見える。
船頭が指差す方向を見ると、おお確かに、問題の樹木周囲一帯に周期的に点滅する光の粒が散らばっているのが見えました!数万匹(適当に推定)の蛍の光です皆さん!・・・
といったってこれ、周囲が真っ暗であって初めて認識できるのだ。所詮は自然界の虫が出す繊細な光なんだから、何十万匹あつまろうが、けっして本が読めるなどというレヴェルじゃない。街灯など周囲に設置された日には全く見えなくなってしまうだろう。
きれいな水辺にしか住まないという蛍はプライポンパン村ののどかな環境の象徴でもある。「遅れた地域」というハンデを逆手に取ったどんでん返しの作戦「ホームステイ型リゾート」の行く末を、弱々しくも健気に照らす虫共の群舞でした。
なんか、この話長い・・・。あとからどんどん湧いてきた話は(4)に先送り。もうちょっとで終わりますからね。今回副題がついたのは話のオチの伏線ということで。それではみなさんまた明日。
われわれの小船はメリハリ無く博物館の桟橋に接岸した。
「博物館」は水辺の物置小屋を利用したと思しき質素なもので、昔の農機具や水路で使われた舟などがごちゃごちゃと展示され、品々の前にはタイ語と英語の説明が書かれたカードが置かれている。ここでも口頭での説明は100%現地語だから、語学の耳トレーニングには最適だが、ガイドなしでの観光は言葉の壁がありそうだ。薄暗い「博物館」で暫く過ごした後、次の目的地に向かう。
水路の幅は広いところでは30mくらいある。行く手の頭上に掛かっている道路の橋を見上げながら潜り抜けて水路を進む。奇妙な感覚だ。わたしの頭の中では「河川」という単語は道に掛かった橋の上から見下ろすものときまっているからだ。他の舟とすれ違いざまに、船頭が舟の主と言葉を交わしている。村の人の移動手段は道路と水路が半々くらいだという。
バナナの花から出る蜜で作る製糖工場の桟橋に到着した。扉の無い掘っ立て小屋の中に設えた土の釜。直径1mくらいの中華なべをこの釜の穴に嵌め、蜜を煮詰めていく。傍で見ているだけで、暑い。
蜜の匂いに引かれてミツバチが飛んで来ては湯気にあたって鍋の中に次々と墜落する。蜜をかき混ぜるための長い柄のスプーンで連中の死体をこまめに取り除くが全ては取りきれていないようだ。この手の製品に時々ハチの部品が混じっているのはこうゆう訳だったのだ。鍋を混ぜているオッサンは「ハチの脚も料理の隠し味」みたいなことを平然と説明している。なかなか大雑把な品質管理で、感心する。
小屋の土間では叔母ちゃんたちが鉈で椰子の殻をぶち割り、果肉を削いでバケツに放り込んでいる。鉈を借りて椰子の実を割ってみるが、結構難しいものだ。
そろそろ飽きてきた。椰子農園を歩き回る。黒くて痩せた農夫が腰に大きな鉈を下げ、高さ10mくらいもある椰子の幹をサルのように登っていき、天辺に着くと、椰子の実の付け根を叩き切る。バスケットボール大のずっしりとした椰子の実が地面に落ちた勢いで出鱈目な方向に1m近くも跳ねあがる。こんなふうにして落とした実を後で拾い集めるというシクミだ。たまに農夫が椰子から落ちて大怪我するらしい。椰子の実が地面に落ちる音が鈍く響く農園を後にし、徒歩で社長の会社に向かう。
道中、社長がバナナの木にするすると登り、花を採ってきて、蜜を味見させてくれた。仄かな香りがあってンマイ。椰子農園をでると直射日光が肌にキビシイ。精糖工場の社長の会社に徒歩で案内してもらう。最前の工場で出来上がった砂糖を輸出するためのタグを誇らしげに見せてくれた。
社長の会社は雑貨店を兼ねている。その隣に簡単な料理を出すシンプルなトタン葺きのレストランがあった。もう昼近くだからこのレストランで休憩だ。
タイでは日が高くなってくる昼に戸外で仕事をする人は少ない。別に怠け者というわけではないんだよ。日本の働き者達は信じられないだろうが、この辺で晴天の昼から3時頃まで屋外に出てみれば自分の寿命がみるみる縮まっていくのがわかるだろう。
熱帯の日差しに晒された田舎の風景をなんとなく眺めつつ麺を食べ、ビールを飲む。長い昼休みをだらだら過ごした後は社長が自ら運転するヤマハ製のモペットに3人乗りして「招待所」に送り届けてもらった。
なんか、中学生が宿題で書いた修学旅行の作文みたいになってきた・・・。だらだらと思い出が続くので(3)にエクステ。それではみなさんまた明日。
バンコックの西100km程のところにプライポンパンという村がある。タイの経済がそこそこ発展し、村の人間もクルマを購入し、皆が携帯電話を持つようになったというのに、その村の周囲は昔ながらのタイ中央部の面影をとどめており、縦横に張り巡らされた水路に小船がぽつりぽつりと行き交う平和な水辺の暮らしが続いていた。
椰子やバナナの栽培以外に特筆するべき産業もない貧しい田舎。良くも悪くも都市化が進むバンコックからそんなに遠い所でもないのに生活スタイルは100年前とそう変わらない。誰かが10年くらい前、遅れた地域だからこそ出来る観光産業として村でのホームステイをやってみてはどうか?と思いついた。
急速に発展しているバンコックの若い連中は昔の田舎暮らしなど全く経験無いし、年配の方々は懐かしさがあるだろう。ましてや先進国から来る観光客には興味深い滞在になるのでは?という狙いは当たり、数年前には日本でもテレビで紹介されるまでに至った。
番組に触発されてわたしがこの村に滞在したのは、5年前のこと。当時を思い出しつつこの村をちょっと紹介してみたい。
プライポンパン村に到着するまでの道中は、ま、色々あったがここでは省略。
村に着くと水路の小さなアーチ橋を渡って「招待所」みたいなスペースに通される。「招待所」の庭の向こうにチーク材を使った木造高床式の家屋が見える。ここが村長のタワット氏の住まいで、ホームステイ先にもなるとのことだ。ここは綺麗に整備された小ぶりの庭園の真ん中にあり、粗末なテーブルがいくつか並べてある。とりあえず椅子に掛けて、これはタイの習慣で冷たい水を一杯出してもらう。朝の太陽を周囲の樹木が遮ってくれる。鳥の鳴く声が森(というかジャングルなのか?)の方から聞こえる。農作業に出て行く村の若い衆が水路に掛かるアーチ橋を行き来する。
この「招待所」に着いて30分くらい、ずっと奇妙な雰囲気を感じていたが、その理由に突然気付く。人々が前の前で活動しているのに、大工も調理の準備も手作業のみ。森から聞こえてくるチェーンソーの音以外、機械の作動音が聞こえないのだ。「招待所」の庭で自由に遊び戯れているニワトリたちの美しい羽の色が目に鮮やかである。
静かだ。客はわれわれ2人だけのようで、遙か日本のテレビで紹介されていたわりに、これで観光産業として成り立つのか?と訝しまれる。その辺の叔母さんに尋ねると、今日は平日だからこんなもの、週末はけっこう混み合う、ということであった。
特にやる事もないので、「招待所」のある庭に隣接する村長の家の階段を上がり、テラスに荷物をほどく。電気を使う照明が全く無い村長の家の壁には、ここ数年にこの村を訪れた有名人(軍人や王族)との記念写真が額に入れられ沢山掛かっている。村長の奥さんが写真の説明をしてくれるが100%タイ語なので、わたしの理解は推定30%にとどまる。
さて、特にやる事もないので、水路をボートで巡り途中で村の「博物館」に立ち寄るという、とりとめの無いツアーに参加してみた。
幅4mほどの狭い水路にある船着場で小船に「降りる」。タイ語では舟に乗る時には現地語で「降りる」という意味の言葉を使うから奇妙に感じていたが、なるほどこれは確かに「乗る」じゃなくて「降りる」という感覚だろう。下船する場合は「船から上がる」と表現する。昔は運河や川沿いの家々にはどこでも船着場があった歴史を物語る表現だ。
船着場の付近にジャングルから出る湧き水があるらしくて、水は澄んで川底の植物が見える。村中に張り巡らされた広い水路に出ると、水路の幅は水はデルタ地帯特有の赤土を含んだ泥水に代わる。場所によっては背の高い葦に遮られて全く見通しがきかない。
ここでは道路の他、水路に面した家屋が多い。そういう家のボートからはそんな家屋の船着場、兼洗濯場、兼居間などが丸見えである。地区によってはタイの古い様式を踏襲した立派なつくりの家屋もあって、船頭が、あれは俳優の別荘だとか、こちらは某政治家の親類の家だとか説明してくれるが、100%タイ語なので詳細は不明である。しかし適当に相槌を打っておく。相手に悪いから。
川面の船は涼しげであるが、やっぱりタイの日差しが強力で、顔や腕が痛くなる。
われわれの小船はメリハリ無く博物館の桟橋に接岸した。
長くなったんで、以下は(2)で。それではみなさんまた明日。
どの患者さんにも負傷の経緯を詳しく伺うのだが、負傷の原因に全く覚えが無い方も多い。右小指の付け根から手首の痺れ感と前腕外側肘付近の痛みを訴えて来院されたS氏も、昨日の朝起きてから続いている痛みだ、という以外には負傷の原因に思い当たらないという。
症状そのものは3日後に快癒したので、それはめでたいのだが、わたしは、S氏が右向きになって就寝中、腕枕をしていたのが原因ではないかと考えている。そうであれば末梢神経の圧迫と筋肉の痛みの説明がつくし、記憶がないのは寝ている間なら当然だろう。
さて、瑞々しく皺の少ない顔に薄化粧、保険証の年齢がウソじゃないかと疑うようなコンディションを保ち続けている活発なM女史。70の大台に乗った今でも、週に3度はスポーツクラブのプールでトレーニングを続けている。
そんな彼女が昨年から自宅の部屋で度々足の小指を家具にぶつけて怪我をするようになり、年末にはとうとう小指の骨折を経験した。彼女の場合、負傷した経緯ははっきりわかっている。なぜ小指ばかり怪我をするようになったかがわからなかった。
年齢相応に粗忽度が上がったというわけでもなかろうと、つらつら考えるうち今日になって答えに行き当たったという。どうやら昨年夏頃から履き始めた5本指の靴下が原因であるらしい。自分の家で歩き回る際に足の先を気に留めている人は少ないから、足先の幅が5本指の靴下によって広がっているのを意識しないで動き回るうち、小指ばかりをぶつけ易くなったのだろうというのだ。
そこで、友人がしているのを見て5本指の靴下の上から薄い靴下を二重履きするという対策を実行しているという。
彼女の推測は多分あたっている。でも、普通はそこに気がつくなら歩く時に注意するようになるんじゃないですか? それに靴下を二重履きしたって足先の幅は変わらないじゃん?とツッコミ入れるのは止めておいた。
実はわたしも足の小指には悲惨なぶつけ方をすることが多いのだ。しかも5本指の靴下なんか履いていないのに!
箪笥の過度にぶつけた足を両手で持ち、片脚立ちでピョンピョン跳ねながら「あぐう・・あぐあぐ・・痛でえよお・・・」と呻くありさまは昔見たトムとジェリーのテレビ映画とそっくりだ。
度重なる衝突の結果、小指の爪は何処からどういうふうに生えているのか定かでないほど変形している。人のことは言えない・・・よね。
タイで地元のコメディー番組を見ていると、コメディアンがショーをやっている舞台の奥にドラムセットが置いてあり、コントのオチの部分ではスネアやバスドラをパシン、ドドン、と叩いて笑うべきタイミングを視聴者に「教えてくれ」る。観客がウケてる声も音声にしっかりフューチャーされててちょっとウルサイ。コントの意味がわかるほどタイ語の能力高くないわたしは、ああ、ナンだかなー・・・という脱力感でボーっと眺めているだけだが、周りのタイ人は結構ウケてへらへら笑っている。
そういやあ日本にも昔、シャボン玉ホリデーという番組があって、この頃の演出では効果音を使って笑うタイミングを「教えてくれ」たものだ。
オチのところでは谷啓(タニ ケイ)がトランペットに被せたミュートをパコパコ操作しながら、『わーわーわーわんわぁぁぁ・・・』って。メロディーはドシラソファと下がってくるんだけど、憶えています?年配の方。
懐かしくも恥ずかしい思い出だが、良く考えたら今もやっているよ日本でコレ・・・。
(ここからは現代の日本での話。ま、アメリカでも韓国でも似たようなものだろ。ウラ採ってませんが。)
バラエティー番組では画面に映らないスタッフのワザとらしい笑い声がお約束だ。ミキシングルームで音声に被せているので確信犯なわけだが、ヤな感じだ。
わたしの想像では、スタッフ間に約束事があり、MCとかゲストがちょっとシャレたことを言ったら、速攻空気読んで笑い声を出さなきゃならないことになっているのだ。番組製作スタッフが視聴者を舐めきってる様子が察せられる。
番組制作者:『いいですか?ウケるポイントがあったら俺たちが笑い声を上げて教えます。視聴者の方もご一緒に楽しくお時間を過ごしてまいりましょう。』
わたし:『別に笑うとこ、教えてくれなくてイイから。』『ぷ』(リモコン操作音)
さて、バラエティー番組の画面隅にサブ画面みたいな小さい窓を出して、スタジオの机やひな壇に並べた出演者達の顔を次々に映し出すという独特の制作(演出?)法もあるけど、コイツもたいへん煩わしい。
話題が興味を引くものだったり場合は、サブ画面のタレント達の顔を見ないで本題に集中しようとするが、ついついサブ画面に目が向かっちゃう。
番組制作者:『この話題を振られて誰ソレはこんな表情してますよ。このタレントがこの話題でどう反応するか?その表情を合わせてお楽しみください。』
わたし:『ああ、この話題、もっとちゃんと見たいよ。タレントの反応なんかどうでもイイからさ。え?もう終わりなの?』
製作者の本心:『内容がスカスカで時間がもたないのよ。でも、タレントを並べておけば“賑やかし”になるし、イイフンイキを演出できんるんすよ。』
わたし:『ぷ』(リモコン操作音)
今夜も不快にならない番組を探してチャンネルを廻すが、貧乏人向けのアナログ放送ではどの局もスカ。
・・・「ご存知ですか?アナログ放送は終了しデジタル放送が始まります」・・・って誰が頼んだよそんなこと。また金がかかるじゃん?大事なのは中身だろ?もっとマシな番組作れ。
地上デジタル放送のコマーシャルを聞き流しつつ、そう思うわたしである。
それでは皆さんまた明日。
※注:2008年からみきまつのトイレ入り口には大型テレビが導入され、discoveryとhistoryとnational-geographicのCS3局を交互に点けっぱなし状態。間抜けな「窓」も出てこないし、内容は豊かで、まずまず満足している。
N女史の仕事は女優業。主に地方の劇団で活動し、毎週末の公演本番と次回の公演の練習に追われながら、俳優のトレーニングスクールの月謝と生活資金を稼ぐためのバイトで超多忙。正しく分単位の過密スケジュールが繰り返される毎日だ。食事をゆっくり味わっているヒマが無くて、台本を読みながらの早食いになってしまう。
肌の大敵消化器炎症の引き金であり、女優業に差し支える肥満への近道とも言われる早食いのクセ。
そこで、食事時に咀嚼の回数を数えてみる事にした。で、確かに自分の噛む回数が少ないとの気付きはあったが、数えながら噛んでいるうちに、これって効率よく餌を摂取しているだけ?みたいに感じてしまい、腹は減っているのだが食事が不味いという面白くない状態となったそうだ。
そこで採用した次なる方法は、「寸止め食事法」。
箸でつまんだ食べ物の塊を口に入れる際に、一瞬だけストップモーション掛けながら食べると言うものだ。この方法がなかなか良くて、咀嚼回数を数えるという殺伐とした食事法よりはエレガントな振る舞いの練習にもなると言う一石二鳥の効果もあるのだという。
わたしも早速練習してみた。食事の量が減少するかはともかく、食事マナーとしては、動物君のようにばくばく喰らうよりは確実にエレガントである。コツは、「口を閉じて」寸止めにすることだ。喰いモノが入ってくるのを口を開けて待っちゃっている状態では単にストップモーションの演技であり、「変な人」に分類されてしまうのは確実だから注意。
早食いの人をみていると3回くらい噛んで直に飲み込んでいる奴までいる。そんな人はこの寸止め食事法で落ち着いて食事をするマナーを学ぶと良いって自分に言っています。ところで、いつかテレビで、毎日三度の食事をそれぞれ3時間ずつ、合計9時間だか掛けて咀嚼するというお年寄りが紹介されていた。このおばあちゃんの健康法だとコメントがあったが、これも極端だね。食事中の人はごめんなさい。
それでは皆さんまた明日。
雨模様だったのでバスで出勤した。わたしが住んでいる地域の路線バス、たぶん運行計画そのものに問題があって、雨天のラッシュ時には必ず遅れが出る。20分遅れは当たり前だ。それでもわたしが乗る停留所は始発から3つ目だから、バスが来たけれど座ることができない、という心配は無い。
乗客を拾いながらバスが次々に停留所を進むうち空いている座席が徐々に少なくなり、そのあと立ち席(?)にも人がいっぱいになって、これ以上車内が混んでくると皆の身動きが不自由になるな、くらいのところでちょうど街の中心部に到着する。乗客の多くは勤め人だから、この辺で徐々に降りていくわけだ。そんなふうにして、この時間帯のバスは需要と供給が微妙なバランスを保っている。
ところが今日は特別だった。わたしが乗ったところから3つ目の停留所で、いつに無く大勢の乗客が乗り込んでくる。それもほとんどが制服を着た中学生。かれらの荷物は手に持った傘だけ。一斉に乗り込んだ中学生達は、その年代相応に元気良く弾むような様子で賑やかこの上ない。なにか学校での活動でもあるのだろうか?
その次の4つ目のバス停にはもっと多くの待ち客がいるのが窓越しにみえた。やはりほとんどが中学生で、その中に通勤客が埋もれている。待ち客たちはステップに足を掛けたものの、既に通常の通勤客と中学生たちがたくさん乗っているから乗り込むのに時間が掛かる。数人の乗客が乗り切れずにバス停に残されたまま出発した。あーあ、可哀相に。次のバスがまた遅いんだよな雨の日って。
5つ目のバス停で、またも中学生の大群が、こんどは二列になって長蛇の列を成していた!
運転手が「ほらね、もういっぱいなんですよ、もう乗れませんでしょう?」と言う替わりに、一応バス停の前で停車して入り口の自動扉を開けてみせる。この辺で降りる客はいないから文字通り鮨詰め状態になっていて、確かにもはや乗り込むことは不可能である。バス停に取り残された同級生に向かって手を振って呼びかけ笑いあう元気の良い中学生たち。制服の胸に同じ校章のバッジをつけている。
この異様な事態。7つ目のバス停にまたまた残された中学生の大群をみたとき、「って、これなに?」思わず隣に掛けていた中学生に尋ねた。
なんでも街の中央にある文化会館のホールで市内の複数の中学が一緒に行う催しがあるという。
「先生にバスで行くよう言われたんですよ。」続けて、通勤時間帯に大勢の中学生が公共のバスで移動するように指示した事を指して、
「でもコレ、学校(の指示)が悪いですよね。」とも言った。
そう、全く君の言う通りだ、と頷く。
6つ目、7つ目のバス停でも同様の展開が繰り返された。中学生の大群に埋もれた通勤客の諦めきった表情が哀れである。今日は遅刻だね・・・。
いつも遅れているとはいえ、その分早い便を使えば何とか役に立っていたバス。本日、予期せぬ中学生の大群により攻撃された上で占拠され、既に乗り込んだ客を別とすれば公共交通機関としての役割を果たせぬまま、駅前に到着した。
それにしてもこの中学の教員達は素晴らしい頭脳集団だな。大量の予期せぬ需要が巻き起こす事態を中学生たちに教えようとしているに違いない。どのようにしたら社会のシステムが機能を失ってしまうのかという授業をしているのだろう。大変結構なことだ。感心した。
バスに乗りそこなった皆さんは、ハイ、ご愁傷様でした。
それでは皆さんまた明日。
田舎の短い電車ではありえない?都市部で朝夕のラッシュ時に設けられている女性専用車。首都圏在住で電車通勤している女性の友人によると、専用車を利用して感じるのは「女性の体は柔らかい」というのと「ほんわかといい匂いがする」というものだという。
その居心地の良さげな女性専用車は、長い車列の両端に設けられている。乗り継ぎの駅で階段の位置と合わない場合は不便だから、一般車両にも乗ることがある。そうするとシミジミ、①「女に比べて男の体は硬い」②「おっさんも若い衆もクサい」と感じるのだという。
①体の柔らかさがこれほどまで違うとは今まで気付かなかったそうである。満員電車一杯が全部皮下脂肪を纏った物体で埋っているんだから、よけいにプニプニにしてわかり易いだろう。日本女性は通勤時も皆さんオシャレだから、良い匂いがするというのも尤もだ。ほわ~んプニプニで満員でも快適、痴漢への用心も要らないから、まことに結構だ。
さて、友人によると最近、片手でつり革を持ち、もう一方の手を顔の前に挙げて携帯を操作したり、鞄を胸で抱えたりして、とにかく両手を皆に見せるようにしている男性乗客が増えたという。有らぬ疑いを避けようと心掛けているらしい。ただでさえ混んで大変なのにこのようなお気遣い、まことにごくろうさまです。
②第二の「臭い」ってのは気になりますね。男性ホルモンの影響下で盛んに分泌する皮脂が女性より多いのは仕方がないし、それが「男クサい」なら責任取りようがない。でも中高年男性への差別用語になりそうな気配が急上昇中の「加齢臭」の方なら対処できそうだ。
「加齢臭」は皮脂の成分が変わり、若い頃より酸化が早まることが原因だとか。中高年男性は出勤前の入浴は欠かせない、と思う。
話が少し逸れるが先日ある若い女性と話していて「加齢臭」に話題が振れたとき、どうも相手が「カレーを食べた後の臭い」と思っていることが判明した。わたしはその日、近所のカレー屋で昼食をとっていたので、ちょっと困惑した。
件の情報をくれた友人の、やはり通勤ラッシュがらみの報告。
いまどき公共交通機関で喫煙できるのは新幹線の喫煙車くらいのもの。だから通勤電車の中でガマンの限界を迎えたニコチン中毒の皆さんが地下鉄の某駅から吐き出されてくると、間髪を置かずに路上での喫煙が始まるのだそうだ。最近は携帯灰皿が普及しているし、ラッシュ時に煙草の吸殻を歩道に投げ捨てれば冷たい視線を浴びることは間違いないから、喫煙者は路上の何処に灰皿が置いてあるのか熟知しているのだという。そんな灰皿周囲の一帯はニコチンジャンキーの溜まり場と化し、もの凄い臭いになるそうだ。
せっかく優雅で濃厚な雰囲気で始まった日記が最後はクサイ話題となり恐縮だ。次回は爽やかな話題を書きます多分。
それでは皆さんまた明日。
ごく最近まで普通に用いられていた単語や表現が、差別用語或いは不適切な表現であるとして報道に使われなくなり、出版物上でも必ず注釈付きで印刷されるようになった。
その言葉狩りが始まったのは1980年頃だったろうか。陰気な魔女裁判に掛けられたのは、障害者や困窮層を表現する言葉や、個人や社会、国際関係や階層間で用いられる表現であった。わたし以上の世代が誰でも知っているそれらの言葉を徹底的に排除しようとしたその結果は?というと、これが効果絶大。今の中学生や高校生はDVDで「座頭市」を見たって「めくらのあんま」って台詞は全く理解できないことだろう。これってちょっと、スゴい事だ。
例えば・・・
いたずら坊主(=いたずら好きの子供のこと。坊主や小僧は聖職者を見下している表現だという・・・)
土人(=原住民の意。文化的に遅れている地域の人々を見下している雰囲気があるという・・・)
後進国(=発展途上国と言い換えている。同上。)
くろんぼ大会(=日焼けの程度を競う。海岸などでは定番のイベントだった。オゾンホールや皮膚癌などの知識が公になってから衰退。かつて日焼けは子供が夏休み中に元気に戸外で遊んだバロメーターだった。しかし、「黒ん坊」がniggerのことだからニグロイドに対する蔑視にあたるのだ・・・)
お試しあれ。この類の言葉はIMEを使って試みても変換不能。括弧内の表現ならもちろん一発変換だ。
言葉をどのように使うのか、解釈する側の心の在りように帰する問題だということは誰でも分かっていた。
だけど、当時は「同○問題を飯の種にしているヤ○ザ者にデカイ声で恫喝されたらメンドウだから」と、道理を無視して行動する連中には逆らわないほうがトクだという諦めにも似た空気が蔓延しており、エレガントな議論は到底通用しない雰囲気だった。
そんなわけで上に挙げたような言葉の数々がウンもスンも無く駆逐されちゃった。お陰で映画やレコード、テレビ番組や古典落語の数々までもが、「お里に出せない物件」の烙印を押されたままお蔵に封印されることになった。
抹殺は徹底的に行われた。それでも、生放送のテレビ番組の中で誰かが絶滅語を思わず使ってしまい、「只今の番組中、不適切な表現がありました。関係者各位にお詫びいたします。」というテロップが流れたりアナウンサーが「お詫び」をしてみせる場面が昔はちょくちょくあって、言ってみればそれが「絶滅語」達の断末魔の叫びだったわけだ。
ま、若い連中はハナから全く知らない言葉だろうから関心もないだろうけど、ハナから全く知らないという事実そのものが言葉狩りの怖ろしいところだ。もっと言えば教育のあり方次第で世間の常識なんて簡単にひっくり返るのだという証明でもある。第二次世界大戦の前後に青春時代を過ごした人は覚えがあるでしょう?
えーっと、この話題掘り下げればきっと面白いんだけれど、このまま行くと幾分ヤバイ展開になりそうだし、長くなったから今日はこれまでっ。
それでは皆さんまた明日。
日本人がタイに入国する場合、2週間以内の観光旅行であれば査証(VISA)は必要ない。でもタイ人が来日する場合はイチイチ大使館に出向いて査証を発給して貰わねばならない。外国人が自国で無許可労働に従事するのを防止する目的があるためで、当該国と相手国との経済格差が著しい場合は特に厳しい運用となっている。
彼らの来日にあたって日本側でわたしが準備しタイに送った書類は、招聘理由書と行動予定書の二種類だった。『招聘』(しょうへい=お招きすること)させていただく4人のタイ人女性は、もちろん不正な労働に従事する目的で来日するわけではない。そのうちの2人は大学教授ですぜ。あーだこーだ言わずにさっさと査証を発給せんかい!と言いたいのをグッと我慢して粛々と書類を準備せねば日本に入国することはかなわない。
タイ側で揃えなければならない書類は、預金残高証明書と給与明細、パスポートとチケットの予約確認表、国民登録証(タイの国民全員が所持を義務付けられている。これが無いと国内線の飛行機にも搭乗できない。)などである。
そんなメンドクサイ手続きを経ての海外旅行であるから、現在の日本人が気軽に出かけるそれとは趣が違うのは当然だ。日本での生活コストは自国よりうんと高いし。今回の旅行で見せた彼らの旺盛な行動力の源は、「この貴重な機会に満喫せねば」というもったいない精神と「不思議の国の冒険」に傾ける強い意欲なのだと思う。
もうひとつ、彼らの長距離旅行を影で支えてくれたのはjapan rail passの存在だった。外国から「短期滞在」の入国資格により、観光目的で日本を訪れる外国人旅行者のために料金面と手続き面の両方で便宜をはかるという、改札口の通行手形だ。彼らは関空のJR窓口で購入したらしい。比較的安価で購入できるこのパスを改札で提示するだけでJR6社すべての乗り物に乗ることができる。指定席料金を払いさえすれば指定席の使用も可能だ。
この通行手形を駆使して、7日間の間に、関空⇒広島⇒姫路⇒大阪⇒京都⇒奈良⇒大阪⇒静岡⇒東京⇒静岡⇒東京、とビジネスマン並みの移動をやってのけたわけだ。
さて、彼らの静岡市内での移動にあたり、定員違反で大活躍した、みきまつ4号。去年の秋知り合いから購入したsuz○ki製の四駆の軽トラである。「高速道路が走れる耕運機」といえば判りやすい、とても雰囲気の良いクルマだ。
布団3組と客人3人分の巨大なバックパックや鞄などの荷物を東京まで高速を使って運ぶなど、意外な実用性も備えている。大荒れの休日、天井の幌に雨粒がバラバラとあたる音を聞きながら運転していると、車輪のついたテントを運転しているような錯覚に陥るが、そこがまた良い。
“それなりの状態”で譲ってもらったクルマだから、エンジン整備や電装品の修理はもちろん、車輪やタイヤ、照明、バネや衝撃緩衝装置の交換などを繰り返して現在の姿になった。昔読んだ漫画の主人公に因んで『どろろ号』とも呼ばれる。みきまつ4号、残り少ない近隣の林道で遊ぶにはもって来いなんだが、時間が無いのだ。
へへ。最後、クルマの月刊誌みたいな記事で失礼すますた。そりではみなさん、またあすた。
元旦の早朝、暗いうちに電車で成田空港に向かう。出発ロビーでは成田市が一斗樽を三つも用意して鏡開きをしており、檜の枡酒で御屠蘇のサービスをやっていた。大小の誤算が連続する中で、少ないラッキーなハプニング。
先発の友人がレントゲン検査のゲートをくぐるのを見届けてから、残りの2人を連れて秋葉原へ向かい、お土産の時計を買うのに付き合った。
ホントにまた往復すんの?と問うてみるが彼らは本気だった。これで都内でのゆっくりしたお正月プランも変更となった。ふ~。
翌二日のお昼前に再び東京駅に着いたタイ人2人。八重洲中央口にてW氏と待ち合わせだ。氏はC女史の大学の同僚。昨年秋に東京の大学でドクターを取るために来日中だ。でも何処にも居ないんですけど・・・。なかなか現われないW氏の携帯に掛けてみると「すみません今、新宿です」。(うあ?)
C女史曰く、「ちゃんと到着時間を教えてあるのにね、変だな・・・」ってアンタ、ご自分だって。一昨日オデン屋に行く途中でタイ料理屋で随分と引っ掛かっていたじゃん?
30分も遅れて合流したW氏と、年末にタイから遊びに来ていたW氏の細君、わたしと東京の友人とC女史、その友人と、総勢6人で門前仲町にある神社に初詣に行ってみようということになる。
参道で初詣の人々の列に加わりのそのそ進む約40分の道程を(わたし個人的には馬鹿辛抱強く)進みつつ、異国情緒をマン喫してもらった。帰り道参道沿いのお好み焼き屋に入ったあと解散した。W氏の細君も明日の飛行機で帰国するという。
夜は4人で以前在日中に何回か訪れたことのある飲食店で食事して、またまた店の人と旧交を温めた。
以上でお判りの通り、タイの客人達は来日以来ぶっ通しで、喰っては寝、歩いては喰い、乗っては歩きと目まぐるしい一週間を過ごしたわけである。10年くらい前の自分がタイに行った時の行動様式とそっくりだったことに目頭が熱くなるわけだが、翌日の早朝5時、一昨日と同じ時刻の電車で成田空港へ送っていったのを最後に添乗員の役目も終わった。
さて、このシリーズで示したように、タイの人々と付き合う際には欠かせない、何故か次々に発生するトラブルの数々。それらをめげずにダラダラと克服しつつも彼らの旺盛な行動力をサポートするため、わたしは暮れと正月のたった三日で成田空港~静岡間を電車と車で何度も往復する等の無理無理な予定で行動し、客人の希望が実現するよう最大限努力したわけだ。
この期間に失った高速道路の料金、ガソリン代、新幹線代金、飲み屋の支払いなどは結構な額にのぼり(タイ人と飲み食いする場合は年長者が黙って全額払うのが慣例。でも、ここは日本なんだけど・・・)、おまけにヨドバ○カメラの時計売り場では一眼レフの広角ズームレンズを落として駄目したりもし、体力気力金力と全部を使い果たし、急に年を取ったような疲れを感じる新年となった。ま、ともかくみんな無事に帰国できてよかった。ふ~・・・。
それでは皆さんまた明日。
寄り道して時間を喰い、既に先方で待っている友人から2回も携帯で催促されて漸くタイ料理屋を出ておでん屋に向かう。
夜も更けた頃、旧交と胃袋を温めた3人を再び今夜のお宿、みきまつ別館にご案内した。
三人分の寝具は既に準備してある。コーヒーを淹れてお土産を拡げたりなどするうちにトンでもないことが明らかとなった。来日した3人のうち1人は仕事があるとかで予定より二日早く、元日に帰国することになったというのだ。(あらいわっ?)しかも早く帰国する1人を成田まで送っていくため、C女史が付き添って午前2時の電車に乗り静岡成田間を往復するのだという。むちゃくちゃだ。テレビ番組に出演する芸能人並みの距離感の無さに頭がグラグラする。
そこで、それじゃ皆大変だからと予定を変更して翌日(大晦日)に全員で東京の友人宅に移動することになった。静岡でお正月をのんびり過ごしてもらう予定だったのに・・・。
次の朝。わたしともう1人の日本人2人、タイ人3人の計5人は定員違反のみきまつ4号※に乗って久能山東照宮に向かった。海岸沿いのいちご園の駐車場にクルマを停め、海が目の前に見える急な石段を登っていく。だが。途中で彼らの1人が膝が痛くて歩けないと言い出した。宥めて賺してやっとこ東照宮に到着したが、これじゃ降りはもっと大変だろうということで、帰りはロープウェイで日本平山頂に向かう事になった。山の中腹にある東照宮からわたしは石段をイッキに走り降り。みきまつ号を山頂にあるロープウェイの駅に回して合流だ。ってこれ、観光会社の添乗員だ。
今日の予定は、かつてC女史の来日にあたって身元保証人になってくれたBさんの家に「ちょっと挨拶に」に行くというので三組の布団をみきまつ3号に積み込んで首都圏の友人宅に向かう。タイ人3人はBさん宅で鮨などをサンザンご馳走になってから新幹線で東京へ出て、日本人の友人A宅で合流という手筈だ。
読んでいるだけで疲れるような過密スケジュールでしょう?
無事友人A宅で合流した3人が、みきまつ4号ではるばる静岡から高速道路に乗って運んできた布団3組に収まったその晩、元旦に先発で帰る1人を明日(元旦)の朝5時起きで成田に送っていかなけりゃね、などと相談していたら、C女史の携帯が鳴り出した。静岡のB さんから電話が掛かってきて、「どうしてもウチに泊まりに来てもらわなけりゃ私の気が済まない。明日成田へ送っていってから静岡へ来ればいい」とかいって利かないという(おおまいがっ)。
タイ人たちもまた、馬鹿げた申し出を受けて静岡に取って返し、「義理の一泊」を済ませ、翌日再び東京へ返ってくるという暴挙に出るのであった。
まったく何を考えているのだ。距離感が麻痺しているのはタイ人だけじゃないらしい・・・。
ああ、こんな調子でまだまだ続く・・・ それでは皆さんまた明日。
年末にタイから友人Cが仲間3人と共に来日するというので、暮れの30日から新年に掛けて、5日間休業して彼らをもてなすことになった。この人は静岡大学で博士論文を書くため長期に亘って静岡市に滞在した経験がある。博士論文執筆を書きあげて帰国していく留学生は3年くらい日本にいるのが普通だが、諸般の事情によりC女史の日本滞在は8年にも及んだ!なんとかドクター取って、今はバンコック市内の出身校にもどって教鞭をとっている。
さて、関空から入国した友人から電話がきてみたら、最初4人だったハズが来日してみたら1人は仕事の都合で来ることができなくなり、3人で来日したという。
彼ら3人は来日直後から精力的に関西方面を観光して廻った。初日には宮島と姫路城、翌日は大阪に投宿、3日間の奈良京都大阪観光をし、暮れの30日に静岡にやってきた。30日の夕方タイ人3人は巨大に膨らんだバックパックと手提げ鞄を持って静岡駅南口に現われた。
今晩は中心街にある懐かしのオデン屋に行き、常連たちと旧交を温めあう予定であるという。社交的な性格のC女史がかつて長期にわたる在留期間中に構築した人間関係は、国籍を問わず数知れず。C女史が4年振りに来日するという情報は既に目的地のおでん屋の常連客に伝わっていたので、タイ人と日本人の夫婦二組と合流する事になったという。みきまつ別館に荷物を降ろして一休みする間もなく、みきまつ4号で件のおでん屋に向かう。ところが、道中通りかかったタイ料理屋がC女史の知り合いの店とわかると、そこに立ち寄って「ちょっと挨拶だけしていく」と言い出した。
金とヒマさえあれば気軽に海外旅行に出かける日本人とは違い、一般のタイ人にとって海外旅行のチャンスはそう多くはない。今回の滞在期間は僅かに一週間。この機会を逃さず、と頭に浮かんだ種々の用事をイッキにこなそうとしている。
当然、このタイ料理屋だって挨拶だけで済むわけはなくて、案の定。椅子に掛けろ、菓子を食え、コーヒーにするかハーブティーにするか、なんか飯喰うか?みたいなことになって、おまけに以前友人がタイ語教室でバイトしていた時の生徒のおじさんが客で来ていて昔の話で盛り上がったりしている。おいおい、オデン屋での待ち合わせはどうしたの?
今日はここまで。それでは皆さんまた明日。
今年のみきまつの年賀状は写真入りだ。タイのバンコックからカンボジア国境に向かう鉄路の途中の駅舎の鐘を客車の窓から写したもの。Phot○shopを使って駅舎番号を2007に改変してあるのだが、ご覧になった方々お気づきでした?
ま、それより今年の年賀状配達状況って異変があるみたいだ。25日前にちゃんと投函しても元日に配達されなかったり、一月も中旬になった今でも全く配達されないはがきもあると聞く。わたしを含めて複数の知り合いが、郵便局の年末年始の仕事に疑念を持っているようだ。
みきまつの年賀状ははがき全面印刷で、しかも大量に製作する事情から通常の年賀はがきが使えず、年賀切手を貼付して近所の特定郵便局に12月26日に持ち込んだ。日本の人なら年賀はがきのデザインはみんな知っているだろうが、年賀切手はあまり馴染みがない。これってちゃんとした扱いを受ける(元旦に配達される)のだろうか不安になった。法律に則って『年賀』と判り易く、しかも赤字で切手の横に印刷してある。郵便局の職員にも「年賀ですから」と念を押した。
ところが30日になって宛先人不明のスタンプが押された年賀はがきが帰って来ていた。「探しましたが宛先人不明であったのでお返しします」ってものもあった。っつうことは・・・去年のうちに配達しようとしたってことじゃん!年末年始の郵便配達の臨時職員、あまり待遇も良くないみたいで、いつだったか田舎町の川原で昼間からキャンプファイアーやってる奴が居て、燃え残りを見に行ったら未配達の郵便物を処分していたのがバレちゃったニュースを見た。
郵便物が盗まれたりして、まともに届かなくても驚かないのが世界の郵便事情の趨勢である。そんな中にあって、日本の郵便システムは信用のおける部類に入っていると思っていたが、そろそろヤバいかも?
若い衆に聞くと、携帯のメールやインターネットメールでのグリーティングが増えていて、年賀はがきを使わない傾向が出てきている。あと10年も経てば長年続いた年賀はがきを見る機会が激減するかもしれない。
それでは皆さんまた明日。
昨晩仕事が終わる頃に、明日の降水確率80%という予報を聞き、急遽みきまつ1号(自転車)で帰宅した。みきまつ1号は、今ではもう廃業した製造会社が作り、今はもう亡くなった知り合いの自転車屋から、今から25年以上も前に父親が購入し、今では亡くなった母が愛用した自転車である。もともと殆どのパーツがステンレス製だったし、2年前にかなりお金を掛けて整備したから、毎日のように雨曝しにしていてもピカピカだ。街中のこまごました用事をこなす際には最適の乗り物だ。
海辺から1kmほどのところにある住まいから、みきまつ1号に乗って出勤となった。みきまつ3号(鈴鹿でも遊んだオートバイ)で行けば7分足らずで到着する4kmほどの道程だが、せっかく自転車を使うのだし時間の余裕もあるから、のんびり道草しながら行ってみようと決めた。
この土地は扇状地で、海から5kmほどゆったりとした上り坂を進んだところに市街地の中心部がある。そのゆる~~い坂を山の方に向かえば市街地の中心部にある職場に到着だ。レトロみきまつ1号は、車の往来が激しいいつもの通勤路から逸れて排水路に沿った狭い道に入る。
「排水路に沿った狭い道」と書いたが、昔は小川の土手だったはずだ。川は底面と側面をコンクリートで固められて正に排水路然としており、昔日の面影は無い。が、水面の底に水草が群生しているのが見える。思いのほか綺麗な水が流れていた。雨水と下水の区別が上手くいっているのだろう。なかなかいい仕事してますね、静岡市役所水道局。昨日降った雨を集めて水量が多いが、陽がでていないためか魚影は確認できない。職場まで昔の小川を辿ってみようと思った。
なんと、未舗装の道に入った! 40年前なら市街地であっても裏通りは未舗装だったから、雨が降ると必ず水溜りができていたし、冬になればそんな水溜りが凍っていて通学途上でちょっと靴で氷を割ったりして遊んだ覚えがある。だけど、田舎のあぜ道でさえ舗装されてきている現在、こんな市街地にちかいところで舗装がないなんてオドロキだ。昨日の雨でできた水溜りの真ん中を自転車で進む。水路が二股に分かれた。右を進んだ方が職場の方向に近いと判断して進むと大きな道路を渡らなければならなかった。ここまでで新興住宅地の並ぶ隙間に水田や畑地があるといった風景は終わる。
川筋だったはずの道路は広い通りに遮られ、横断歩道さえ設けられていない。朝の混雑した車列の間を縫って道路を渡りきると、住宅地の裏通りに入る。ここで水路には無粋なコンクリート製の蓋が被せられて暗渠になってしまい、なんとなく寂しい風景になる。
水路の上には道路や歩道以外の建築物は無いので、昔の川筋に沿って直線的に見通しが良くなっている。暗渠の蓋にはところどころに窓があって鉄格子が嵌っており、耳を澄ませば水の流れる音が聞こえている。直線的な水路の脇に、これまた直線的に配置された緑地帯がレイアウトされており、ブランコや滑り台などの遊具を囲んで近所の人たちが手を入れているらしい植物が並ぶ。
衛生上の観点から川岸を整備するのはしかたが無いし、急な増水に備える必要もあるだろう。子供が落ちて流される危険があるとか、ゴミを川に捨てる馬鹿者がいるとか、色々問題もあろう。だけど冴えない色のコンクリートの蓋が無ければ植物も活き活きと見え、なによりこの住宅地の景観が和やかなものに変わり、土地の「品格」が上がるだろうに、と思う。
蓋を取り外して「排水路」から「小川」に戻しませんか? ま、一旦できてしまったものは壊すのにもお金が掛かるし、そもそも昔からこの土地に住んでいるのでなければ、この道の地下に川筋があることに全く気付かない人も多かろうから、有意義な提案とは認められないだろうけど。
3番目の信号機のある交差点を越えたところから水路の幅が狭くなり、暗渠に空いた点検用の穴を塞ぐ鉄格子も小さなものになっている。周りは古くからある完全な住宅地となっている。4番目の信号機をわたると暗渠は車道の真ん中に移動されており、大きめの排水溝に取り付けられた格子が水路を暗示するだけだ。道に面した土地の幅がだんだん狭くなり、周りの様子も、城下町然とした趣に変わってくるが、直線的な見通しの良さは相変わらずだ。右手の空き地の隙間にかなり大きな木が見えた。このあたりは大小の神社が点在するが、この神社は馴染みが無い。神社の横の小さい川筋を歩く昔の道を想像する。
駅に近い町内を通過すると、歩道の舗装が色とりどりのブロックを美しく並べたものになっている。もう足元の川筋は側溝の水を集めるだけの小さなトンネルになっているのだろう。
碁盤の目のように四角に配置された街路に突然に斜めに入る道が出現する。排水溝の格子をみると、どうやらここで川筋が二手に分かれているようだった。右に斜めに入った道を辿ると駅の南口方面に向かう。区画整理をしたときに昔の川筋がそのまま残されてできた道だろう。ここから先、駅周辺と国道一号線を跨いでどこまで遡れるものか不明であるが、今日は最初の予約に間に合わないからこの辺で探索終了。
それでは皆さんまた明日。
一塊20名ほどの「最速(自称)グループ」に紛れ込んでピットロードから第一第二コーナーに向かう。一般道ではタイヤがもったいないので加速は控えめ、減速は早めにするのが常だが、サーキットで「もったいない」なんてこと言っている奴は誰もいない。急加速急減速が基本になる。
この走行会はレーシングライダーを先導者にしてその後をついて走ることになっていて、所謂フリー走行とは違うのだが、なにしろ先導するのは月間に幾度と無くあちこちのコースを走り回っているライダーだから走り慣れたもので、早い早い!
彼らが片手でアクセルを持ち、後を振り返りながら走るその後を、距離を離されないように追いすがるだけで精一杯だ。しかしここが用心のしどころで、操作ミスをして速度が落ち引き離されるとアセってしう。コーナーの出口がまだ先にあり、依然バイクが強く傾いているのにスロットルを不用意に開ければ、はい、転倒だ。雨の降り出しから暫くは路面とタイヤとの摩擦が急激に落ちるから更に危険が大きい。今回も雨が降り出した3回目の走行で転倒者が続出した。
爆音仕様のバイクに混じると途端に紳士的に感じられるわたしのバイク。早くもS字コーナーを通過中だ。
もう一生分吸ったから、という理由で27歳で禁煙したわたしは喉が弱点。直前を走るバイクの排気ガスが咽頭を直撃する。周回を重ねるとタイヤの溶けた匂いも加わるので結構なダメージを受けることになる。ああ、臭い臭いなどと言いつつ左右にバイクを寝かせていると、通称ダンロップと呼ばれる大きな左カーブに近づいた。左側の路面がありえないほどバイクに迫ってくる。うわ。大丈夫なのか・・・。
一昨年乗っていたみきまつ号は車体が重かったので、バイクが限界まで傾くと足を載せるステップがアスファルトに接地し続けて削れてしまったけれど、新みきまつ号では地面を擦るのはブーツの爪先の外側くらい。バイクが際限なく傾いていくような気がする。スロットル全開でギアを入れ替え、加速しながらデグナーと呼ばれる次の複合カーブ(曲率の違う二つのカーブが組み合わされているところ)のクリッピングポイントを探す。
サーキットという所は道幅がかなり広くて、ちょっと見では何処を走っても良さそうに思えるが、最速で走り抜けることが目的なら、辿るべきラインはとても狭い幅になる。クリッピングポイントとは、車体を反対側に傾斜させるのに適した位置のことだ。といってもそこに表示はないから、縁石の塗装とか舗装の継ぎ目などを目印にする。そこを見据えつつバイクを減速させ、速度に適したギアを選択する。
クリッピングポイントを過ぎたら直ちにスロットル全開。ギアを高速用のものに素早く入れ替えつつ次のヘアピンカーブに向かう。クリッピングポイントが近づいたらまた速度に適したギアに入れ替えつつ急減速・・・。ここは低速にならざるを得ないため速度の落差があり意外に難しい左コーナー。ここを抜けて200R(直径200mの曲率のこと)に向かう緩い登り。昨年は夕日が濡れた路面に反射して前が全く見えない状態で走っていたのを思い出す。
鈴鹿は3回目だが、エンジン回転計や速度計を見る余裕は今年も無かった。最適なラインを外れないように路面に集中しながら耳でエンジンの回転数の見当をつける。アテにするのはお尻がシートと触れる感覚と、視力及び平衡感覚のコンビネーションだ。
右のシケインに入るためにコース左側に寄り、クリッピングポイントを探す。シケインというのは、んー、例えば田舎の一本道で工事中の個所があって、そこを廻って臨時の道をまわって元の道に戻るみたいな個所だ。といってもサーキットでは別に工事しているわけではなくてシケインの前後で速度を落とさせる目的で設けられているものだ。
さて、興味の無い人がそろそろ読み飽きた頃、わたしは右への200Rから左への複合カーブ通称スプーンを通過して緩やかな登りのストレート通所バックストレッチに差し掛かったところだ。時速200km以上で移動していると全身に空気の質量が感じられるようになる。柔らかで強靭な空気の壁の中をもがきながら進んでいるということを実感する。だからウインドシールドの中に上半身を隠して空気抵抗を少なくするよう試みる。
前を走るバイクが空気の壁を切り裂いているから、その直後に位置していれば空気の壁の抵抗が少ないので楽にバイクを走らせることができるスリップストリームという現象、有効に使うためには前車との距離をつめなければならない。そういう訳でまたもや前車の排気ガスの攻撃を喰らう。フルフェイスヘルメットの中でげほげほ咽せながら左の130Rを全開で通過すると再び右のシケインがあるので急制動。狭いシケインを抜けたらメインスタンド前だ。再びウインドシールドの中に隠れてスロットル全開だ。
メインスタン